生を完結するための繋がり


死が決まっているバヤズィット、死をもたらすタフマースブ。
信仰を持っていると言うバヤズィット、信仰など持っていないと言うタフマースブ。
この二人の会話が中心に置かれた架空歴史作品です。

この作品が提示しているテーマの一つは、避けられない死を前にした人間が気持ちの折り合いをどうつけていくかだろう。
親であれば子供という存在に、何かを成し遂げた人であれば業績に、いろんな立場の人がいろんな理由をもとに自身の死に折り合いをつける。
それをバヤズィットは、タフマースブの在り方を見て、また彼との会話を通して自身を成長させて見つけていく。
バヤズィットは、関わりの中で生じた繋がりによって多くの人に残した自分というところに、折り合いをつけるための幸せを見つける。

折り合いまで彼を導いたのは信仰。
理不尽な死を受け入れるためには、それしかなかった。
信仰というと、自分なりの宗教観を持ち、ある種の思考停止した姿勢をもたなければならないように感じるものだが、バヤズィットはそうではないと言う。

「何とかなる、は信仰。願望は、祈り。」

何とかなるという根拠無き期待が信仰であり、願うことは祈りなのだと言う。

ああ、確かに、全ての期待に明確な根拠を保っているわけではない。
自分の力ではどうしようもないことには願ってしまう。

その姿勢は思考停止ではない。
人知の及ばないところに信仰や祈りが必要となるのだと言う。

作品ではバヤズィットの死の瞬間までは描かれていない。
だが綺麗に折り合いをつけて彼は死んでいくのだろうと読者へ想像させる。
そこに切ないストーリーでありながら、生を潔く感完結させる幸せを持ち得たバヤズィットへの羨ましさを感じさせられる。

重く難しいテーマを、過不足なくサラッと扱われている作者さんの知識と構成に驚く。

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