第15話 合理的に狂っていく世界(前編)

「えっと、何から聞いていいんですかね……」


 ここのところ、王から結構重いことやびっくりなことを聞いてしまった。


 王は健康で処刑される予定もないのに、死の恐怖に怯えているということ。

 王はサファヴィー教団教主の奇跡なるものを行えるけど、それは結構合理的なものだということ。

 そういうことをやっているサファヴィー教団は最初はまともだったけど、次第に狂った教団になったということ。

 そのことと、王自身が死ぬのが怖いということが関係あるらしいということ。


「サファヴィー教団の話でもしようか」

 珍しく王の方から話始めた。


「時々誤解されるが、サファヴィー教団はそこまで新しいものではない。まして、父が作ったものでもない」

 それは、先ほど王が「初期のサファヴィー教団」「先祖」と語っていたことからもわかる。

 かといって初期の話なんて全然知らない。

「いつ頃からあるんですか?」

「だいたい、オスマン帝国の建国より少し後くらいだ。今から200年くらい前になるかな」

 そこまでだとは思っていなかった。精々100年くらいかと……。


「だから、今から話すことは、私が直接知っているわけではなく、歴代教主の手記などいろいろな記録から推測したことも多い。そういうものとして聞いてくれ」

「はい」


 王は、従姉が語ってくれた物語のようにではなく、報告書でも読むように語り始めた。


「記録を読む限り、サファヴィー教団はかなり合理的な医療活動を行っていたと思う。悪魔祓いなどと記録されているが、内容はさっき君にやったようなものだ。心と体が連動して起こっている病を身体的な刺激から治していく……だからこそ、狂っていったのだ」

「なんで合理的な医療活動をしていたら狂うんですか?」


「そうだな、それを説明するより、さっき、何故君が治ったか、思い出してみてくれ」

「王が手を握ったから……?」

「……それだけか?」

「俺が、王に言われた通りに心の中で復唱したから……?」

「そういうことだ。結局あの種の治療はこちらからの働きかけに患者自身が応えてくれないと成立しない。では何故、君は私の言うことに従ったのだ?」

「えっと、それは……あのときは混乱して誰かわかってなかったけど、やっぱり普段から一緒にいる信頼できる人だという認識くらいはあったからだと思います。俺は人質だけど、あんたはいつも誠実に対応してくれている。そういう信頼関係の積み重ねがああいう時に出たんだと思います」

 信頼関係。割と普段からそういうのがあると感じているけど、口に出していうと、なんか照れくさくて、客観的な事実についての観察のように言葉を連ねてしまった。

「……もう、笑わないで下さい」

 人に照れくさいことを言わせておいて笑うな。


「そう、信頼関係。これが重要になるのだが、不特定多数の人間と信頼関係を築くのは難しい。しかし、信頼関係の代わりに、あるいはそれ以上に効果を発揮するものがある」

「何ですか」

「実績に基づく権威だ。サファヴィー教団の教主のところに行ったら病気が治った、そういう実績が積み重なれば、初対面であっても、心を開いて治療に応じてくれる。だから、治る」

「いいじゃないですか」


「だが、この治療法は経験的な合理性はあっても、論理的な合理性はない」

「駄目なんですか?」

「治療を受けた者が勝手な理由付けをする。サファヴィー教団の教主は救世主だ、とか」

「ああ……わかります。俺ですらちょっと思ってしまいましたから。でも、俺にしたように説明したらいいんじゃないですか?」

「数千人を相手に?」

「一対一じゃなくても何とかできるでしょう。説明が面倒だから、そのまま救世主になっていったんですか?」

「それもあるだろう。だが、最大の理由は、その方が治療効果が高まったからだと思う」

「なんで高まるんですか」

「簡単な話。さっき言った通り、信頼関係や権威が重要だからだ」

「でも、その権威って……なんか変じゃありませんか?」

「ああ、変だ。誤った思い込みだと思う。だが誤っていようが何だろうが、何かを思い込んだ人間は、強くなる。病気が治るだけではなく、教団を迫害する者に対して武器を取って戦ったりする。こうして、君が知っているような狂った教団になっていった」


 そう、俺の聞いているサファヴィー教団は暗殺集団だった。

 迫害者を誅殺するといって、白昼堂々帝都の高官が殺されたりした……曾祖父の時代だったか。

 人の病を治したいという思いがそんな風に歪んでいったのは、何だかやりきれない。


「なるほど……でも、まだわからないのが、無謬の救世主ってやつ……王の父上がチャルディラーンで敗れるまで、それまでの教主は無謬だったのですか?」


 暗殺者たちが神の化身、救世主と崇めたイスマーイール1世が俺の祖父にチャルディラーン平原で敗北したこと、それによってかの王が無謬の救世主ではなく、一人の敗者となっていったこと……従姉が何度も話してくれた物語だ。だが、今の話だと、そうやって神格化されたのはイスマーイール1世が生まれるよりも前からだろう。じゃあ、それまでの教主は何代も、何十年も過ちなく教団を率いてきたのか?その方が驚きだ。


「ああ、無謬だった」

 王はあっさりと断定した。

「なんで断定できるんですか」


「君の思っている無謬と、私の言っている無謬の意味が違うからだ。サファヴィー教団の教主の無謬性は、戦いに負けたことがないとか、そういう意味ではない。潔白で落ち度がないという意味だ。サファヴィー教団にはチャルディラーンの戦いよりも酷い敗北は多くあったが、そのたびにそれを神が与えた試練という名の恩寵として捉えた。これはおそらく、ユダヤ教の世界観に影響を受けているのだろうか?」

