第8話 今のところ、お前が一番気に入っている
玄関から白いビニール袋を持ってきた
「なにか木のおうちっぽいですよね~」
とニンジンのような太い根が絡み合ったガジュマルを見つめる。
ガジュマルには幸せを呼ぶ精霊が住んでいると
木のおうちのような、ころんとした形のガジュマルの陰から、ひょっこり顔をだす精霊を想像してみたが、その姿は何故か幼い頃の
あの頃は外見だけは清らかな王子様みたいだったのに、今では、すっかり悪王子に……。
一体、なにがあって、こうなったのか。
いや、単に、歳とともに、もともとの性根が顔に出てきただけなのかな? と思いながら、
「ガジュマルは、とても生命力の強い木で、健康運や金運が上がるそうですよ」
と言うと、腕組みして、ガジュマルを見ていた准が、
「勝利のエネルギーをくれる木とも言われているな」
と言ってくる。
「社長、お詳しいんですね」
「ばあさんが趣味で植物園っぽいものを作ってるからな」
と言ったあとで、
「ああ、庭にだぞ」
と付け足し言ってきたが。
葉名の頭の中ではもう、小規模な植物園くらいのサイズになっていたし、たぶん、それで間違いないだろうと思われた。
「葉名、片付けといてよかったろ」
え? と見ると、准は、
「いや、綺麗な場所に置いてやらないと植物が可哀想だろうが」
と言ってくる。
そうだな。
あの片付けた窓辺のでっぱりなんかに置いたら良さそうだな、とぼんやりそちらを眺めながら、この人、実は私より、真っ当な人かもな、とちょっと思っていた。
すると、准が、
「じゃあ、片付けたご褒美に飯でもおごってやろう」
と言って立ち上がる。
「えっ?
でも、私、自分の家を片付けただけなんで、ご褒美なんて。
むしろ、私が社長におごらないと」
社長におごるとか、かえって偉そうな感じだな、と思いながらも、そう言ったが、准はこちらを見下ろし、
「いや、俺も今日は珍しく仕事が早く終わって嬉しいんだ。
そんな日に、今のところ一番気に入ってるお前と食事に行くのは俺へのご褒美でもあるからな」
と言ってきた。
「あのー、『今のところ』がすごく気になるんですが……」
と訴えてみたが、准は、
「いや、そこは、ちょっとした恥じらいだ」
と何処も恥じらってはなさそうな顔で見下ろし、言ってくる。
「まあ、お前も疲れてるだろうから、この近くの――」
そう准は言いかけたが、突然、彼のスマホが鳴った。
取り出したその画面を見た准は眉をひそめる。
「もしもし」
と低い声で出たあとで、
「……わかった」
と言って電話を切った。
「すまない、葉名。
ちょっと会社に戻らないといけなくなった。
また早く終わった日に、おごってやるから」
早く終わる日なんて、滅多になさそうだけどな、と思いながらも、わかりました、と葉名は頷く。
ちょっと残念に思っているのは、きっと、子どもの頃の話とか、ゆっくりしてみたいなと思っていたからだろう。
玄関まで見送ると、准は靴を履きながら、
「またチェックに来てやるからな。
それまで、部屋、散らかすなよ。
片付いてない部屋は運気が下がると言うからな」
と言ってくる。
「あのー、社長はなんで、そんなに運気を上げたいんですか?」
そう訊いたあとで、ああ、グループの後継者になりたいんだったっけ?
と思ったが、准は、葉名の後ろ、開いたままのリビングの扉から、ガジュマルを見ながら言ってきた。
「……欲しいものがあるんだよ」
と。
准の視線を追っていた葉名が彼の方に向き直ったとき、玄関の白い壁に手をついた准が軽く口づけてきた。
「じゃあな、ちゃんと鍵かけて寝ろよ」
と言って、准はさっさと出て行く。
バタン、と扉は閉まり、かけて寝ろよもなにも、オートロックなので、勝手に鍵はかかった。
……今、なにが?
と閉まった扉を見ながら葉名は思う。
……今、なにが?
え?
