第25話 お前にそう言われてみたい
「
と
「いっそ、代々伝わる幻の金印を見つけたものに後を継がせようかと思ってるとか言ってたらしいぞ」
まあ、冗談だろうがな、と笑う龍彦に、
「……金印って、
と言って、
「キャバクラならチェンジだ、莫迦娘……」
と言われてしまった。
なにが卑弥呼の金印だ、という父親に、貴様こそ、なにがキャバクラだ、この莫迦親父め、と葉名は思っていた。
「先々代が決裁のとき使っていた印鑑らしいんだがな。
そのときも跡目争いがあって、怒って隠して、そのままになっているらしいんだよ」
へえ、と葉名が言うと、龍彦はにんまり笑い、
「意外とお前のとこの会社にあるかもしれないぞ。
あの会社が江戸時代、東雲の先祖が店を開いた場所に立っているらしいからな」
と言ってくる。
「そうだったんですか」
ちゃんと考えて、あの会社を選んだんだったのだろうかな、社長は、と思っていた頃、
そのあと、三人で少し酒を吞んで、父とは別れた。
帰り道、タクシーの中で准が言う。
「和解できたようだな」
「え?」
「トイレ行ってたんじゃないぞ。
二人でゆっくり話した方がいいかと思って、席を外したんだ」
「あ、ありがとうございます」
と言うと、うん、と頷く。
准はそのまま窓の外を見ていた。
夜の街を眺めている准の横顔は、父の呪縛が解けたせいか、びっくりするくらい格好よく見えた。
いや、元からそうだったのだろう。
単に、今まで妙なフィルターがかかっていただけで。
……し、しかし、これはこれで緊張するな、と葉名は思う。
何故、こんな人が私を、と思ってしまって。
「ああ」
と気づいたように准が言った。
「そういえば、なんとなく、お前の家に向かっていたが、いいか?」
「は? えっ?」
と葉名は挙動不審に答えてしまう。
「いや、贅沢させてやると言ったのに、結局、お前がいつも食べてる料理だったんだな、と思って。
准は、うーんと難しい顔をする。
「お前のような女を喜ばすのは大変だな」
「いえ、喜んでますよ、ものすごく」
と言うと、そうか? と准は半信半疑にこちらを見た。
「社長が連れてってくださるだけで、嬉しいです」
「……どうした急に」
……いや、どうしたんでしょうね、私。
そう思いながら、
「ちょっと感謝の意を表してみただけです」
と葉名は誤摩化した。
でも、本当のことだ。
「お金を使う贅沢はいりません。
私は家族みんなでそろっているだけで贅沢な感じがしてしまうので」
そうか、と准が笑った。
おっと、そういえば、今、無意識のうちに、社長も家族に入れてしまいましたよ、と葉名は赤くなる。
「いや、贅沢し足らないのなら、これから何処か行くかと思ったんだが」
「何処かって?」
もう食事も済ませたし、何処に行くというのだろうと思って訊くと、
「今日は、何処かホテルにでも泊まるかと思ったんだ。
ま、そこもどうせ、家族で泊まりましたとか言うんだろうな」
と准は投げやりに言ってきた。
「いやいや、おうち帰りますよ」
「そうか。
じゃあ、お前んちに泊まろう」
「社長もですか?」
「いけないのか」
と訊かれ、いやー、どうなんでしょうねーと思っているうちに家に着いていた。
部屋に戻り、灯りをつけると、なんだかほっとした。
帰ってきたな、という感じがする。
まだ住み始めて一ヶ月ちょいだが、もう自分の家だな、と葉名が改めて思ったとき、准が言ってきた。
「まあ、そうだよな。
馴染みのないホテルより、お前がせっせと片付けている部屋の方がいいよな、最初は」
なんの最初なんですか、と思いながら、葉名は窓辺を見る。
助けて。
なんか怖いよ、ガジュマル、パキラ、クマー、と呼びかけてみた。
鞄を持ったまま、固まっていた葉名は、唐突に、
「と、とりあえず、お片づけでもしましょうか」
と言ってみた。
「今か……」
と准は言ったが、妙に強張った葉名の顔を見ると、ちょっと笑って、ぽんぽん、と頭を撫でてくれた。
「じゃあ、俺も手伝おう」
と微笑みかけてくる准を見て、
この人、こんな素敵な笑顔をしてたっけ?
