第3話 パンジーと瓶ジュース
<パンジー:三色菫 花言葉:思い出>
俺の家のお隣さん。
藍川家は、お母さんと娘の二人暮らし。
早くに亡くなられたお父さんは、生前、俺とこいつとに沢山の事を教えてくれたものです。
でも、そんな思い出はおろか。
昨日の夕飯すら何を食べたかまるで覚えちゃいないのが、この
記憶領域が、ふせん一枚分くらいしかない俺の幼馴染は。
軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は大きなポニーテールにして。
そこにパンジーを隙間なくみっちりと活けているのですが。
後ろから見るとすごい威圧感。
まるで、歩く千羽鶴なのです。
「5、4、3、2、1……。はい終了」
「むう、そんなの分かるはずないの。昨日の夕ご飯に何を食べたかなんて覚えてる人がいるはずないの」
「それがね、まるで魔法のような話なんですけど。うちのクラスメイトは全員、君の昨日の夕飯を当てることが出来るのです」
「ウソなの! そんなの信じられないの!」
「本当です」
KKK。
学校からの帰り道。
なぞなぞをしていたはずが、気付けば記憶クイズになっていて。
この人、驚くほど何にも覚えてないのですけど。
大丈夫?
「みんな、あたしを置いて、いつの間にか何かに目覚めてるの……」
「君はまず、目を覚ましましょう」
俺の言葉が意地悪ということはさすがに分かったようで。
穂咲の頬が膨れます。
でも、その怒りさえ一瞬で忘れたかのよう。
穂咲は、俺の制服の袖をくいくいと引っ張るのです。
「道久君、道久君」
……なんでしょう。また、いつものアレでしょうか?
ここ最近、君の中で流行している昭和のうんちく。
大変面白いのですが、いつも首をひねって終わってしまい。
もやもやした気分になるのですけど。
俺は鞄からペットボトルを出してお茶を一口飲みながら。
今日は何の話をし始めるやらと待ち構えると。
穂咲は、急に眉根をしかめました。
「……やっぱり、道久君もあたしを置いてエスパーになったの」
「なってません。どういうこと?」
「それの話をしようとしたの。すべて読まれているの」
穂咲が指を差す先は、お茶のようですけど。
お茶なんて昔っからあるんじゃないの?
「昔は、ペットボトルはガラスだったの」
「え? ………………え!?」
ペットボトルって、素材の名前だと思ってたんだけど。
どういうこと?
「しかも、飲み終わったガラスのペットボトルをお店に返すと十円貰えたの」
「今日はなにからなにまで意味が解りません。お店だって迷惑でしょうよ。ゴミなんか渡されて、なんでお金払うのさ」
「きっと、洗ってもう一回使うの」
「絶っっ対! ウソです!」
ああもう。
君の話はウソばっかりです。
でも、十円はウソだとしても。
ガラス瓶の飲み物は、たまに見かけるか。
昔は全部ガラスだったのかな?
「謎が謎を呼ぶの」
「多分、謎にしちゃってるのは君なんだと思うけど。……そう言えば穂咲、ペットボトルのキャップ集めてたよね」
俺が、キャップを外して手の平に乗せて。
穂咲の目の前に差し出すと。
こいつはムッとしながら、キャップを取り上げてポケットに入れてしまいました。
「……そんな変なことしてないの」
「してましたよ。俺も集めてたのに、こうして必ず取り上げられてたから覚えてる」
「覚えてないの」
君はほんとなんにも覚えて無いね。
そして、まだお茶は半分以上残ってるのです。
返して。
手のひらを何度も振って、アピールしてみたものの。
穂咲は知らんぷりを決め込んだもよう。
でも、また急になにかを思い出したようで。
俺の顔を覗き込んで、すこし興奮気味に言いました。
「タイムカプセルは覚えてるの」
「……ああ。こないだ急に思い出したあれですね。でも、どこに埋めたか思い出せないんだろ?」
「道久君が忘れたのがいけないの」
「………………それはすいませんでした」
穂咲はなんでも忘れる、とか、今日はずっと思い続けてきたけども。
俺も覚えていないことは沢山あるわけで。
俺だけのせいにされたことに腹は立ちますけども。
ほんとに、どこに埋めたんだっけ?
