第17話 遅かったです……


 じゅんより先にと、葉名はなは急いでインターフォンの画面を見た。


 げっ、やっぱりっ、と思った瞬間、


「葉名ーっ。

 開けてよーっ」

とインターフォンの向こうで、相手が叫び出したので、葉名は慌ててボリュームを絞る。


 ところが、いつの間にか真後ろに立った准が葉名越しに壁に手をつき、インターフォンに向かって言った。


「陽子、入ってこい」


「えっ? 誰っ?」

とこのマンションの持ち主にして、葉名の従姉妹、樟木陽子くすのき ようこが訊き返す。


「俺だ。

 東雲准しののめ じゅんだ。


 久しぶりだな、陽子」


「やだーっ、准なの!?

 なんで、うちに居るのっ?


 あっ、もしかして、葉名と付き合ってるのっ?


 えっ?

 なんでっ?」

と玄関ロビーでかしましく話し出す陽子の声を聞きながら、葉名は、


 あー、やっぱりなー、と思いながら、インターフォンで話し出す准を避けるようにその場に座り込んだ。


 実はちょっと疑っていたのだ。


 准は、やけにこのマンションは誰のものかと突っ込んで訊いてきた。


 妙に廊下などを見回していたし。


 うろ覚えな感じではあるが。


 此処が誰か知り合いのマンションだった気がする、と確認している風にも見えていたからだ。


 しかも、実は、陽子と准は同じ大学で、年も同じ。


「こう見えて、陽ちゃん、頭いいからなー」

とぼそりともらすと、


「ちょっとーっ。

 聞こえてるわよ、葉名ーっ」

と叫んだあとで、陽子は消えた。


 准がロックを開けたらしい。


「しかし、あいつ、自分のマンションだろうに。

 鍵は今持ってないにしても、暗証番号も覚えてないのか」

と准は呆れたように言う。


「……陽ちゃんですからね」


 勉強のできる人が実生活でも賢いかと言うと、そうでもないという典型な例だ。


 まあ、だからこそ、付き合いやすいのではあるが。





「准ーっ。

 久しぶりーっ。


 相変わらず、イケメンねえー」

と大きなキャリーバッグを引いて、陽子が現れる。


 二人は抱き合って再会を喜びあっていた。


 だが、不思議と嫉妬心はわかない。


 陽子は今風の美人なのだが、天然なうえにサバサバしているので。


 なんというか、男同士の友情をはぐくみ合っているようにしか見えないからだろう。


 ……でも、すっきり男らしい性格なのに、よく悪い男に騙されるんだよなあ、陽ちゃん。


 っていうか、その荷物が気になるんだが、と思いながら、派手な陽子のピンクのキャリーバッグを見ていると、その視線に気づいた陽子が、


「ごめん、葉名。

 二、三日泊めてくれない?」

と言い出した。


「いや、泊めてって、此処、陽ちゃんのうちだし。

 って、また彼氏と喧嘩したの?」


 運命の相手じゃなかったのか、と思っていると、


「そうなのよー。

 でも此処、もうあんたに貸した家だからね。


 来るのもどうかなーと思ったんだけど、他の部屋の鍵なくしちゃって」

と陽子は笑う。


 ……またなくしたのか。


 そのうち、誰か知らない人が住んでるぞ、と思いながら、

「いや、いいよ。

 私が出てく――」

と言いかけたところで、准が陽子に、


「じゃあ、お前、此処帰って住め。

 こいつは俺が連れて帰るから」

と葉名を指差し、言い出した。


 いやいやいやいやーっ、と葉名が大きく手を振っていると、

「そうだ。

 なんで、葉名と准が付き合ってるの?」

と陽子は訊いてくる。


 うむ、と准は重々しく頷き、

「実はこいつは、俺の幼なじみで、運命の相手だったのだ」

と言い出した。


 いやいやいやいやーっ。


「そうなの、素敵ね」

と陽子は言う。


「でも、運命なんて、そうそう落ちてないものよ。

 ……げんちゃんっ、運命の相手だと思ってたのにっ」

と陽子は唐突に嘆き悲しみ始めた。


 スマホを手に、

「今更、謝ってきても、絶対許さないし。

 電話にも出ない――っ」

と陽子が言いかけとき、そのスマホが鳴った。


「もしもし、玄ちゃん?」


 今、出ないっつったー!