ずっとなにか企んでそうな邪悪な笑い方だと思ってたのに、と葉名は思う。
今までずっと、フィルターがかかっていたのか。
今こそ、フィルターがかかっているのか。
「今よっ」
と敦子たちに言われそうな気はしていたが――。
よしっ。
今日はペンの
准は、こんな時間で酒も入っているというのに、ちゃんと葉名に付き合ってくれた。
やさしいよな、こういうところは、と改めて思う。
葉名に背を向け、違う引き出しを引っ繰り返しながら、准が言ってきた。
「こんなこと言うと、お前は怒るかもしれないが、いいお父さんじゃないか」
「言うと思いましたよ」
と葉名は言う。
「まあ、他人として、客観的に見たら、そう悪くないのかな、とは思います。
でも、母は一生、絶対、許さないと言っています。
でも、そう言っているうちは、父に気持ちを残してるのかな、とも思いますが」
でも、もう言わないかもしれないな、と書けるかどうか、床の上で、一本ずつ紙に書いてみながら、葉名は寂しく思っていた。
「お前に一生、絶対、許さないとか言われてみたい。
それはそれで、熱烈な愛の告白のようじゃないか」
と准は言う。
そして、顔を近づけ、
「……一生許されないようなことをしてみようか」
と言ってきた。
な、なんですか、と思いながら、葉名は床に座ったまま後退しようとしたが。
葉名の両の手首をつかんだ准は葉名をカウンターに押しつけ、言う。
「今、お前になにかしたら、一生許さないか?」
そう言いながら、准はスカートの上から葉名の膝に触れてくる。
ひー、やめてくださいーっ、と葉名はカウンターにへばりついた。
准の黒い瞳がすぐそこにある。
そこに映る自分の顔が、はっきり見えそうなくらい近くに。
「一生、絶対、許さないんだろ?
――じゃあ、しよう」
と准は葉名の顎に左手をやり、囁いてくる。
「ゆっ、許しますっ。
許しますからっ」
だから、なにもしないでっ、と訴えたのだが、准は、
「そうか、許してくれるのか。
じゃあ、しよう」
と今度はケロッとした顔で言ってきた。
「話、おかしいですよっ。
いたっ!」
と葉名は手を押さえて叫ぶ。
「どうした?」
と葉名の顎にやっていた手を離し、准が訊いてきた。
「シャ、シャーペンの芯が親指に刺さりました~……」
「どうやって……?」
いや、准から逃げようと手に力を入れたときに、持っていたシャープペンシルの先を指の腹に突き立ててしまったのだ。
葉名は、急いで、
「……なにしてるんだ」
「い、痛みが軽減されるかと」
「しないだろう。
まだ、刺さってるぞ……芯」
芯が少し刺さったまま折れ、ぷっくり、血の球が出来ていた。
ひいーっ。
直視したくないーっ、と思いながら、葉名はパキラの方を見た。
「パ、パキラには気を落ち着ける作用があるらしいですっ」
痛みが軽減されるかもっ、と合谷を押しながら、葉名は必死にパキラの方を見てみる。
「いや、無理だろう……、そこまでは」
結局、葉名は准に手当をしてもらった。
痛かったが、まあ、うやむやになって、襲われなくてよかったな、と思ったのだが、准は、ふと思いついたように言ってきた。
「そうだ。
そこ押してると、ずっとリラックスできるんだよな?」
「は?」
葉名は、治療中もずっと合谷のツボを押していた。
手を離すと、痛くなる気がしたからだ。
すると、准は、
「そうだ。
押しとけ、そのツボ。
いや、俺が押しといてやろう」
と言って、葉名の手をつかむと、一応、ツボを押しながら、そっと口づけてくる。
いや、あのー、片付けまだ途中なんですけどね……、とぼんやり思いながらも――
なんとなく、逃げなかった。
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