心にあたたかな潮が満ち、何も言えなくなる。

この物語を更新のたびにずっと楽しみに拝読し、いま最終回を読み終えたところであるが、心に何とも言えずあたたかな潮が満ち、いっぱいとなって言葉が押し流されていってしまった。

オスマン帝国最盛期のスルタン・スレイマン1世の王子バヤズィットは、身に覚えのない謀反の罪を着せられ、父祖の宿敵であるサファヴィー朝に逃げ込んだ。その主はタフマ―スブ1世、彼はカリスマ性溢れる建国者イスマーイール1世の息子に当たる。そして、彼とバヤズィットの父帝は、関係修復の代償としてバヤズィット処刑の約束を取り交わす。

もとより「兄弟殺し」の慣習を持つオスマン帝国の王子であるバヤズィットは、この「約束」によってまさしく期限付き――ラマダン明け――の生命を異郷の地で終えることになるだろう。

かくして、敵国の宮中でバヤズィットは敵国の王と生活を共にすることになった。神を信じる前者、信じない後者。殺す者、殺される者。2人はある時は食事を取りながら、ある時は寝台に横たわりながら会話を交わす。対峙し、共感し、反発しつつ……。こうした対話や内省のなかでバヤズィットは来し方を振り返って家族を思い、現在目の前にいるタフマースブやその家族を観察し、来るべき未来について考える。

なぜ死ななくてはならないのか、なぜ生き続けていくのか?神を信じるということは?あるいは信じないということは?

哲学的神学的な問いが2人の間を往来して化学反応を起こし、2人を変える。だが時は、処刑に向かって淡々と流れていく……。

宮中といういわば密室で2人の会話劇が中心になるが、話の広がりと深さに惹きこまれ、人物たちの情愛に心打たれ、また苦しみと葛藤に時に心を痛めながらも読みすすめ、最終回は落涙を禁じえなかった。もっとも、これはバヤズィットの見出したものに安堵し、共感しながらのいわば嬉し涙である。

本作も含め、この作者さんの作品はその高い知識と教養、そして現在の私達でも共感できるリアルさでもって歴史世界とそのなかで生きる人物像を創造し、私も感服して拝読してきたが、そのたびに落ち着き安心するのが、物語の伏流水となる「優しさ、温かさ、寛容さ」だと思う。彼女の魅惑的な小説の数々をもっと多くの人に知っていただけたらと、強く願う次第である。

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