第5話 父王の黒歴史
「その後、どうなりましたか?」
いつものように、夕食を取りながら、王に聞いた。
「地震のことか?」
「はい」
「大きな問題はない。私の工房で積んでいた画材が崩れたくらいだ」
「……そうですか」
王はそのまま食事を続けた。俺も、食事の方に夢中になった。
今日もサフランで味付けた米が美味い。
これ、肉にも合うけど、魚でもかなりいける。
で、相変わらずこいつは面白い話をしない。
……あれ?
「え? 工房? 画材? 絵を描いておられるのですか」
ちょっと間の抜けた時間の空き方だが、つっこまずにはいられない。
こんな退屈そうな顔して、絵なんて描くのか。
「ああ。細密画というものを少々」
細密画か。ペルシアとかそっち方面の画法で、祖父がタブリーズを占領した頃から、うちの国にも入ってきた。
うちの親戚のキリスト教徒が描くような聖像画ともちょっと通じるところがある。
人物や物語を細かな筆致で描くやつだ。
イスラーム教徒はこうした絵を好まない、と言われるが、そうでもない。
俺も好きだし、帝都にはそうした絵を描く奴はたくさんいて、本当は絵を習いたかった。
というか、昔ちょっとだけ習ってたんだけど、絵心のない父がろくな師をつけてくれなかったから、俺もやる気を無くしてやめてしまったんだ。
……というのは言い訳だろうか。
とにかく。
「……見たいです」
「……そう言うだろうと思った」
王は、宮殿から少し離れた建物にある、工房に俺を案内した。
「ここで、描いている」
「うわっ、こんな本格的なところで!?」
下絵を描く部屋、色づけをする部屋、金箔を押す部屋……など、多くの部屋に分かれている。
画材も色の種類が多いだけではなく、全然違う表情を出すために使い分けているのだろう。
俺も絵を続けていたら、こういう画材の違いが理解できたのだろうか。
「王は、昔から絵を描く王様になりたかったのですか?」
「絵を描く王様?」
「いえ、別に王様じゃなくても、王族に生まれたら、楽器とか、絵とか、書道とか、いろいろやるじゃないですか。でも、こんな本格的な工房を持っているということは、相当絵がお好きなのかな、と」
「ああ、絵は好きだ。だが、私は、絵を描く王様になりたかったわけではない」
ん、他にも特技が一杯あるということか、羨ましい奴め。
「……何になりたかったのですか?」
「人間に」
は?
意外なその答えに、俺は、間抜けな反応をするしかなかった。
「……前は魔族か何かだったのですか?」
「……魔族……」
王は苦笑いした。
だって、イスタンブルではそんな風に言われている。
サファヴィー朝というのは、堕天使や悪魔の眷属の国で、恐ろしいところだと。
「近いところだ。父が人間ではなかった。だから私のことも人間ではないという者も多かった」
は?こいつの父って……建国者のイスマーイール1世だが……人間ではなかったのか?