今、話のついでのように持っていかれたものは、もしや、私のファーストキスですか?
今、海外での挨拶みたいに、すごーく軽い感じでされたのは、もしや、私のファーストキスですか?
私をモンキーとか言う奴に、今されたのは、私の――。
だだだっ、と葉名は部屋に戻り、
「ガジュマルーッ」
とガジュマルに向かい、叫ぶ。
「運気、上がってないじゃんっ。
願い、叶ってないしっ。
なにも勝利してないしっ」
むしろ、運気、下がってるっ! と葉名は叫んだ。
八つ当たりだな、と自分でも思いながら。
頭の中では、ガジュマルの可愛らしい木の陰に栗色の髪の精霊、『社長』さんが住んでいた。
「運気下がってるっ!」
と叫ばれた精霊、社長さんは、ええっ? という顔でビクついていた――。
なにかもう、ご飯作る気しないなー。
その言葉はいつもは、外食やお惣菜を買うときの言い訳なのだが、今日は本当に、どっと疲れていた。
なんか買ってこよっと、と外に出た葉名は、コンビニも飽きたな、と思いながら、マンション近くの大きな通りを歩く。
すると、ガードレールの側に立つ、ぱっと目を引く背の高い男が、車道の向こうを見つめていた。
あまりの厳しい顔つきに、別人かと思ったが、あのお花屋さんだった。
なんか声かけない方がいいかも、と思い、そうっと後ろを通ろうとしたのだが、その瞬間、彼がこちらを振り向いていた。
うっかり目を合わせてしまう。
「う、あ……こんばんは」
とよくわからない挨拶をすると、誠二はさっきまでの固い表情は何処へやら、
「ああ、こんばんは。
ガジュマル、いい居場所見つかりましたか?」
と愛想よく訊いてくる。
ちょっとホッとしながら、葉名は言った。
「窓辺に置きましたけど。
大丈夫でしょうか?」
強い日差しを好まない木もあるからだ。
「はい、窓際の方がいいと思いますよ。
ガジュマルは日陰でも育ちますけど、やっぱり日が当たった方が喜ぶと思います。
女性の方は、大抵、レースのカーテン閉めてらっしゃいますしね。
直射日光よりも、レースのカーテン越しの光が当たるくらいがちょうどいいかと思いますね」
准とは正反対の穏やかな物言いだった。
「この近くにお住まいなんですか?」
と笑顔で誠二は訊いてくる。
「はい。
すぐそこのマンションです」
と言って後ろを指差すと、振り返り、葉名のマンションを確認したあとで、誠二は笑い、
「訊いておいてなんですけど。
あまり簡単に男に家を教えない方がいいですよ」
と言ってきた。
「……この辺り、物騒な奴もうろついてるみたいなんで」
と呟いたときの顔が、昨日、絞め殺しの木の話をしたときと同じで、ゾクッとしたが、すぐにいつもの顔に戻っていた。
「あのー」
訊いては悪いかと思ったのだが、なにかいろいろと気になるので、ちょっと訊いてみた。
「さっき、なにを見てらしたんですか?」
さっきも、店に居るときとは、別人のような顔で通りの向こうを見ていたからだ。
すると、誠二は、ああ、と爽やかに微笑み、
「いけすかない奴が歩いてるの見かけたもんで」
と言ってくる。
えーと……。
笑顔と話の内容が全然合ってないんですけど、と葉名は固まる。
だが、そのあとは、もう店に居るときの誠二と変わりなかった。
葉名の向かっていた方向に誠二が歩き出したので、なんとなく、二人、並んで植物の話をしながら歩く。
「運気の上がる植物ですか。
そうですねー。
だいたい、どんな緑も心安らかにしてくれるので、運気は上がる気がしますけど。
あ、恋愛運ですか?」
と誠二は笑って訊いてきた。
女性にはやはり、それを訊かれることが多いからだろう。
本当は、准のために、仕事運がアップする木を訊いてみようと思っていたのだが。
今、猛烈な勢いで恋愛運が下がっていってる気がしたので、思わず、頷いてしまう。
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