第24話 アイスランドポピーと銭湯
<アイスランドポピー:西比利亜雛罌粟 花言葉:私が勝つ>
ここは、『喫茶・カレイドスコープ』。
随分前に。
女性をどこかに誘う時は、メッセやメールじゃなくて、直接話すのが紳士の嗜みと六本木君から聞いたことがあるので。
学校帰りにここへ足を運び。
美穂さんを待ちながらカウンター席で紅茶などいただいているのです。
無口なのに、手振りで言いたいことがほぼわかるファンキーなおばあちゃんが。
今日は星条旗のバンダナを頭に巻いて。
ロカビリーミュージックで俺をもてなしてくれます。
でも、そんなのんびりとした贅沢な時間が一転。
工事現場の作業着と、スーツのおじさんたちが。
席数を確認した後、こぞってご入店なのです。
カウンターの、俺の隣だけを空けて一気に満席。
おばあちゃんが手早くお水とおしぼりを運んで。
オーダーを取って。
そして調理に入ったところで、あまりの客入りに目を丸くさせた美穂さんが帰って来たのです。
俺に軽く手を振った美穂さんでしたが。
制服のままエプロンを付けると。
おばあちゃんの手振りを目で追いながらドリンクを準備していきます。
まさか俺が手を貸すわけにもいきませんので。
そわそわとしながらも。
ひと段落するまで黙ってお待ちすることにしました。
――そんな中。
扉がカランと、一人のお嬢様を迎え入れます。
中学生くらいでしょうか。
女の子が一人でお店に入ってきて。
緊張した様子で、唯一空いていた俺の隣に腰かけました。
そしてメニューをパラパラめくると。
ケーキのページでその手をぴたりと止めて。
嬉しそうに微笑むのです。
……なるほど。
きっとこれは、お嬢さんにとって初めての冒険で。
手に入れたい宝物は。
そこのページに書かれているものなんだね。
俺も初めて一人で喫茶店に入った時は緊張したな。
ドキドキして、頼みたい物も頼めなかった覚えがある。
そんなことをのんびりと思い出していたら。
美穂さんが女の子の元へ注文を取りに来ました。
「ようこそいらっしゃいませ」
お水とお手拭きを並べながら。
慇懃なお辞儀で迎えていますけど。
一気に料理と飲み物を運んで。
今もお客様から追加のオーダーとご要望をいくつも承って丸暗記しているので。
ちょっとてんぱっているご様子。
だからかな。
ゆっくり丁寧な、美穂さんの言葉使いが。
今は慌てて駆け抜けていきます。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「えっと……、ホットのミルクティー……」
「はい、かしこまりました。アッサムでよろしいでしょうか? ミルクティーになさるならこちらがお勧めです」
「あ、はい……」
「承知いたしました」
そう言いながら、おばあちゃんへオーダーを伝えつつ。
カウンターの中へ入ってしまいました。
……えっと。
俺、こういうの苦手なんだけど。
上手にできるかな。
「…………美穂さん、注文いいですか?」
「もちろんですよ。どうぞ」
手は慌ただしく動かしながら。
にっこり微笑んでくれる美穂さんへと言うよりは。
俺は、お隣の女の子が気にしてくれるように。
まったく同じものを注文しました。
「ええと、ホットのミルクティー下さい」
「はい。アッサムでいいかしら」
「うん。……それと、セットのケーキって、何があるんです?」
俺の質問に、一瞬だけ手を止める美穂さんが。
「今日はシフォンとショートケーキと……、あとは?」
後ろへ振り返りながら確認すると。
おばあちゃんが、これにしときなと言わんばかり。
棚からホールの真っ白なケーキを取り出して。
ふふんと鼻を鳴らしながら、親指をくいっと上にあげるのです。
……ほんと。
仕草がいちいちファンキーですね。
「あ、レアチーズ入荷してたのね? これ美味しいのよ。間にイチゴとブルーベリーの層が入ってて、甘酸っぱいの」
「へえ! そりゃ美味しそう。じゃあ、それを一ついただけますか?」
俺は、意識してゆっくり注文すると。
「あ、あの!」
お隣の女の子が、いいタイミングで声をあげました。
「あたしも、それ、下さい」
「はい! 紅茶と一緒にお出ししますね」
美穂さんはにっこりと。
