第29話 騙されました……


 おばあちゃんとか、グランマとかいう言葉に騙されました……。


 香り高い英国紅茶を前に、白いアイアンの椅子に座る葉名はなは固まっていた。


 植物園で葉名たちを待っていたのは、せいぜい、おばさんくらいにしか見えない女性だった。


 何処も白髪の老婆ではない。


 そりゃそうだよな、と葉名は今になって気がついた。


 昔の漫画なんかだと、『おばあちゃん』って、すごい年寄りに描いてあるので、つい、そういうイメージを抱いてしまったのだが。


 よく考えたら、じゅんや誠二の祖母がそんなに年老いているはずもなかった。


 准の祖母、瑠璃子るりこは品の良い綺麗な人だったが、動きは俊敏にして、眼光鋭く。


 如何にもな、やり手の女性だった。


 アンティークなブリキの如雨露じょうろで、まったりなんてしていない。


 そんなイメージとはかけ離れた瑠璃子の姿に衝撃を受けている葉名の前で、瑠璃子は更に衝撃的なことを言ってきた。


「ちょうどいいわ。

 貴方たち、今すぐ結婚なさい」


 なにがちょうどいいのでしょうか……?


 違う宇宙の方が話しているかのように、意味が呑み込めないんですが、と固まる葉名に、瑠璃子は家二軒分くらいはある温室を見回し、言ってきた。


「此処の薔薇は来週辺りが見頃なの。

 此処で式をやりたいのなら、貴方たち、今すぐ結婚しなさい」


 ……人は、そのような理由により、結婚しなければならないものなのでしょうかね?


 そんな葉名の表情を見た瑠璃子は、

「あら、どうせ結婚するのなら、早かろうが、遅かろうが、一緒でしょ?

 それとも、葉名さん。


 貴方、この先、時間を置いたら、准と結婚しなくなる可能性でもあるの?」

と声と目つきで攻め寄ってくる。


 ひい……。 

 ゴザイマセン。


 ございません以外の返答をすると、この場で薔薇の肥料にされそうな勢いだった。


 葉名は、突然、サバンナに放り出された子ウサギのように、目の前のケモノに怯え、ふるふると首を振る。


「そう、よかったわ。

 早速、瞳さんにも言っておきましょう」

と瑠璃子は、まったく年寄り向けではない最新のスマホを取り出し、立ち上がる。


「ああ、瞳さん?」

と電話しながら、その場を去っていってしまった。


 その後ろ姿を見送りながら、葉名は呟く。


「……社長が誰似なのか、今、はっきりとわかりましたよ」


 この合理的で、迷いのないところ、そっくりだ……と思っていた。




 その合理的で迷いのない准に連れられ、帰り道、葉名はウエディングドレスを買いに行かされた。


 何故、なんの心構えも、そろそろドレスを選びに行くんだー、という待っている間のドキドキもないままに、ドレス……と思いながらも、ずらりと並ぶ素敵なドレスにときめかないはずもなかった。


