第3話 命の値段、食事の値段

「あー、暇。何か面白い話して下さい、そういう約束でしょ?」


 白地に12本の赤い線の入ったターバンを巻いた異端者は、少し困った顔をした。


「ああ、確かに、そう約束したから努力はしているが、私は面白くない性格のようだ」


 砂漠での出会いから半年余りが過ぎた。

 あの頃と同じように、相変わらず魔族の頭のようなこの男と一緒に食事をしている。

 黒ターバンにしても、白地に12本の赤い線にしても、イスラームの異端であるシーア派、中でも危険思想である12イマーム派の証だ。

 だが、別にそんなことは構わない。

 こいつは、あの頃と変わらず、俺に美味い食事を出してくれる。


 ただ、いくらか変わったことがある。

 まず、魔族の頭のような男は、何と、本当に魔族の頭だったのだ。

 つまり、俺たちの宿敵サファヴィー朝の王タフマースブ1世であったという、冗談みたいな話だ。

 確かに、この年齢不詳の美貌は、その父“邪悪なほどの美少年”と呼ばれた元祖魔族・イスマーイール1世を思わせる。

 といっても、こいつの父親は俺が生まれた頃に死んでいるから、実際にはよく知らない。


「あの、シャー、ちょっと聞いてもいいですか」

 結局、俺から質問することになる。

「何だ」

「この黄色い米、美味いですね。サフランで味を付けているのですか?」

「そうだ」

 ……何だろう。サフランで味付けた米は何度も食べてきた。だが、これは、格別に美味い。何か隠し味でも使っているのだろうか。

「どういうサフランですか」

「普通のサフランだ」

 ……こいつ、会話する気あるのか?産地とかを聞いてるんだよ俺は。


 だが、俺はこれくらいで心折れたりしない。


「王は、肉に添えるなら米とエキメッキパン、どっちがお好きですか?」

「……米かな」

「ですよねー、俺はオスマン王族として、断然エキメッキ派だったんですよ。だって、イスタンブルのエキメッキは外はカリカリ、中はもっちり、最高なんです」

 イスタンブルでまずいエキメッキを探すことの方が難しかった。

 だが、こっちでは時々まずいのがある。美味いのもあるが。

「……チョルバスープに合いそうだな」

「そう、その通りなのです、チョルバとエキメッキは正義です!宮廷のもいいんですけど、お忍びで街に出て食べる庶民のやつの方が実はもっとおいしいんです。でもこっちに来ると、米に心が傾いてきましたよ。いや、サフランに魅せられているのでしょうか。悩ましい日々です」


 王はふっと笑った。

 ほら、俺は魔族、もとい、敵国の王を笑わせたりできるんだ、結構すごくないか?

