第11話 生きたい
陽が落ちて外では歓声が上がる。断食明けだ。
王は長い指を
「そうか。君も人間ではなかったのか……だが、薄々気付いていたような気がする」
生け贄を屠るようにカヴンを食べる王の姿は、暮れの光とも相まって禍々しい美しさだ。
45歳の男が果物を食べているだけで美しいとか、なんかずるい……。
「何と……やはり魔族の王は眷属を見抜いておいででしたか」
「まあな」
「茶化さないで下さい」
「先に茶化したのはそっちだろう」
ん?そうか?そうだったかな。
「いや、真面目な話」
王はいつもの通り、退屈な顔で言った。
そうだよな。冗談を言うようなやつじゃない。
「へえ……じゃあ、俺のどういうところが人間じゃないって思ったんですか?というか、今は俺のこと、人間だと思っておられるのですか?」
「そうだな……最近人間らしくなってきたように思う。もっとも、何が人間らしいのかはよくわからないが」
「俺、わかりましたよ、やっと」
そう、ずっと目を背けてきたこと。
それを自覚してしまったから、どっと疲れが出て寝てしまったんだ。
「聞きたいですか」
「ああ、聞きたい」
王は淡々とカヴンを食べ続けている。
最初、これは二人分にしちゃ多いだろうという量が盛られていたが、もう半分くらいになっている。
こんなに食べたら断食明けのご馳走が入らなくなるじゃないか。
「……どうした?話したくはないか?」
カヴンをじっと見つめたまま黙っている俺に、王は聞いた。
「いや、そうじゃなくて、夕食のことがちょっとだけ気になりまして」
「……夕食も運ばせよう」
王はそう言ってすぐに人を呼んだ。
まあ、この部屋、豪華だし広いし、ご馳走を並べるのは余裕だけどな。
「はい、それでは頂きましょう」
こっちでの生活に馴染み、主のように食事を促す俺に、王はふっと笑った。
「流石にカヴンでは腹は膨れんな」
「はい。しっかり食べて断食に備えて下さい」
まあ俺は日中食べるけど、それでも断食月の夕食は特別だ。
「やっぱり俺、羊肉が一番好きです」
しばらく黙々と食べ続けて、ふと口にした。
牛や鶏もいいんだけど、クセが強い分、香辛料と上手く噛み合った時の味は、羊が最高だと思うんだ。
「……それが、結論か?」
「……え?」
王が神妙な顔で聞いてきたのが、一瞬何のことかわからなかった。
「だから、君が人間であること」
「え、何言ってるんですか……」
ひとしきり食べてからその話をしようと思ってたんだ。
「そうですね、でも羊肉も関係あるかもしれません」
そう言われてみれば、これもそうだ。関係ある。
「さっき、地震があったじゃないですか。俺、あのとき絵を描いてたんですけどね、本当怖くてたまらなかったんです」
「そうだな。私が見に行ったときもかなり顔色が悪かった」
「でも、揺れたことが怖かったんじゃないんです」
王が「地面が揺れるのは理屈抜きに怖い」と言っていたことを思いだした。それじゃないんだ。
「俺、死にたくないんです」
それから、もう一度息を吸って言い直した。
「俺、本当は生きたいんです。もっと絵を描きたいし、羊肉だって食べたい。でも、さっき、死ぬのかって思って、怖かったんです。普通、人間は死にたくない、生きたいって思うもんでしょう。それに気付いた俺はやっと人間になれたんです」
王は表情を変えなかった。反応に困っているのだろうか。
そりゃ、今まで飄々と死を受け入れていた人質がこんなこと言い出したらどう言葉をかけていいか困るだろう。
でも別に、困らなくてもいい。
「いや、違うんです。これは、俺にとって喜ばしいことなのです」
「何故、喜ばしいのだ?」
意外か?別に、奇をてらって言っているわけじゃない。
すごく、普通のことだ。
「だって、今まで死にたくないと感じたことがなかったのは、生きている今を大切にしてこなかったからだと思うんです」
「生きている今を大切に……」
「そう。絵を描いたり、こうやっておしゃべりをしながら食事をしたり、ずっと当たり前に思ってたんですけど、すごいことだと思うんです。生きているってそれだけで奇跡みたいに尊いって。人間ってどっかでそれを感じるから、死にたくない、生きたいって思うわけです」
ほら、ものすごく普通のことを言っているじゃないか、俺。
何だその目は。何か文句あるのか?
「そうだ、その通りだ。だが……」
何故か王は心配そうに少し身を乗り出している。
「いつも祈りの時に神の恵みに感謝するじゃないですか。結局最大の恵みって、こうやって生かされている、そのことだと思うんです」
「そうだ」
だから、何で青ざめているんだ?
何かおかしいか?
「そんな大切なことに気付かずに、今のこういう時間がどれだけかけがえのないものか気付かずに死んでしまってたら、俺は、本当に不幸だったと思うんです。だから」
何で、いつもみたいに退屈な顔して「そうか」、とか、「よかったな」、とか言ってくれないんだ?
強張った顔で沈黙している王に、少し苛立ちを覚えた。
「だから」
「だから、それを置け!」
王は俺の言葉を遮り立ち上がって、俺の手の中にあった硝子の杯を奪い取った。
破片が床に飛び散り、いくつかのかけらは俺の手の中に残った。
「……砕けてる……?」
何で……?
王はそのまま俺の横に立ち、俺の手の中から破片を奪い取ろうとした。
とっさに俺は抵抗したが、結局、破片を捨て、何故か杯の代わりに王の手首を握りしめた。
王はそれを振り払わずに言った。
「それは細工が施してあるから脆い。そんな力をかけたら割れてしまう」
何……何だよ、そんな力って。俺が一体何を……。
「辛いのだろう?杯が砕けても気付かないくらい握りしめて」
言われて気付いた。手に血が滲んでいる。
そして、杯を砕いたままの力で、どういうわけか王の手首を握りしめている。
「な……何で……」
全身が固まったまま震えてくる。
涙が頬を伝って流れるのに、身体が動かない。
手が、開けない。
「大丈夫だ。私は砕けたりしない」
王はそう言って俺に手首を掴まれたまま、反対側の手で近くの椅子を引き寄せて座った。
「君の時間だ。好きに使え」
一瞬の沈黙があった。
それからしばらくの間に起こったことについては細かく言いたくない。
ただ、言葉にならず 心と全身とで叫びをあげた。
俺は死にたくないんだ。
生きることにやっと喜びを見いだせたんだ。
いや、前から薄々気付いていたのかもしれない。
でも、やっとそれに向き合えるようになったんだ。
それなのに何故死ななければいけないのだ?
意味なんて関係ない。
ただ、生きたいんだ。
それでも死ななければならない。
そんな時、人はどんな行動をすればいいんだ?
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