第9話 ヒヤシンスと教室のストーブ


<ヒヤシンス:風信子 花言葉:無分別>



 昨日は散々怒らせてしまったので。

 不安な気持ちと共に、代わりのヘアピンを買って謝りに行ったというのに。

 そんなことはすっかり忘れて、いつもの調理器具入りリュックサックを持って帰ってくれなかったとぶんむくれていた藍川あいかわ穂咲ほさき


 そっちかい。


 俺と、美穂さんに謝れ。


 そんな、三歩歩くとすべてを忘れる揮発性記憶領域しか持っていない穂咲は。

 軽い色に染めたゆるふわロング髪をツインテールにして。

 ふたつの結び目に紫のヒヤシンスを一本ずつ活けているのですけど。



 ……怪獣みたい。



 ですが、今はそんな失礼なことが言えない時刻。

 教授タイムの始まりなのです。


「ロード君! それでは実験を開始するぞ!」

「お待ちください教授! 何の真似ですか、それ?」


 今日持たされたリュック。

 いつものがハイキング用だとするなら、それはまるで登山用。


 驚くほどでかかったのですが。

 驚くほど重かったのですが。

 それも納得なのです。


 まあ、出るわ出るわ。

 いつも使ってるキャンプ用のコンロ。

 それが三つも顔を出すと。


 それに続いて、お鍋用のガスコンロが七つも現れます。


「……ビラを配っておいたの。今日はポップコーンパーティーなの」

「ああ、なるほど。ギャラリーの皆さんにお配りするのね。初耳です、事前に言ってください」

「だって、昨日は道久君が意地悪だったから、みんなで『アイツを仲間外れにしようぜ計画』中だったから教えてないの」

「勘弁してください。謝ったじゃないですか」

「うん。だから許したげるの」


 そう言いながら、俺がプレゼントしたヘアピンを撫でて、えへへと笑っていますけども。

 可愛くなんかないですよ?


 だって、その前にやろうとしてたこと。

 陰険ですよ、怖すぎです。


 イジメ、ぜったいダメ!


 ……そして穂咲が、キリリと教授の表情に戻ると。

 リュックから出した銀色のフライパンを乗せながら、次々とコンロのスイッチを入れていくのですが。


「教授? なんです、それ?」

「知らないのかね、ロード君! これは、火にかけるだけでポップコーンが出来上がる夢のようなフライパンなのだよ!」


 へー!

 そんな面白いものがあるんだ!


 でも。


「フライパンがペッタンコですよ、教授。ポップコーン、ちょっとしかできないんじゃないですか?」

「ふっふっふ! まあ、見ていたまえロード君!」


 ポップコーンを貰える。

 そして、こんなものでポップコーンが出来る。


 興味津々となった俺とギャラリーの皆さんが、教授を半円状に囲む机の周りに集まって。

 そして、俺のYシャツを翻しながらフライパンをがっちゃがっちゃと揺する、教授の雄姿に見惚れていたら。


 ぽんっ。


 何かが弾ける音が響くと共に、フライパンの一つが、ポップコーン一粒分だけ、その表面を膨らますのです。


 ははあ、良くできてるな。

 きっとフライパンの中にはコーンと調味料が入っていて。

 膨らんだコーンが飛び出さないための蓋がああやって膨らんでいくんだ。


 そんなことを考えていたら、また一つ。


 ぽんっ。


 ……それは耳に心地よく。

 ちょっと幸せな気持ちを、ほんのり漂うバターの香りで味付けして。


 ぽぽぽんっ。


 音が連なり、どんどん楽しい気持ちになって。

 そして。


 ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ


「うわ! うるせえ!」


 ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ!!!



「「「「「うわーーーー!!!」」」」」



 フライパンが信じられないほどに膨らんで。

 そして、でかい破裂音が無数に重なり、教室中の皆が耳を塞いで逃げ出すほどの大音量。


「ちょ……、教授! 危険です! 教授も逃げて!」

「はっはっはっは! 実験に危険はつきものなのだよロード君! ……だが今回の実験は見事に成功だ!」


 そう言いながら、教授がコンロの火を順に止めていくと。

 その端から、絶対に限界と思われるほど膨らんだフライパンがしぼんでいきます。


 まあ、しぼんだと言っても凄い大きさですけど。


「え? 教授、まさかそれ、全部ポップコーン?」

「ふっふっふ! いざ! オープン!」


 まるでコンビニで売っているスナック菓子の大袋がそのまま乗っているようなフライパン。

 そのうち一つを、あちちとか言いながら教授が引き裂くと。


 中には大量のポップコーンが詰まっているのです。



 沸き上がる歓声。

 拍手喝采。

 Yシャツをマントに見立てて翻し、ポーズを決める教授。


 ……そして呆れる俺!


