第29話 バラと家の鍵


<バラ:薔薇 花言葉:内気な恥ずかしさ>



 雨音が、パタパタと夜道を走る。

 でも窓の外を行く雨粒たちは、この家の周りばかりを走り続けて。

 俺がここから帰ることを邪魔するのです。


 そんな静かな夜だから。

 お互いに、意識してしまうわけで。

 一緒にいたいと思いながら、そうはいかないことにも気付いているわけで。


 いつもと同じ場所なのに。

 いつもと同じ座り位置なのに。


 二人きりの俺たちは、顔を上げることも出来ずに。

 テーブルへ置かれたバラの花を見つめ続けているのでした。



 ………………

 …………

 ……



 予兆は、その時に感じていました。

 いつものように玄関を開こうとしたら。

 珍しく鍵がかかっていたのです。


 もっとも、それは当然のことで。

 母ちゃんはおばさんの付き添いで出かけていて。

 たしか、今夜は帰って来ないのです。

 

 でも、鞄をあさっても、いつもの場所に鍵は無く。

 傘を小脇にどれだけ探しても出てきません。


 まいったな。


 今は鍵くらい持ち歩くから。

 子供の頃の隠し場所は引き払っていたはずで。


 それでも万が一と思いながら勝手口へ向かって。

 雨が少し溜まった、バラ模様のじょうろを覗き込んでも。

 案の定、空っぽだったのです。

 


「こんな日にゴメン、家の鍵忘れた。父ちゃんが帰ってくるまでいさせて」

「かえってありがたいの、こんな日だから」


 そう言ってくれた穂咲は制服にエプロンを付けて。

 お掃除モップなど片手に、俺を家に迎え入れてくれました。


「珍しいね。お掃除?」

「うん。パパのお部屋、綺麗にしようと思って」

「こんな日だから?」

「こんな日だから。……晩御飯、シチューなの。食べる?」

「おじさん直伝のあれね。楽しみだ」


 晩御飯は外で済ませるつもりだったけど。

 制服のままじゃ、きっと怪しまれちゃうし。


 穂咲はモップを片付けて手を洗うと。

 根菜をまな板へ並べていくのです。


 ……テレビも付けていない雨の藍川家は。

 どこか、一番悲しかったあの日を彷彿とさせて。


 何となく、おじさんにお線香をあげて手を合わせると。

 さっきから静かだった穂咲が。

 ようやくいつもの調子で話しかけてくれました。


「そういえば、勝手口の鍵は開いてないの?」

「お前の家でも開いてないでしょうが」

「昭和の頃は開けっ放しだったの。勝手に入れたから勝手口なの」

「さすがにそれはウソです。昔だって、勝手に入っちゃだめです」


 こいつはいつものようにウソばっかり言いながら。

 ジャガイモをしゃりしゃりと回していくのです。


 たしか、勝手口の語源って。

 女性が勝手気ままにできるお勝手の出入り口。

 そんな意味じゃなかったかな。


 ……だとしたら。

 こいつが開く扉は全部が勝手口なのです。

 

「そんなことより、鍵を忘れるなんてだらしないの」

「う。それは確かにお恥ずかしい」

「鍵なら、ぶら下げとけば平気なの」

「首に?」

「鍵穴に」


 …………え?


