第17話 わからなくても
「だから、俺がわかるような話から聞いているんです。地球が丸くて回っているということ、納得できますか?」
これ、昔から言われているけど、どの聖典にも出てこない話。
聖典に書かれていることが神の真理のすべてなのか、という議論のときによく使われる。
でも、俺が誘導したいのはそっちじゃない。
「当然。今時、地は平面で天が動いているなどと、思うか?」
「思う人もいます。西欧では地動説を主張したら宗教裁判にかけられます」
「馬鹿げた話だ」
馬鹿げていると思うかもしれないけど、そいつらは社会規範から逸脱しているから宗教裁判にかけられているという点で、あんたと同じ状況じゃないか?それも言おうかと思ったけど、その話だけで長くなりそうだからやめておいた。
「じゃあ、何故地動説が正しいと思うのですか?」
「単純な話だ。実際に起こっている現象を天動説で説明しようとすると矛盾や破綻が多く、地動説なら矛盾が少ない」
一番簡潔で論理的な答えが来た。
それそれ、そういうのを昔習ったんだよ。
でもすごいなあ、俺にはその答え、さっと出てこない。
「その証明、もうちょっときちんとできますか?数式を使って」
「できるが、筆記具がないと」
立ち上がって筆記具を取りに行こうとした王を慌てて止めた。
「いや、証明はしなくていいです。できるか聞きたかっただけなので」
「……どういうことだ?」
「俺、そういうの苦手なんです、数学とか、天文学とか。全然できないのに勉強させられて、何とか逃れたいと思ったんです」
「家庭教師から逃げたりしたのか?」
「それもしましたけど、父に直談判しました」
「どんなふうに?」
「そうやって神の真理を数式で曝こうとするなんて不届きです、そんなことをしていたら俺はいずれ神を見失ってしまいますって」
よし。少し問題の核心に近付けたか?
「それは、本気で思っていたのか?」
「いや、まさか。本気で思ったのは数学の勉強をしたくないということです」
「じゃあ、君が神を見失ってないのは、数学の勉強をしなかったからか?」
「いや、それが、数学の勉強、やめさせてもらえなかったのです。父にあっさり論破されてしまって」
「どんなふうに?」
「お前がちょっと勉強したくらいで曝けるほど神の摂理は浅くないから、安心して勉学に励め、と」
「君たち親子、面白いな」
……面白いか?
それにしてもやっと少しだけ笑ってくれた。まあ、別に笑わそうとしたわけじゃないんだが。
「でも、もっと勉強したら、神を見失うものなんですか?」
王は、俺の言いたい事を理解したらしい。
「ああ、私が勉強しすぎて神を見失い、更には殺すに至ったのか、と聞きたいのか」
俺に理解できるような範囲だと、そうとしか考えられない。
でも、勉強をしすぎたらどんな風に神を見失うのか、本当はよくわからないから聞きたい。
「そうだな……先ほども言った通り、もともと私はサファヴィー教団とは一体何であったのか、それを明らかにしたかった。そうしていく中で医学を学び、必然的に数学や世界を構成をする元素論や宇宙論も学ぶことになった」
「それで、すべてがわかってしまったから、神がいらなくなったのですか?」
「まさか。私にはそれができなかった。だが、理屈の上ではそうだ。人の知恵を重ねていけば、神がいなくても世界が成り立っている、それを合理的に説明できる時が来るはずだと。そう確信するようになった」
神がいなくても世界が成り立つ。まさにこれは、俺が小さい頃思い描いていた、勉強をしすぎて発狂した人そのものだ。
しかも自分にはできない人間の業を確信する?
それは、一体そういうことなんだ?
で、この後どうしたらいいんだろう。
父の論法を借りて話を進めてきたが、この後、どうすれば?
「君の父上の話では、君には神の摂理を曝くことは無理らしいが、それは君だからなのか?それとも人類全般なのか?」
背伸びをしたらこちらが問い詰められてしまった。
「ちょ、ちょっとわかりません、もしかしたら、父なら何かもっとしっかりした答えをしてくれるかもしれませんが……」
「私とスレイマン帝が、無神論を論じる……政治的に悪用する輩が多そうだ」
王は皮肉な笑いを浮かべた。
うう……でも俺じゃよくわからない……。
勉強しすぎたら神を信じられなくなるか、父はそうじゃないと言いたいはずなんだ。
俺が頭が悪いから無理とかじゃなくて、人類全体が無理だって話のはず。
でもなんでなのかって言われたらよくわからない。
「……君は一体何をしたいのだ」
自分から難しい話をしておきながら混乱している俺に、王は呆れながらも、少し柔らかい声で言った。
何がしたい?
あんたの思考を理解しようと論理的に攻めて失敗してるんじゃないか、だいたいわかるだろう。
理解……?
する必要があるのだろうか。
そう思った瞬間、言葉がほとばしっていた。
「俺、王の言っていること、全然わかりません。神がいなくても成り立つ世界なんて、全然いいと思いません。でも、だからって、俺は王のことを気持ち悪く思ったり、離れていったりしません」
平凡なやつは、自分の理解の範疇を超えたことに嫌悪感を示す。
でも俺はその程度の人間じゃない。
神の否定は俺の感覚では重大な過ちだ。
でも、それを裁くのは俺じゃなくて神であることくらいは知っている。
「そもそも、あんただってわかってないじゃないですか、俺が今どんな思いで死に向き合っているか。ていうか、わかるわけがない。あんたは俺じゃないんだから。簡単にわかるなんて言われたら腹が立つ」
「それはそうだろうな」
「でも」
自分の手を握りしめている王の手に、俺は自分の手を重ねた。
「爪、白くなってます。そういうの見てるとなんとかしたくなるんですけど。あんたが俺にしてくれたみたいに」
俺に言われて初めて、王は自分の手を握りしめていたことに気付いたらしい。
「……ああ、本当だ……偉そうに治療をしている割に自分のことになるとうまくいかない」
「だから、もっと研究を進めて、病院を作るって話でしょう?」
「そうだ。それなのに、何故私がこのように狂っていくのだろう?」
合理的にものを考えると何故神を見失うのか?
そこに因果関係はあるのか?やっぱり俺にはよくわからない。
それに狂うって何だろう?
何故、神がいないなんて狂ったことを考えている人間が、普通に病院を作ったりできるのだろう?
それだけじゃない、こいつ、明らかに俺よりもしっかり日々の礼拝を守っているし、今だって断食を続けている。
神が信じられないなら一体何のために。
ああ、そうか。
――この世界から拒絶されたら、何も残らない。
そういうことか。この世界から拒絶されないために……?
「王は、何が一番つらいのですか?」
「何がって、いろいろと」
「うーん、じゃあ、神を信じられないこと、死が訪れること、世界から拒絶されること、どれが一番怖いですか」
「どれも怖いし、全部関連があるのだが?」
神を信じられないから死が怖い。死後がないから今がすべて。今の世界から拒絶されたら何も残らない。
確かになぁ……これはつらい。
「神と死については俺、どうにもできません。でも、世界は俺がどうにかできませんか?」
「君が世界をどうするのだ」
「あんたのことを、全然理解できないのに、あんたのことを拒絶しない世界。そういうのがあるって、伝わりませんか」
王が前にしてくれたように、手を包み込むように両手で握った。
「……伝わる」
王は、その手を握り返した。
俺が世界の何割かなんて、いいんだ。
王が「伝わる」と言ってくれた。
だから、それでいいんだ。
でも、俺はもうすぐ死んでしまう。
その後、こいつはどうなるんだろう?
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