 王は冷静に分析して俺に振ってきた。

 うん……ユダヤ教……似てないとも言えないな、その発想。影響関係はよくわからないが、災いをも恩寵と捉えたら何が起こっても立ち直れる。しかし、下手をしたら失敗から何も学ばないことにもなりうる。


「まあともかく、無謬の救世主は戦いに負けたり、信徒に叛旗を翻されたり、教団本部に放火されたりいろいろあったが、それでも過ちはなかったのだ、すべては試練という名の恩寵だったから」

「じゃあ、チャルディラーンの戦いでうちの祖父に負けたことだって、神の恩寵じゃないんですか?」


「従来ならそうだったはずだ。しかし、あのときは既に教団ではなく、国家になっていた。征服した地にはサファヴィー教団とは関係ない者も多い。あの大敗は古参の信者にとっては救世主への恩寵としての試練であっても、普通の兵や民にとっては指揮官である王の采配の誤りだ」

「なるほど……しかし父上にお厳しい」

 別に非難したわけじゃないが、王は少し考えたように間を置いて、また続けた。


「まあ。だが、父もある意味犠牲者だったと思っている。幼くして父や兄を殺され、代わりに救世主であることを強いられ、それ以外の生き方など選びようがなかったのだから。チャルディラーンの敗北を神の恩寵と捉えられず心を病んでしまったが、もし恩寵と捉えていたならば、更なる狂気に国を導いていただろう」


 ああ、そういうことか。王が敗戦の衝撃で病んで政務を放棄するなんて、俺たちの感覚からしたらとんでもないことだ。オスマン帝国の皇帝がそんなことをしようものなら、俺の曾祖父のように廃位されて強制的に“病死”させられたりするだろう。だが、サファヴィー朝にとって、「救世主への失望」が教団の狂気からの脱却の足がかりとなったわけだ。

 そう思うと、イスマーイール1世は教団と国家の間で潰れることが必定だったということか。

 何だか、やりきれないな。


「王はサファヴィー教団と袂を分かちながらも、教団のことを調べているのは何故ですか」

「理由はいろいろある。先祖について知りたいという個人的な思いもあるが、やはり、サファヴィー教団の行っていた治療を医学の中に位置づけたい。そして、教主でなくても誰でも行えるように治療法を体系化し、病院を作れたらいいな」

「いいですねえ……」

 本当、いいと思う。ああいう治療がもっと進んで、普通の病院で治してもらえたら、たくさんの人が救われる。

 ふと自殺した弟の顔がちらつく。

 もしかして、そういう病院があれば、死なずに済んだのかな。


「いいだろう?だが、金がない」

 王は身も蓋もないことを言った。

「金ですか……」

「……君は金に困ったことがないだろう……」

 確かに、金に困ったことがない俺は、金のことばかり言うやつを卑しいと思ってしまう節がある。


「でも、なんで王が金に困るんですか」

「王だから困るのだ。限られた予算をあちこちに振り分けなければならない。余るなど余程のことだ」

 要するに俺が金に困ったことがないのは、そういう大きな仕事を任されたことがないからなのか……。

「それでうちの父から身代金を巻き上げようと……」

「そう。20万アクチェから40万アクチェにつり上げたおかげで、いくらか研究に回せる。ありがたいことだ」

 金の話になると嬉しそうにするこいつはやっぱり守銭奴だ。金は一番大事なものじゃないぞ。でも、考えてみれば君主と民の結びつきって精神論じゃなくて、金とか土地とかそういうものだ。そういうことをちゃんと考えてなかった俺は、本当君主にならなくて正解な王族だ。


「まあ、君に言われたとおり、欲を出したおかげでおかげでつらくなってしまったが」

「ですねぇ……」

 俺は曖昧に流したが、結構複雑な気分だ。

 正直ちょっと嬉しい。俺が死んだら悲しいって、王がはっきり認めてるわけだから。

 かといって、俺が死なずに済むわけじゃないから、悲しんでもらったところでどうにもならない。

 話題を戻そう。


「ま、それはおいておいて、王を見直しました」

「そうか?」

「ええ。だって、先祖のやってきたことをそれだけ冷静に分析して、更にそれを未来に活かそうとしているってすごいと思います」

 これは本心。なかなかできることじゃない。

 しかもそれと同時にオスマン帝国との和睦なんかも成し遂げている。


「物事を醒めた目で見ているからかな……」

 王は何故か寂しげに笑った。

「駄目なんですか?」

「駄目ではない、王としてはそうあるべきだ」

「人としては?」

「何でも合理的に考えてしまう」

「だから、駄目なんですかそれは」

「普通は駄目ではない」

「王は普通じゃないんですか?」

「多分」

 多分って何だよ。というか、全体的に何なんだよ。


 何だろう、ひっかかる。

 サファヴィー教団の話は自分から語ってきたけど、ここから先は語っていいのか、俺の反応を見ながら探っているような感じだ。


「何なんですか」

「誰にも言わないか?」

「言いません」

「寝言でも言わないと誓えるか?」

「いや、それはちょっとわかりませんけど……」

 でも、衛兵は寝言を聞き取れるような距離にはいないぞ?

 というか、何なんだこの念押しは……。


「まあ、寝言なら許容範囲か……」

 王は苦笑して、人払いをし、扉をしっかりと閉じた。

 何だ?一体何が起こるんだ?

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