「ああ、君の国では愚かな話だと思うかもしれない。だが、若かった父を救世主と崇める、そういう集団だったのだ。この国の始まりは」
何のことかと思えばその話か。
こいつの父は人間離れした美少年で、10歳の頃からその怪しげな教団を率いていた。
そして14歳でサファヴィー朝を建国したというが、俺が14歳の頃なんて何をしていただろうな。
「ああ、聞いたことがあります。でも、本当は人間なんでしょう?」
「当たり前だ」
「なら、問題ないじゃないですか」
「いや、問題なのだ。うちが12イマーム派なのは知っているな?」
「知ってますけど、中身はよく知りません」
異端、という言葉を何とか飲み込んだ。
「暗殺された正統カリフ、アリーから数えて12代を正統なイマームとするのだが、その12代目は、幼くして“お隠れになった”」
「亡くなったということですか?」
「いや、そのようには考えない。最後の審判の時に再臨する」
「はあ……」
異端の考えることはよくわからない。
ただ、王が言いたいのは、違うところにあるというのは何となくわかった。
「12イマーム派を正統としたのは私だ。それまでは違う」
「そうだったんですか?」
正直、正統教義でさえよく理解していない俺が、異端同士の争いなど知るわけはない。
「つまり、王は、その12代目イマーム様がいずれ再臨すると、信じておられるわけですか?」
「信じていないように聞こえたか?」
「はい、何となく」
直感でしかないのだが、そう聞こえた。
「君たちからすれば、どれも異端なのかもしれないが、私からすると、父は異端者だった」
……うーん、それは何かわかるような。
こいつの父親は自分のことを「救世主」とか言っていた。
いくら異端者でも、自分のことを「救世主」というのはかなりおかしい部類だ。
何故なら、普通の異端者にとって、「救世主」とは最後の審判の時に現れるものだ
あ……。
「もしかして、12イマーム派と主張するのは……」
「私は救世主ではない、普通の人間である、という宣言だ」
ああそういうことか。
こいつの父親イスマーイール1世は、俺の祖父に敗れて以来、引きこもってしまい、表に顔を出すことがなかった。
しかし、多くの者にとって、イスマーイール1世とは「救世主」であり「少年王」であった。
引きこもったのは27歳の時だから「少年」ではなかったのだが。
結局問題なのは「人々の前から姿を消した少年」という印象だけが一人歩きしたことだろう。
「厄介なことに父は10代の頃に自分自身を救世主として讃えた詩を多くつくった。他人事として見れば良くできた詩であるが故に広がってしまい……」
王は大きくため息をついた。
うわっ、それ、自分の親だったら恥ずかしくて顔をあげて歩けない……。
まあ、10代ってそういう痛々しいところ誰しもあるけどな。
それが子の代まで語り継がれると、いろいろ辛そうだ。
「父の死後、10歳で即位した私に、“救世主”であることを多くの者が求めた」
「ええ……もういっそ、そのまま救世主でいっちゃえばよかったんじゃないですか?」
俺は流されやすい方なのでそんな風に考えてしまう。
うん、10歳なら「隠れイマームの再臨」とかそれっぽいし。
「いや、冷静に考えてくれ。救世主というのは過ちがあってはいけない。すべてにおいて完璧でないといけない。私には無理だ」
――私には無理だ
という言葉を、王から引き出せたのは、何か嬉しかった。
こいつは父親と比べてぐちぐち言っているが、俺たちからすると、父親よりもこいつの方が現実的な「宿敵」だ。
長年に渡って戦ってきたのはこいつだし、うちの父から大切な者を奪ったのもこいつだ。
そして今も、俺の身柄を巡って、父を悩ませている。
そんなやつが、俺に弱音を吐くとは、何かいい気分だ。
「なるほどなるほど。苦労なさったんですね」
「……何故嬉しそうなのだ……」
嬉しいに決まっている。
愚痴りたければもっと愚痴れ。
ざまあみろ。
「まあいい。それで、12イマーム派の正統教義で、我が国の状況を整理した」
「整理……」
「隠れイマームはそうそう再臨するものではない。故に、父も私もそのようなものではない」
「ふむふむ」
「私を神や救世主、隠れイマームなどと呼ぶ者は……」
「呼ぶ者は?」
「……暗殺した」
ひぃ!?
ちょっと待て。
「何で、王様なのに、“処刑”じゃなくて、“暗殺”なのですか」
「……力がなかったから。まだ、13歳くらいの頃だったか……」
ひいいい、何かこいつ、退屈そうな顔して小さい頃から壮絶な人生を歩んでるんだなあ。
……いや、ちょっと待て。俺だって、負けてない。
何しろ、俺は、皇帝になれず、処刑される運命を背負って生きてきたんだから。
――特別でないなら、生きる意味はないのか?
王の言葉が蘇る。
そんなこと、言ってない。
ただ、何か自分は特別だって思いたいもんじゃないか?
それが、人から見れば滑稽な矜恃だとしても。
「まあ、父のことはいい……他に質問は?」
何で俺が質問する流れになっているのか、よくわからないが、まあ、いつもそうか。
「質問ってわけじゃないんですけど」
俺は工房を見回しながら、思い切って言葉を吐いた。
「絵の描き方を教えて下さい」
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