視線を、水色に浮かんだ綿あめに向けながら。
あれこれ考えてみたけども。
結局思い出せないまま家の前まで来ると。
穂咲のおばさんに出迎えられました。
「二人ともお帰り! ちょっと店番頼んでいい? 駅の方まで配達に行って来るから!」
いつもきれいなおばさんが、手に鉢植えを下げているのを見て。
穂咲は行ってらっしゃいと言ったあと。
急ぐおばさんの背に声をかけました。
「ママ。タイムカプセル覚えてない?」
「え? 郵便局で預かってもらってるやつ?」
「小学校でやったのじゃなくて。道久君と一緒に埋めた場所、二人して忘れちゃったの」
「だったら道久君が悪いんだから、ちゃんと思い出してもらいなさいな」
「おい」
「分かったの」
「おい」
…………ほんと、この親子はどうしようもないのです。
俺が呆れを隠しもせずにらむ先で。
ウインクなどしたおばさんは。
「パパが物置にしまってなかったかしら。後で探しといてあげるわね! じゃあ行ってきます!」
慌ただしく車庫の方に行ってしまいましたけど。
……家の中?
俺のおぼろげな記憶だと……。
「埋めたよね」
「埋めたの。ママは勘違いしてるの」
お花屋さんの店先で。
結局、二人して首をひねったまま立ち尽くすことになりました。
そんな俺たちのすぐ隣に。
いつからいたのでしょう。
たまに見かける近所の女の子が、穂咲を見上げて立っていました。
「ん? どうしたの?」
小学校に上がったばっかりだったでしょうか。
その女の子は、どこか緊張した様子で。
でも、思い切って元気な声を聞かせてくれました。
「おはなを、くださいな!」
おお、ちっちゃなお客さん。
思わず緩んだ顔を穂咲と見合わせると。
店員さんは、丁寧に接客を始めます。
「いらっしゃいなの。どんなお花がいいの?」
「お母さんのお誕生日に、お花をあげたいって思って……」
くあ。
かわいい……。
頬が緩みっぱなしになった俺の前で。
穂咲が、女の子にゆっくりとお花を選ばせてあげていたのですが。
なんとお目が高い。
その子は、ブライダル・ピンクというちょっとお高いバラの前で目をキラキラに輝かせ始めました。
「……これがいいの?」
でも、穂咲が問いかけると、女の子は急に不安そうな顔になります。
「これしかお金持ってないの。買えますか?」
そう言いながら、手の平を広げて穂咲に見せてるけど。
たぶん、五百円玉なんだろうね。
ちょっと足りないけれど。
そこは、俺以外の全ての人に優しい穂咲なわけで。
開きかけのバラを、一つ選んであげました。
「ラッピングして来るの。そこで待ってるの」
穂咲はそう言って、お店に入って行こうとしたのですが。
女の子にスカートの裾をぎゅっと掴まれました。
「あのね。でも、あたし花瓶が無いの……」
小さな眉を八の字にしてしまった女の子。
コップでもいいんだけど、こんな小さな子に説明するのも大変だ。
でも、穂咲は一つ頷いて。
自分の部屋まで行って、細い、柔らかいウェーブのフォルムの一輪挿しを持って来ると。
そこにバラを挿して、瓶にピンクのリボンを付けてあげて。
「気を付けて持つの」
バラよりもほころんだ笑顔を浮かべた女の子に。
花瓶ごとお花を渡してあげました。
一生懸命、落とさないように。
お母さんの喜ぶ顔を楽しみに歩く女の子を見送っていたら。
穂咲も隣に来て、いい仕事したのとか言いながら、満足そうに両手を腰にあてました。
「……あの細い一輪挿し、随分気に入ってたやつじゃなかったか?」
そう言いながら穂咲の様子をうかがうと。
こいつは、優しく微笑みながら手の平を見つめていたのです。
……その手にきらりと光るもの。
女の子から渡された、一枚の十円玉。
「いいの。実はあの瓶、あの子のだったの。返してあげたから、十円もらったの」
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