「それ、絶対十個同時とかやっちゃダメですから。もの凄い音」


 クラス中から集まったみんなに紙コップでポップコーンを配る教授に、ちょっとお説教。


 そんな俺に、お昼ご飯なのと言いながらフライパンを一個まるっと押し付けてきますけども。

 ちゃんと聞いて。


 もう一回やったら、絶対に先生が殴り込みに来るレベル。

 君、それなり問題児なんだから。

 目立つ真似しなさんな。


「こら、聞こえないフリをしないように。君のためを思って言ってるんです」

「……うう、分かったの」


 教授はしょんぼりと。

 無意識だろうか、俺のヘアピンを撫でながら言ってくれますけども。

 六本木君と渡さんに両肩を苦笑いで叩かれて、慰められてますけど。


「君たち、甘やかさないでください。ちゃんと言わないと、またやらかすんだから」

「まあまあ、いいじゃねえか道久」


 気楽に言いなさんな。

 ……ポップコーンもしょもしょさせながら。


「そうなの。まあまあいいじゃねえかなの」

「ほらごらんなさい。一瞬でこれです」

「だって、昔は教室のストーブでおもちとかパンとか焼いたんだって」

「それとこれとは……、いや、また昭和うんちくですか? またウソ情報ですか?」

「ほんとなの」


 さすがにウソでしょう。

 そう言いかけて、ドラマとかでストーブにヤカンが乗っていた光景を思い出した。


 ……ほんとなの?


 俺が、博識な渡さんの切れ長の目を見つめると、彼女はにっこりと首肯した。


「へえ。上の部分が熱くなるようになってたのかな」


 本当の話だと分かると、俄然面白くなった。

 俺はポップコーンの包みを破って三人にすすめた後、バターの風味を口いっぱいに頬張ります。


「うーん、どうなんだろうな。香澄、分かるか?」

「やかんでお湯が沸くくらいだったからそうなんだろうけど」

「でも、そんなんで教室全部あったまると思えないの。きっとボディーぜんぶが熱かったの」

「絶対ウソです。そんなの教室に置いてあったら火事になる」


 みんなして、口をもしょもしょさせながら。

 首をひねってみたけれど。

 さっぱり分からないのです。


 ……それにしても、とまらないな、ポップコーン。

 気づけばみんなが手を伸ばして、あっという間に売り切れて。

 そして物足りなそうに、物欲しそうに俺が抱える最後の一個を見つめています。


 あげないよ?

 これ、俺の昼飯ですから。


 …………あれ?


「あ。教授の分無いじゃない」

「ほんとなの。大好評につき欠品中なの」


 みんなが一瞬びくっと反応。

 そして一斉に教授へ謝り始めましたけど。


 ご安心ください。

 こいつは皆さんが喜んでくれるだけでお腹いっぱいなのです。


「みんなに喜んでもらって嬉しいの。謝らないで欲しいの」


 ほらね。


「だって、欠品中なだけだから」


 ……ん?


 そう言いながら身をひるがえした教授。

 リュックに手を突っ込んで、止める間もなく次弾を装てん。


 また十個。


「おおい! だからそれはダメだと……」


 ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ!!!


 再びの阿鼻叫喚。

 まずい、穂咲を止めなければ!

 呼び出されたりしたら大事だ!


 でも、そんな俺の思いもむなしく。

 校内放送を告げるチャイムが鳴ってしまうのです。



「あー、テステス。……秋山。今すぐ立ってろ」


「俺かー。ああ、よかった……」



 ……そんな献身的な呟きに、みんなが目を丸くさせて俺を見つめて。

 そして盛大な拍手を送ってくれました。



 ぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱち


「……みんな。そんなに騒がないで」


 だって。


「あー、秋山。今すぐ職員室に来い」


 ほら。


 ……俺は盛大に見送られながら。

 教室を後にすることになりました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る