 突然、今日が遠足だ、と言われて、ええっ? と驚きはしたが、やっぱり、楽しい、と言った感じか。


 その話をすると、

「俺は遠足、いつもいきなりだったからな」

と准は言う。


 そうか。

 社長は転校することも多かったからな、と気がついた。


「でも、いいんだ。

 転校した途端に遠足とか、楽しいだろ。


 今も楽しいぞ。


 いきなり、お前と出会って――」


 いや、だから、私、貴方の幼なじみですし、最終面接でも入社式でも会ってますからね。


 真っ白なドレスを着た葉名は、鏡映る准を横目に見ながら、そう思う。


「いきなり、結婚することになって。

 いきなり、来週、式になっても、俺は嬉しい。


 待っている間なんていらない。

 今すぐお前と結婚したいし、待ってる間に逃げられたら、嫌だからな」


 いや、今更、逃げるとかいう選択肢があると思ってるんですか、と思う葉名に向かい、准は言った。


「誠二が居るからな。

 あいつ、絶対、お前に気があるぞ。


 あいつのことだから、いきなり、勝利をもたらす観葉植物とか、ご老人への善行とかで運気を上げて、お前に迫ってくるかもしれん」


 試着させてくれている店員さんは、最初は真面目な顔で、サイズ調整してくれていたのだが。


 この阿呆なカップルの話を聞くまいと思っても、耳に入ってくるらしく、そのうち、笑い出した。


「お幸せですね」

と耳打ちされる。


 ……アリガトウゴザイマス。


 ちょっと恥ずかしくなりながらも、葉名は礼を言った。




 准は、まるで大根でも買うかのごとく、葉名が、これがいい、と言ったドレスを値段も見ずに買ってくれた。


 いや、私は、大根でも値段見ますけどね……と思う葉名に、准は、


「よし。

 これで、『なにか新しいもの』は決まったな」

と言ってくる。


 結婚式のとき、身につけると幸せになるサムシングフォーの話を覚えていてくれたようだ。


 帰り道、

「……ありがとうございます」

と間の抜けたタイミングで言って、


「なにがだ?」

と言われてしまったのだが。


 いやでもほんと、ありがとうございます――。


 この人と結婚することにしてよかったな、と改めて思った瞬間だった。


 そして、ドレスの次は指輪だが。


 結婚指輪は一生するものだから、ゆっくり選ぶことにして、式では、あの呪いの指輪を使うことにした。


 あの指輪を見た瑠璃子が、

「あら、それ、私が瞳さんにあげた指輪じゃないの」

と言い出したからだ。


 瑠璃子から瞳に。


 そして、葉名へと受け継がれるあの指輪は、ひとつで、サムシングオールドとサムシングブルーの役目を兼ねてくれる。


 まあ、その指輪が葉名の手に渡った経緯いきさつを聞いた瑠璃子が、

「あら、その指輪、蔵にあったの?

 ……どういうことなのかしら? 瞳さん」

と言いながら、スマホを出してきて、軽く嵐を呼んではいたが――。




 マンションに戻ると、葉名たちは家を片付け始めた。


 今までは運気を上げることを考えて、片付けていたのだが、今日から片付けるのは、引っ越しのためだ。


 此処は一人暮らし用で、そんなに広くないし、陽子の持ち物なので、とりあえず、東雲しののめが所有しているマンションのひとつに住むことになったからだ。

 

 ダンボールに荷物を詰めながら、葉名は言う。


「二人で片付けてると、脱線しがちで、なかなか片付かなかったですけど。

 楽しかったですね」


 お互いの過去を振り返りながら、片づけているうちに、距離が縮まっていった気がする、と言うと、准も言う。


「そうだな。

 俺もいろいろと昔のことを思い出したよ。


 小さかったお前のこととか、格好良かったお前の兄ちゃんのこととか――。


 あと、お前の両親のこととか。


 そしたら、いろんな人に大事にされて、此処まで育ってきたお前を大切にしなきゃなって、改めて思ったよ」


 パキラとガジュマルとクマを見ながら、少し笑って准は言う。


「そういえば、お前を手に入れることは、運気を上げるための手段だったはずなのに。


 いつの間にか、お前自身が目的になってたな」


 いや、そもそも、私を手段にしないでください、と思いながらも、葉名は赤くなる。


「私も今は思っています――。

 おばあさまや、ご両親、会長たちが大切に見守ってきた貴方を大事にしなきゃなって」


 そんなことを言っているうちに、なんだか泣きそうになった。


 見てもいないのに、走馬灯のように蘇ってくる。


 両親や祖父母に大切に育てられたであろう、幼稚園の准。


 小学生の准。


 ――いや、それは見たか。


 中学生の准。

 高校生の准。


 初めて彼女が出来た准。


 いや、そこは殴りたい……。


 大学生、そして、今の准を支え、見守ってきた家族のことを思って、泣きそうになる。


 わずかににじんだ葉名の涙に気づき、

「莫迦か」

と准が梱包する手を止め、ぬぐってくれた。


「泣くのは結婚式にしろ」

とやさしく笑う准に、葉名は言う。


「いや、それが式のときって、意外と泣けないらしいです。

 朝から準備で忙しくて。


 従姉のおねえちゃんなんか、式までに痩せるだろうと思って買った小さめのコルセットのせいで、息もできなくて、死にそうで、なにも感動できなかったと言ってました」


「……お前の親戚はそんな感じの奴ばっかりか」

と陽子を思い出してか、准は言ってくる。


 だが、そこで、よしっ、と葉名を抱き上げた准は、

「お前は小さめのコルセットは買うなよ。

 来週までに痩せるはずないからな」

と笑って言ってくる。


 いや、来月でも痩せませんよ。


 ええ、きっと……、と思っていると、そのまま寝室に行きかけた准が、ふと足を止め、振り返った。


 食器棚と壁の隙間に畳んで立てかけてある古いダンボールを見ながら言ってくる。


「呪いの箱なんかじゃなかったな」

「え?」


「いっぱい思い出がつまってた――」


 そう言い、少し笑ってキスしてきた。





「……小さめのは選んでないんですよ。

 でも、なんだか肋骨が折れそうです」


「普段ゆるゆるの服ばっかり着てるからそう感じるんでしょー」

と水色のミニのドレスを着た陽子が言ってくる。


 次の日曜日、真っ白でシンプルなウエディングドレスを着た葉名は植物園に立っていた。


 だが、気分的には、石膏像にでもなった感じだ。


 身動きがしづらい。


 此処は宇宙だろうか。


 なにか呼吸がしにくいんだが、いろいろと締まりすぎてて、と思っていると、その石膏になった葉名に向かい、父、龍彦たつひこが言ってきた。


「おお、葉名。

 綺麗だぞ。


 私にそっくりで――」


 いや、そこは、若い頃のお母さんに、でしょうが。


 私は貴方のような邪悪な顔はしていませんが、と思ったのだが。


 今日、このめでたい席で揉め事を起こすのもなんなので、葉名は真っ白な薔薇のブーケを握り締め、ぐっと耐えていた。


 瑠璃子が作ってくれた生花の可愛らしいブーケだ。





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