と思いながら、陽子を見ていると、陽子は笑い、


「わかったー。

 じゃあ、肉まんとピザまん買って帰るねー」

と言って、キャリーバッグをガラガラ引きずりながら、玄関へと向かい始めた。


「やだもうー、迎えに来なくていいってー。

 心配性なんだからー。


 あっ、じゃあね、准、葉名。

 式には呼んでね。


 私も呼んであげるから」

と物のついでのように言ったあとで、また彼氏と話し出す。


「えっ?

 やだ、そう、結婚式よー。


 私、この間、いいとこ見つけたのー」


 それきり振り返ることもなく、陽子は消えていった。


 げ、玄ちゃんさん……。


 あと五分早く電話してくれてたら、陽ちゃん、此処に到達せずにすんだのに、と思いながら、葉名が閉まった扉を見ていると、准が横に立つ。


「以前、呑み会のあと、此処まで陽子を送ってきて、珈琲をご馳走になったことがあるんだ」


 ああ、何人かでだぞ、と付け加えたあとで、

「やっぱり、お前の従姉妹は、樟木陽子か」

と准は言ってきた。


 じゃあ―― と口を開きかけた准の言葉を塞ぐように葉名は言う。


「従姉妹じゃないです」


「お前、従姉妹って言っ――」


「従姉妹じゃないですっ。

 すごく遠い親戚なんですっ」

と葉名は訴える。


「だから、陽ちゃんちはお金持ちだけど、うちは絵に描いたような中流家庭なんですっ」


 いや、本当だ。


 貧乏でもなく、金持ちでもなく。


 極普通の、狭いながらも楽しい我が家だった。


 一家離散するあの日までは――。


 黙って葉名を見下ろしていた准は、

「いや、……別にどっちでもいいが」

と本当にどうでも良さそうに言ったあとで、部屋の中を見回し、


「そんなことより、俺が気になっているのは、あのテレビの前の散乱したゲーム類だが」

と言ってくるので、


「いやそれ、貴方も遊びましたよね……?」

と葉名は言った。




 おかしいな、この人、帰る気配がないんだが。


 いつの間にか、さっきやりかけだったゲームをまたやり始めた准の背中を見ながら、葉名は思う。


「社長」

とクマとともにソファに座る葉名は、コントローラーを握っている准の背に向かい、呼びかけた。


「まだお帰りにならないんですか?」


 すると、准はゲームをしながら、

「今日は帰る予定はない」

と言い出す。


 いやいやいや、お帰りください、と思っていると、准はコントローラーを置き、側に来た。


 葉名の座るソファに手をつく。


 上から見下ろされ、なんとなく、葉名は身を守るようにクッションを抱いた。


「お前、さっき、俺が陽子と抱き合ってても、嫉妬してる風にもなかった。

 俺は、お前が誠二と抱き合ったりしたら、あいつを殴り殺す自信がある」


 いや、そんな自信はゴミより先に捨ててきてください、と思っていると、准は、

「俺は俺ひとりがお前が気になっているこの状況が気に入らん」

と葉名の側、ソファに片膝をつき、言ってくる。


「……社長は陽ちゃんに気があったんですか?」

と見上げて訊くと、


「いや、あいつ、外見はあんなだが、中身は男だからな」

と准は言う。


 ですよねー。


 貴方がそう思っているサバサバ感が伝わってくるので、特に妬かなかったんですよ、と思っていると、


「じゃあ、他の女なら妬くか?」

と准は訊いてくる。


 葉名は准と目を合わせないよう、ガジュマルとパキラの方を見ていた。


「誰といちゃいちゃしたら妬いてくれるんだ?


 三浦か? 他の総務の女どもか?


 それとも、お前のように幼なじみの――」

と言いかけ、止まったあとで、


「他にも誰か居たよな、可愛いの」

と准は呟く。


「……おかしいな。

 他にも可愛い女子が居た気がするんだが、思い出せん。


 お前が一番可愛かった気がしてきた。


 恋というのは恐ろしいものだな」


 その言い方だと、私はあまり可愛くなかったように聞こえるんですが……と思いながら、葉名はまだ、クッションを抱いていた。





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