あとがき
『バヤズィット王子の処刑』、お読み頂き、ありがとうございます。
この話を書こうと思ったきっかけは、いくつかあるのですが、その一つがこの話の親世代を題材にした小説『羅針盤は北を指さない』の中で、「サファヴィー朝に逃れたオスマンの王子バヤズィットが処刑される」というエピソードを誤って入れてしまったことです。それは『羅針盤~』のあとがきで書いた通り、あの話の中で必要なフィクションとして残すことにしたのですが、実はずっと気になっておりました。
また、外国に亡命したオスマン帝国の王子としては、このバヤズィットの曾祖父の弟にあたるジェム王子(本編にもちらっと出てきましたが)がいます。バチカンで「客人」として過ごし、チェーザレ・ボルジアらと親交のあったジェム王子はドラマとしてとても魅力的で、いつか書きたいと、今も思っています。
しかし、敢えてジェム王子ではなく、バヤズィット王子の方を書こうと思ったか、なのですが、やはり、ディスカッションを中心にしたかったのです。他の小説でもやっていますが、私は短編を書くとき、登場人物二人が何かについて議論をする形が好きなのです。
で、とりあえず、ディスカッションさせてみて、形になりそうなら小説にする、ということにしてるんですが、ジェム王子&チェーザレ・ボルジアバージョンだと、ジェム王子が享年36歳であることから、16歳年下のチェーザレはMAXで20歳にしかできないんですよね。20歳って、やはり死の意味を論じるには幼いと思うのです。
まあ、彼らには別の舞台があるだろう、ということで、バヤズィット(35歳)&タフマースブ(45歳)にディスカッションをさせてみました。
バヤズィットに関しては資料も少なく、結構想像の余地がありました。
いくつか、史実として伝わることと違う点について解説しておきます。
この話で書いた通り、スレイマン帝は40万アクチェの支払い、バヤズィット王子の処刑を以て、サファヴィー朝と停戦します。
ただ、この「停戦合意」を以て、バヤズィットの待遇は「客人」から「罪人」となり、バヤズィットは処刑まで獄中で過ごすこととなります。
オスマン帝国で「罪人」とされた人を「客人」として扱うことは、オスマン帝国皇帝のメンツを潰すことになるので、これは当時の常識からしたら、当然のことです。
しかし、スレイマン帝自身が何度もバヤズィットに手紙を送り、二度と会えないことを嘆いたという話も伝わっているので、できることならば、このように、最後まで大事にされて欲しかったのではないか、と。で、スレイマン帝がそれを望んだとしたらそうした待遇をするということはあり得るだろう、ということで、このようにちょっとしたフィクションにしました。
また、初期のサファヴィー教団についてもフィクションです。ただ、宗教における「奇跡」というのは案外、心理学的に合理性のあるものも多いので、現代の臨床心理学で行われている治療法などを参考にさせていただきました。
結果、歴史の事実をなぞるというより、死や、自分と異なる価値観の人とどのように関わるかなどの普遍的なテーマを扱う現代小説のようなものになりました。
これを書くにあたって、影響を受けたのがオルハン・パムクの『私の名は赤』という小説です。16世紀後半(この話の少し後)のオスマン帝国・サファヴィー朝を舞台にした歴史小説で、ノーベル賞受賞前に世界的にヒットした作品です。イスタンブルの絵描きの中で殺人が起こり、その謎を解いていくミステリーなのですが、本人が画家を目指していたというだけあって、遠近法を巡る議論など、とても楽しく読みました。絵描きなタフマースブが絵心のないスレイマンの葬儀に『王書』の写本を贈るなどのエピソードも紹介されており、本当は入れたかったのですが、それはバヤズィット死後の話なので、ここには入れられませんでした。
また、アクチェの価値がどれくらいかということについては、オスマン文学者でオルハン・パムクの翻訳も手がけておられる宮下遼氏の『多元性の都市イスタンブル -近世オスマン帝都の都市空間と詩人、庶民、異邦人』(大阪大学出版会、2018)を参考にさせて頂きました。
6月下旬から連載を始め、いろいろ考えているうちに、トルコ旅行中に完成するということになりました。バヤズィットのことを考えながらイスタンブルを歩き、カフェで推敲し……というのはなかなか新鮮な経験でした。
関連作品へのリンクです。
『羅針盤は北を指さない』
一番最初に書いたオスマン&サファヴィーもので、この二人の親世代です。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054884955363
他もいろいろありますが、多くはスレイマン大帝とイブラヒム・パシャの話です。
おつきあいありがとうございました。
バヤズィット王子の処刑 崩紫サロメ @salomiya
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