「すいません、穂咲さん。意味が分かりません」

「昔、おばあちゃんの家で見たの。鍵穴から、鍵がぶら下がってて便利なの」

「便利なのはわかりますけど、泥棒にも便利過ぎて役に立たないでしょうが」

「……ほんとなの」

「ウソです」


 ニンジンを握った穂咲がふくれっ面で振り返りますが。

 包丁を持ったエプロン姿に、ちょっとドキリとしてしまいます。



 ……こんな静かな夜だから。

 つい、意識してしまうわけで。



「ほんとなの。窓が鍵で閉まってて、くるくるって回したら外れて、鍵がそこにぶら下がるの」

「はいはい、冗談はもういいから。ほら、そろそろお湯が沸くよ」


 俺の指摘に、慌ててニンジンへ包丁を入れる穂咲が。

 鍋の蓋を掴んであちちとかやってますけれど。


 まあ、そんな姿に多少ドキリとしたところで。

 変なことばかり言うせいで、落ち着いてしまう訳なのですが。


 だってそんな鍵、外から入り放題だし。

 家の人が窓を開けるには、外に行かなきゃならないじゃないですか。




 ~🌹~🌹~🌹~




 シチューも食べて、夜も更けて。

 何となくテレビもつける気になれず、静かな時間をただ過ごしていると。


「ママ、かわいそうなの」


 ぽつりと、穂咲はつぶやきました。


「たまに検査しないと。また一年前みたいに倒れちゃうといけないから」

「でも」

「大丈夫だから。それに、悪いところは早めに見つかった方がいいわけですし」


 一泊の検査入院。

 嫌がるおばさんを、母ちゃんが無理やり連れて行ったのです。


 そのことには大いに賛成なのですが。

 よりによって、こんな時に重なるなんて。


「……ママ、きっと一人じゃさみしいの。でも、来ちゃダメって言うの」


 なんとなくわかる、その気持ち。

 病院にいる姿なんて、穂咲に見せたくないんだろう。


「あたしも、一人じゃさみしいの」


 穂咲はそう言うと、涙をこらえて、鼻をすすって。

 そんな姿を見ていると。

 朝、おばさんから届いたメッセージが思い出されるのです。



 『ほっちゃんをよろしくね』



 胸に刺さる言葉。

 でも、俺に何ができるのだろう。


 そして、よりにもよって。

 こんなタイミングで携帯に届いた、父ちゃんからのメッセージ。


 『今日は帰れん。穂咲ちゃんをよろしく頼む』




 ――それって。

 俺、今夜、帰れないじゃない。




 静かな夜だから。


 お互い、意識してしまうわけで。



 そう、随分前から。

 お互いに、思っていることはまったく同じということに気付いているのです。




 今日は、一緒にいたい。

 でも、そんなことはできない。

 なのに、そうせざるを得ない。




 雨音が、パタパタと夜道を走る。

 でも窓の外を行く雨粒たちは、この家の周りばかりを走り続けて。

 俺がここから帰ることを邪魔するのです。


 いつもと同じ場所なのに。

 いつもと同じ座り位置なのに。


 二人きりの俺たちは、顔を上げることも出来ずに。

 お互いのちょうど間に置かれた花瓶、そこに挿された深紅のバラをただ見つめ。



 心臓の鼓動と。

 呼吸のひとつですら。

 お互いに意識し合う。



 …………そんな時。



 勝手口から、大きな音が。

 がたんと響いたのです。



「ぎゃーーーーーーーーー!」

「来たの! とうとう来たの!」

「命だけは勘弁してください!」

「なまんだぶなまんだぶなの!」



 昨日のメッセージ!

 ついに俺たちの命を取りに来たんだ!


 椅子を蹴とばして、部屋の隅にころげるように逃げて。

 二人で抱きしめ合ってガタガタ震えていると。

 


「…………何やってんのさ、あんたら」



 え?



「母ちゃん!?」


 勝手口から入って来た姿が母ちゃんと分かると。

 穂咲は泣きながら、ひしと丸いお腹にしがみつくのです。


「おおよしよし。なんだい、ホラー映画でも見てたんかい?」

「う。……結構近い。さっきからずっと二人してびくびくしてたんだよ」


 だって、昨日のメッセージ。

 あれがもう怖くて怖くて。


「だらしないねえあんたは。穂咲ちゃんを守ってあげられないでどうすんのさ」

「面目ない。おばさんにもよろしくねって頼まれてたのに。……って、母ちゃん。今日は病院の待合で寝ずにおばさんのそばにいるって話じゃなかった?」


 俺の質問に、丸いお腹を揺すってがはがは笑い出した母ちゃんは。


「いびきがうるさいから帰れって叩き出されちまったんさね!」

「あきれた!」


 開いた口が塞がらない。

 そんな俺を気にも留めずに、母ちゃんは穂咲の頭をぽんぽんと撫でながら。


「しょうがないねえ。じゃあ、今日はおばさんが一緒に寝てやろうか?」


 そんな優しい言葉をかけると、穂咲はブンブンと首を縦に振るのです。


 ……まるで、ヘッドバンギングです。


「俺も怖いんだけど。同じ部屋で寝る訳にいかないでしょうか」


「穂咲ちゃんもいるのに、何言ってんだいこの子は!」



 実の息子をばっさり両断。

 一人だけ、自宅へ強制送還。



 俺は怖くて、一晩中家の鍵を確認して歩き。

 一睡もできなかったのでした。


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