皇帝になれなかった王子は死ななければならない。
生まれながらにそんな運命を定められた王子バヤズィット。
最後に残った一歳上の兄の取り巻きにより、望まぬままに反旗を翻した形になり、国を追われ、敵国の王の下に保護される。
多額の身代金と引き換えに優雅な軟禁生活を送りながら、その王と過ごすうちに、死ぬことなどなんとも思っていなかったはずの彼に変化が起きていく……。
定められた死の運命に、面と向かっては逆らわず、
俺の死は悲劇なのだが、俺はそれを笑う。
俺は凡愚だが、やっぱり特別な凡愚なのだ。
それは譲れない。
と、その死と向き合っているようで向き合っていない彼に、特別な死などない、むしろ地震で死んだ平民だって非業の死だと突きつけながらも、優しく見守ってくれる王との対話で物語が進んでいきます。
非常に重いテーマなのに、基本的には軽妙なバヤズィットの語り口調のおかげで暗くなり過ぎず、というかむしろところにより爆笑してしまうのに、それでも彼が本当に「生きたい」と気づいた時の叫びなどは本当に胸を打たれました。
いつ死んでもいい、というのは生きるということについてわかっていない、という彼の言葉がぐっさり突き刺さります。
運命に抗わず、それを受け入れながらも変わっていく彼と、それを見守る王のなんとも美しくも切ない最後のシーン。
穏やかなのに、どこかぴんと張り詰めた糸のような、そんな印象を受ける素晴らしい作品。凄いものを読んでしまったなあと思いました。
おすすめです!!
何度もレビューを書こうとして、何度も書けない……となり、読了から32時間ほど経過したいまになってようやくキーボードをカタカタしています。
……が。やっぱり書けない……!!
おわかりいただけますか……おわかりいただけますかこの感覚、この思い……!!胸がいっぱいすぎて言葉がなにも出てこないんですよ……!!
私とて物書きのはしくれ、なんとかこの作品の素晴らしさをお伝えしようと思ったのですが……
ム リ !!
だってほらぁぁああ!!こうやってタイピングする間にもまた涙がぁあああ!!これほんとの話ですよ。ほんとの話ですよ!?
というわけで、なんかもういろいろと諦めて、素直に現状を暴露することにいたしました。伝われ、この思い。
最初から提示されているように、この作品の最後には死が待っています。
そこに向かうまでの、死ぬ運命にある王子とその処刑を引き受けた王の語らいの日々。
ほとんどその2人がおしゃべりしてるだけなのに、なんでこんなにいろんな感情が胸のなかを渦巻くのか……!!
もうやだぁ……やめてぇ……ああああぁぁぁ……!!
でも。
でも!!
決して悲劇ではないんです。
それが素晴らしいんです。
だからといってこの「皇帝になれなかった王子は死ぬしかない」という制度を正当化しているわけでもなく。
だから……!!とにかく……!!
わかってくれこの思い……!!!!
というわけで読んでくださいお願いします……そして私の代わりにレビューを書いてください……私にはもう……これしか言えない……
この物語を更新のたびにずっと楽しみに拝読し、いま最終回を読み終えたところであるが、心に何とも言えずあたたかな潮が満ち、いっぱいとなって言葉が押し流されていってしまった。
オスマン帝国最盛期のスルタン・スレイマン1世の王子バヤズィットは、身に覚えのない謀反の罪を着せられ、父祖の宿敵であるサファヴィー朝に逃げ込んだ。その主はタフマ―スブ1世、彼はカリスマ性溢れる建国者イスマーイール1世の息子に当たる。そして、彼とバヤズィットの父帝は、関係修復の代償としてバヤズィット処刑の約束を取り交わす。
もとより「兄弟殺し」の慣習を持つオスマン帝国の王子であるバヤズィットは、この「約束」によってまさしく期限付き――ラマダン明け――の生命を異郷の地で終えることになるだろう。
かくして、敵国の宮中でバヤズィットは敵国の王と生活を共にすることになった。神を信じる前者、信じない後者。殺す者、殺される者。2人はある時は食事を取りながら、ある時は寝台に横たわりながら会話を交わす。対峙し、共感し、反発しつつ……。こうした対話や内省のなかでバヤズィットは来し方を振り返って家族を思い、現在目の前にいるタフマースブやその家族を観察し、来るべき未来について考える。
なぜ死ななくてはならないのか、なぜ生き続けていくのか?神を信じるということは?あるいは信じないということは?
哲学的神学的な問いが2人の間を往来して化学反応を起こし、2人を変える。だが時は、処刑に向かって淡々と流れていく……。
宮中といういわば密室で2人の会話劇が中心になるが、話の広がりと深さに惹きこまれ、人物たちの情愛に心打たれ、また苦しみと葛藤に時に心を痛めながらも読みすすめ、最終回は落涙を禁じえなかった。もっとも、これはバヤズィットの見出したものに安堵し、共感しながらのいわば嬉し涙である。
本作も含め、この作者さんの作品はその高い知識と教養、そして現在の私達でも共感できるリアルさでもって歴史世界とそのなかで生きる人物像を創造し、私も感服して拝読してきたが、そのたびに落ち着き安心するのが、物語の伏流水となる「優しさ、温かさ、寛容さ」だと思う。彼女の魅惑的な小説の数々をもっと多くの人に知っていただけたらと、強く願う次第である。
死が決まっているバヤズィット、死をもたらすタフマースブ。
信仰を持っていると言うバヤズィット、信仰など持っていないと言うタフマースブ。
この二人の会話が中心に置かれた架空歴史作品です。
この作品が提示しているテーマの一つは、避けられない死を前にした人間が気持ちの折り合いをどうつけていくかだろう。
親であれば子供という存在に、何かを成し遂げた人であれば業績に、いろんな立場の人がいろんな理由をもとに自身の死に折り合いをつける。
それをバヤズィットは、タフマースブの在り方を見て、また彼との会話を通して自身を成長させて見つけていく。
バヤズィットは、関わりの中で生じた繋がりによって多くの人に残した自分というところに、折り合いをつけるための幸せを見つける。
折り合いまで彼を導いたのは信仰。
理不尽な死を受け入れるためには、それしかなかった。
信仰というと、自分なりの宗教観を持ち、ある種の思考停止した姿勢をもたなければならないように感じるものだが、バヤズィットはそうではないと言う。
「何とかなる、は信仰。願望は、祈り。」
何とかなるという根拠無き期待が信仰であり、願うことは祈りなのだと言う。
ああ、確かに、全ての期待に明確な根拠を保っているわけではない。
自分の力ではどうしようもないことには願ってしまう。
その姿勢は思考停止ではない。
人知の及ばないところに信仰や祈りが必要となるのだと言う。
作品ではバヤズィットの死の瞬間までは描かれていない。
だが綺麗に折り合いをつけて彼は死んでいくのだろうと読者へ想像させる。
そこに切ないストーリーでありながら、生を潔く感完結させる幸せを持ち得たバヤズィットへの羨ましさを感じさせられる。
重く難しいテーマを、過不足なくサラッと扱われている作者さんの知識と構成に驚く。