第2話 ダリアとポケベル


<ダリア:天竺牡丹 花言葉:裏切り>



 一番古い記憶の中。

 サッシから零れる光のカーテンに向けて。

 小さなモミジを一生懸命に伸ばす女の子。


 それと全く同じ構図が。

 十数年の時を経てもこうして隣にあるわけで。


 お日様が宙に引いた、乳白色の線の縁。

 それを指でなぞりながらぼけーっとしている女の子は、藍川あいかわ穂咲ほさき


 穂咲の家と我が秋山家とはお隣さん同士。

 そして出席番号順という宿命からは逃れられず。

 小中高と、席までずーっとお隣さん。


 そんな穂咲は。

 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、頭の上でふたつのお団子にして。


 そのお団子に一つずつ巨大なダリアを挿しているのですが。

 鞠のように咲き誇る、美しいピンクのお花が。



 今日は一段と邪魔で。

 今日は一段とバカっぽく見えます。



 そんな穂咲が、制服の袖を急にくいくいと引っ張ってきました。


「道久君、道久君」


 ……なんでしょう。

 また、いつものアレでしょうか?


 ここ最近、君の中で流行している昭和のうんちく。

 でも、今日は無視なのです。

 だって。


「勘弁して下さい。今は授業中です」


 俺の真っ当な返事に、頬を膨らませながら。

 袖をつかむ力を強くして。

 ぶんぶんと引っ張りますけど。


 やめてください。


 回避能力の高い君のせいで、いつも俺だけが叱られるのですから。

 そしてこの先生、今どき廊下に立たせるのですから。



 無視を決め込んでいたら、ようやくぶんぶん引っ張るのをやめてくれて。

 代わりに今度は、机に立てた教科書に隠しながら携帯をいじり出しました。


 他のことについてはまじめな穂咲なのに。

 授業だけは徹底して聞かないよね、君。


 頼むから見つからないでね?

 あるいは見つかってもいいから、俺に罪を擦り付けないでね?


「…………よしなさいって。改めて言いますが、今は授業中です」


 教室の一番左前と、その隣。

 先生からは死角になるこの席で、小さな声で穂咲を注意すると。


 何をどう勘違いしたのやら、こいつは俺が相手をしてくれたものと喜んで。

 ぱあっと笑顔を浮かべながら、ひそひそと話し始めるのです。


 違いますから。

 ほんと勘弁してくださいな。


「ママに、重要な事を聞かないとなの。メッセージを送ったの」


 重要なこと?


 なんだろう。

 気になる。

 でも、無視無視。


 黒板に書かれた英文をノートに書き写す俺に構わず、穂咲はひそひそトークを続けます。


「昔は、メールもSNSも無かったの」


 ……まあ、そうですよね。


「代わりに、ポケベルっていうのがあったの。数字が送れるの」


 数字?

 数字を送ってどうするの?


「それでメッセージを連絡してたの」

「ウソです。暗号じゃあるまいし、どうやって読むのさ」

「…………あたしもウソだと思うの」


 じゃあ、さも本当みたいに言わないでください。

 君の昭和うんちく、いつもいつもウソばっかりじゃないですか。


 ちらっと横目で表情をうかがったら。

 眉根をしかめて俺のことにらんでますけども。

 ウソついたの、君なんです。

 なんで俺がウソついたみたいになってるの?


「もっと昔はお手紙しかなかったの。不便なの」


 そうですよね。

 何日もかかる。


「だから、さっきあたしが聞いた重要な事も、お手紙でママに聞いてたと思うの」


 何をです?


「夕飯のおかず」

「バカなの!?」


 さすがに突っ込みを入れてしまった俺に向けて、教卓からごほんと咳払い。

 やばいやばい。

 気を付けなければ。


「俺は昭和の体育会系で育った教師だ。授業の邪魔になるような事をしたら、容赦なく廊下に立たせるからな」


 何をいまさら。

 俺を毎日のように立たせるじゃないですか。


 それにしても、ここでも昭和か。

 流行ってるのかな、昭和。


「……穂咲、バカなこと言ってないで静かになさい。手紙で夕飯のメニュー聞いてどうする気? 返事が届くまで何日かかると思ってるのさ」

「離島なら一週間は覚悟なの」

「ちょっと面白いけど静かになさい。今は授業中です」


 先生、見えますか?

 俺は注意してるんです。

 こいつが遊んでるんです。


 ……しかし、確かに昔は不便だったんだな。


 電話が普及する前は。

 手紙とか、電報とか。

 届くまでは時間がかかったろうに。


 気軽に、こんな重要な事も聞けなかったんだ。



 …………重要か? 夕飯???



「あ、お返事届いたの」


 今にも怒り出しそうな先生のことなど構いもせずに。

 穂咲が携帯を見せてきますが。


 見ませんよ。

 俺、現在執行猶予中の身ですから。

 そんなのちっとも気にならな……?



 なに、これ?



「『KKK』ってなんだよ」

「嬉しいの。大好物なの」

「だから、なに?」

「カニクリームコロッケ」

「全部『C』!!!」


 ……思わず、大声で突っ込んでしまいました。


 ああ、やっちまった。

 俺の突っ込み体質のバカバカバカ。


 身を縮ませた俺の前。

 先生が怒りのオーラを纏いながら、歩いて来たけども。


 うまいこと誤魔化して、立たされるのを回避しなきゃ。

 俺に隠れるようにして怯える穂咲のことも、かばってあげなきゃ。


 ちょっと勇者みたいでかっこいい。

 でも。


 …………全部、君のせいなんですけどね。


「……秋山。今が授業中と知ってたか?」

「そうだったんですか!? 初耳です!」


 ひきつった苦笑いと共に頭を掻いて。

 無理な返事をしてみたけども。


 先生の顔がどんどん怖くなっていって。

 今にも雷が落ちてきそう。


 でも、そんな大ピンチな俺に。

 お隣から心強い援護射撃が飛んで来たのです。


「初耳なんてウソなの。今まで何度も授業中って自分で言ってたの」

「こんの裏切り者っ!」


 援護射撃、狙いがまさかの俺の背中!


 回避不能の攻撃により、俺は勇者からいけにえにジョブチェンジしました。


「……秋山」

「へい」

「廊下に立っとけ」

「へい」


 椅子から情けない音を立てながら立ち上がって。

 とぼとぼ歩き出した俺のポケットから。


 なにやら振動が響きます。


「……先生。重要なことかもしれませんので、携帯見てもいいですか?」


 俺を見おろしていた先生が。

 怒りの表情を変えないながらも渋々と頷いて。


 そんな仁王様に見据えられながら携帯を見ると。

 


 『お隣さんと一緒に作るから! 今日の夕飯、『KKK』にしたから!』



「全部『C』っ!!!」



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