第13話 訳ありなんです
一緒に風呂に入って、クマを洗おう、と言い出す
「おかしなことを言い出すのなら、帰ってください」
と言うと、准は、
「お前、男が下心もなしに、こんな時間に一人暮らしの女の家に居ると思っているのか」
と、もう少し、なにか包み隠してください、と思うようなことを言ってくる。
「……あのー、さっき、私が貴方を好きだと思うまで、なにもしないって言いませんでしたっけ?」
「いや、キスをしない、と言ったんだ」
と再び、准は、短く、明確に言ってくる。
「さあ、入ろう」
と手をつかんで来る准に、
「クマとでも入ってくださいよ、悪王子……」
と葉名は力なく言い、その手をふりほどく。
なんだかんだで優しいらしい准の手は簡単に振りほどけた。
グラス類を片付けるフリをして立ち上がった葉名は、そっと避けておいた交換日記を准の目につかない場所に移す。
見られたら、全部捨てろって言ったろ、と言われそうだったからだ。
キッチンから、チラと窺うと、准は何故か、あのチョコレートの空き袋を眺めていた。
准と食器類を片付けたあと、とりあえず、風呂には入らずに、クマを洗ってみることにした。
バケツに水を張り、お洒落着洗い用の洗剤など入れて、クマを投入してみる。
クマは鼻が重いのか、ひっくり返って、ぷかりと浮いた。
「水死体みたいになったじゃないか……」
「水死体ですね……」
ぬいぐるみなのはわかっているのだが、息ができるのか、不安になる。
「でも、もうちょっとつけておきましょう」
と言うと、ひどいな、という目で准が見る。
「いや……洗えって言ったの、貴方ですよ」
「じゃあまあ、風呂に入って、クマを見てようか」
と腕をつかんで来るので、
「社長、そろそろお帰りください。
明日の仕事に差し支えますよ」
とふたたび、振り解くと、
「いや、今日はもう此処に泊まろう。
うちより会社に近いから」
と准が言う。
いや、帰ってくださいっ、などと揉めていると、その弾みでか、准がさっきから、空き袋を眺めながら、ずっと考えていたらしいことを言い出した。
「お前、あのとき、本当はチョコ作ったんだろっ?」
「えっ? あのときって、いつですか?」
「俺の手に、ザラザラーッとチョコくれたときだよ。
なんで、バレンタインチョコのページに空き袋が挟まってたのか考えてたんだが。
チョコはもう一袋あって、お前はそれを溶かして、あのページに載っていたチョコを作り、誰かにやったんだ」
とまるで名探偵が犯人を追い詰めるように言ってくる。
……なんの犯人だ。
「誰だ?」
と詰め寄る准に、
「いや……なん年前のことで怒ってるんですか」
と溜息をついたあとで、葉名は言った。
「そうですねえ。
何故、板チョコを溶かさずに、あれを溶かしたんですかね?