 あれだ、「中身が絶世の美女」として、人を笑わせるのが得意だった母の血を、案外受け継いでいるのかもしれない。

 凡愚凡愚と言われ続けてきたが、何かこっちに来てから俺ってすごいんじゃないかと思えてくる。


「……やはり、君が喋った方が面白い」

「いやいや、逃げないで下さい、王。約束は約束」

「ああ。君の処刑の日まで、美味しい料理と美味しい酒、そして私が面白い話を提供すると。そういう約束で、君の父上から40万アクチェを受け取る。はぁ……だが……」


 王は真剣にため息をつく。

 正直、敵国の王が「面白い話ができない」と言って真剣に悩んでいるなんて、十分面白いんだけどな。


「そういや、俺の処刑っていつになりそうですか?」

 俺がこういうことをさらりと聞くことに、王も少しずつ慣れてきたようだ。

「3ヶ月後だ。断食月には処刑はできないだろう。だから断食明けに」

「なるほどー、ということは、毎日の断食明けに更なる豪華お食事が期待できるいうことですな」

「――そういうことだ」


 無実とはいえ、正規軍に攻撃した俺は反逆者であり、処刑は免れない。それはわかっていた。

 ただ、親元で死にたくなかったのだ。それだけを考えて砂漠に逃げ込み、見事この魔族に捕獲され、王都ガズヴィーンで優雅な軟禁生活を送っている。

 ただ、大きな誤算は、金のことだった。


 ――20万アクチェ。


 それが、父の提示した金額だった。

 すごい金額だ。300アクチェもあれば、イスタンブルで一家が一年暮らしていけるというのに。

 俺の身柄を父のところに引き渡すように、ということだ。


 だが、守銭奴の魔族は返事を渋りやがった。


 こいつには、俺を逃がすという選択肢もある。

 俺が、更に別の敵国に逃げ、「オスマン帝国皇帝」を名乗れば、大きな戦争にもなり得る。

 かつて、俺の曾祖父の弟、ジェム王子というのがそんな感じだった。

 敵地であるローマ教皇庁に逃げ込んで、一時期は十字軍の総大将ともなった。

 はっきり言って、「兄弟殺しの掟」なんてのが定着したのは、ジェム王子のせいだと思っている。


 ――30万アクチェ。


 しびれを切らせた父が、そう言ってきたらしい。

 何故か王は俺にその書面を見せた。


 ――30万アクチェで、処刑人をガズヴィーンに送るから、バヤズィットをそちらで処刑してほしい。


 ああ、やっぱり、同じだ。

 父も、俺と同じことを思っている。

 反逆者となった以上、俺は生きていてはいけない。

 だが、俺も父の前で死にたくないし、父も俺が死ぬのは見たくないんだ。

 30万、高くてごめん。本当ごめんだけど、そうして欲しい。

 心からそう思って敵国の王を見た。

 あんたにとって、全然悪い話じゃないだろう。これで、手を打ってくれ、頼むから。


 ――40万で、承諾しよう。


 何故か王は俺に言った。

 は?俺に決定権あるわけ?というか……


 ――上乗せした10万は何ですか。


 王は無表情のまま言った。


 ――君の飲み食いした分……毎日結構いい食材を提供していたと思うが?


 はぁ!?俺の食費!?ちょっと待てふざけんな。


 ――それ、10万もいきません。


 俺はいい加減な人間だが、金と食い物に関してはうるさい。

 何を喰ったらそんな金額になると言うのだ。

 1000もあれば十分だろう。


 ――40万も要求するのなら、ちゃんと見合うことをして下さい。

 ――君に?

 ――死ぬのは俺で、40万アクチェを受け取るのは王なのですよ?少しくらい、俺にも見返りを下さい。

 ――何を要求するのだ?

 ――美味い食事、美味い酒、それを囲んで王が面白い話をしてくれたら、40万アクチェ、払ってあげても構いません。

 ――いや、払うのは君ではなくて君の父上なのだが?


 我ながら、変なことを言っている。

 欲張らずに30万で手を打てよ、そう言えばいいのだが、やはり俺は、試したかったのだ。父を。


 ――だから、父への要求に書き加えて下さい。父は内心俺を殺すことに心を痛めているから、王が俺に優しくしてくれていると知ったら、40万、払ってくれます。

 それで、あんたに何も損はないだろう。

 ――わかった。スレイマン帝の返事を待つ。


 俺は親子の情を確かめるという、非常に身勝手な理由で、オスマン帝国の国庫から金貨10万枚をサファヴィー朝に横流ししようとしている反逆者だ。


 父は、俺のことをどう考えても皇帝には向いていない息子だと思っている。

 処刑されなければならないような状況を作ってしまった俺の甘さに怒っている。

 だが、俺が死ぬ前に美味いもんを喰って生きるために10万アクチェを積むくらいには、愚かな父親だ。


 俺の予想は当たっていた。

 イスタンブルから死刑執行人が送られてきて、俺はそいつらによって王族の礼で処刑される。そして、そいつらは俺の遺体と40万アクチェを持ってイスタンブルに戻る。そういうことに決まった。


 それまで、タフマースブ王が美味いものと美味い酒を出し、面白い話をしてくれるということも決まった。

 王は、食卓に豪華な食事を並べ、「面白い話はできないが」と、食材について説明してくれたりした。


 そんな毎日が続き、今に至る。

 そうか、3ヶ月後、断食明けか……。


「君は、不思議だな」

 吝嗇なのか、敬虔なのか、王は酒を飲まない。

 俺一人酒を飲んでいる横で、冷めたであろう珈琲をちまちまと飲んでいる。


「何がですか」

「もうすぐ処刑されるというのに、君は落ち着いていて、毎日楽しそうだ」


 よくぞ言ってくれた。

 ずっと、そういう風に話を振って欲しかったんだ。


 結局、いつものように俺が王に話をすることになる。

 だが、いつものどうでもいい話とは違う。

 俺がいかに特殊な凡愚であるかを、敵国の王に知らしめるときが来たのだ。

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