たまたま、そこにあったんでしょうかね? お母さん」
「お母さん?」
「お母さんと一緒に、お父さんにチョコ作ったんです」
なんだ、そんな微笑ましい話かと准は手をゆるめかけた。
「あのとき、まだ、居たんですよね、お父さん」
と言うと、こちらを見る。
「ああ、浮気して出てったとかではないですよ」
と葉名は言った。
「ちょっと訳ありで」
とごまかすように言うと、
「話したくないのならいい。
だが、お前の父親なら、俺にとっても父親になるんだからな」
と言ってくる。
困ったことがあるのなら、一緒に考えよう、という感じの口調で、ちょっと嬉しかったが。
だから、何故、いつの間に結婚する話に……、とも思っていた。
そこで、准は浴室の方を見、
「ところで、あのクマ、ずっと水死しているが、大丈夫か」
と言ってきた。
「洗いますよ~、今から」
と慌てて葉名はクマを持ち上げる。
結局、二人で狭い洗い場にしゃがみ、クマを洗った。
苦しそうにクマは絞られ、窓辺に吊られた。
絞ったはずだが、厚みがあるので、やはり、水分が残っていたらしく、水滴がガジュマルにときどき落ちている。
それを見ながら、准が、
「エコだな」
と言う。
いや、ガジュマルは水やりすぎもよくないと思うんですが、と思っていると、
「今日は疲れたから帰るが。
夜中に、宅配です、とか言って花屋が来ても入れるなよ」
と言ってくる。
「夜中に誰かがピンポンって、花持って来るとか、ホラーですよね……」
誠二さんじゃなくても、絶対、開けませんよ、と言って、准を見送ろうとすると、
「待て、お前」
と気づいたように准が言ってきた。
「俺は社長で、誠二は誠二さんか」
「だって、苗字知らないんです」
「じゃあ、俺のことも名前で呼べ」
と言われたが、准さんとか恥ずかしいし、准くんじゃ、舐めてんのかとか言われそうだし。
少し考えたあとで、葉名は言った。
「じゅ、准社長」
「副社長みたいだからやめろ……」
降格したみたいじゃないか、と言ったあとで、葉名の腕をつかんでくる。
「な、なんなんですか?」
と言うと、
「いや、もう好きになったか?」
とまたあの目で見つめ、訊いてくる。
いやいやいやいや、と思っていると、
「好きになれ。
キスするから」
どんな脅迫ですか、と思っていると、准は腕を引いて葉名を抱き寄せた。
後ろ頭を押さえられたので、准の肩辺りに顔を押し付けられる感じになる。
社長の匂いがするなー。
なんか落ち着く、と思いながら、うっかりそのまま目を閉じそうになる。
クマを洗った疲れに、准の体温が心地よく、寝てしまいそうだった。
そんな葉名の耳許で准が語る。
「昨日お前にキスしたのは、そうまでして、運気を上げて、なにか欲しいものがあるのかとお前に問われたとき、ガジュマルが視界に入って」
何故、ガジュマル?
と思っていると、
「いや、今、俺は『あれ』より、目の前に居るこいつが欲しいかなと思ったからだ」
と言ってきた。
『あれ』ってなんだろ? と思っていると、少し間を開け、准が、
「好きになったか?」
ともう一度、訊いてくる。
「……なりません」
「好きになれ。
キスするから。
そしたら、帰る。
……ならないなら、帰らない」
どんな押し売りよりタチが悪いな、と思っていると、准は、
「お前と居ると、なんだか落ち着くんだ。
お前がよく知っているモンキーだったからかもしれないが」
と言ってきた。
いや、その言い方だと、私がよく知っている猿だったから、みたいに聞こえるんですが……と思っていたが、どうやら、真剣に語っているらしい准は、
「キスさせてくれるまで帰らない」
と言ってくる。
そのまま、離しそうもないので、なんとなく、
「じゃ、じゃあ、いいですよ」
と何故か言ってしまった。
何故だろう?
もう眠かったからだろうか?
「好きになったのか?」
「なってませんけど」
と言うと、
「……淫乱だな」
と囁いて、そっと軽く触れるだけのキスをしていった。
「じゃあな、おやすみ」
と言い、准は出て行く。
扉が閉まったあと、葉名はぼんやり部屋に戻った。
ソファに腰掛け、大きめのクッションを抱くと、ふう、と息をつく。
ひとりになった部屋はちょっと寂しく、そして、片付いていた。
来たときよりも美しく。
ある意味、日本人の心を体現したような人だ……。
それにしても、私の部屋ばっかり綺麗にしてもらって申し訳ないな、と葉名は思った。
「この俺が結婚してやると言ってるんだ。
必ず、幸運をもたらせよ」
そう言った准の言葉を思い出す。
私からはなにもしてあげてない。
そう思いながら、立ち上がると、電子レンジの近くに立てかけてあるレシピ本の陰に隠した古びたノートを引っ張り出した。
准に丸ごと捨てろ、と言われた荷物のひとつ、交換日記だ。
なんとなく嫌な予感がしたので、ちょっと確認したかったのだ。
ぱらりとめくったあとで、やっぱりな……と思う。
本と一緒に縛って出すのは危険な感じがしたので、外しておいたのだ。
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