女の子に微笑みかけました。
……ほっと息をついた女の子。
その横顔をうかがうと。
レアチーズのように真っ白だった頬が。
ストロベリーでデコレーション。
幸せそうに、赤く染まっていました。
~🌹~🌹~🌹~
団体さんがお帰りになると。
お隣の女の子が、また来てもいいですかと美穂さんに声をかけながら。
幸せそうにお店を後にします。
ちょっといかつい感じのお店だけど。
ここなら中学生が一人で来ても安心ですし。
常連さんになってくれると良いな。
「ふう、ごめんなさい。わざわざいらして下さったのにお待たせして」
「いいえ、気にしないでください。逆に、お客様がいるのに話しかけられたりしたら困っちゃいます」
オレンジ色のアイスランドポピーが可愛く咲き誇るエプロン姿のまま。
美穂さんが隣の席に腰かけると。
おばあちゃんもカウンターからひょこっと顔を出して。
いつものように、美穂さんへジェスチャーで何やら伝えます。
肩から手の先に向かってごしごし擦って。
窓の外を指差していますけど。
「おばあちゃん、なんて?」
「うーん、ちょっと分かんない」
首をひねる美穂さんを見て。
おばあちゃんは鼻の頭にしわを寄せて。
そして。
「隣に腰かけるんなら、シャボンの香りでもさせてきなって言ってんのさ!」
「うわ! しゃべった! ……へ? しゃぼん?」
「シャボン玉の香りってなあに?」
やれやれと肩をすくめたおばあちゃんが。
見た目にマッチした、ハスキーな声でつぶやくのです。
「昔は、デートの前に銭湯に行くのが乙女にとって一番のおしゃれだったのさ。ここの正面は銭湯だったんさ」
「へえ、銭湯。そんなものがあったんだ」
何となく窓の外に目を向ける俺の横で。
美穂さんが、二の腕に鼻を寄せたりしていますけど。
「どうしよ。シャワー浴びてきていい?」
「大丈夫ですよ。汗臭くなんてないです。でも、昔は汗かいたらどうしていたんでしょうね」
「ほんと。都度、銭湯へ行くなんて大変ですよね」
のんきな会話を始めた俺たちの前に、おばあちゃんが二つのコーヒーと随分大きなミルクカップを置いて離れて行きますが。
いやいや、コーヒーに紅茶にケーキといただいたので。
もうお腹いっぱいですよ。
そう思っていたら。
美穂さんは、コーヒーに静かにたっぷりミルクを入れて。
ソーサーに乗せられていた細い棒で。
ミルクに線を描いていきます。
「不便ですけど、ちょっと憧れがあります」
「銭湯に?」
こくりと頷きながら、美穂さんが作っているものは。
ラテ・アート。
コーヒーの上にミルクで絵を描くものなのですが。
実際に作っているところ、始めて見ました。
……でも、話題が話題なので。
富士山の絵など描いていらっしゃいますけど。
「フルーツ牛乳が楽しみ、とか?」
「いいえ、あれです。先にあがるぞーっていうやつです」
「ああ、昔のドラマで見たことあります。……え? やりたいの?」
「変でしょうか……」
「変じゃないですけど。ちょっと照れくさいと言いますか……」
富士山を書き終えた美穂さんは。
もう一杯のコーヒーにもミルクを注いで。
その水面に、複雑なハート模様を描いていきます。
「うわ。……めちゃめちゃうまいね」
「ほんと? ……えへへ、褒められちゃった」
などと、恥ずかしそうにはにかみますが。
繊細な線が複雑に絡んで描かれたハート模様。
もったいなくて崩すこともできないほどなのです。
「……そう言えば。今日はなにか用事でもあったのでしょうか」
「この間の埋め合わせと思って。今度の土曜日、遊園地に行きませんか?」
「行く!」
細くて優しい目を真ん丸に見開いて。
まるで子供のように伸びあがって俺を見つめましたけど。
「穂咲とは正反対なリアクションで驚きました。あいつも一緒ですので、たっぷりおしゃべりして楽しんでくださいね?」
そう言った瞬間。
何やら頬をひきつらせてしまいましたけど。
それと共に。
ラテ・アートのハートをぐっちゃぐちゃにかき混ぜ始めたのですが。
昨日も見たな。
ぐっちゃぐちゃハート。
「あれ? あいつと一緒じゃいやですか?」
そう訊ねた俺に、ふるふると首を振って。
そして拳を握りしめながら、高々と声をあげるのです。
「……いえ。行きます! 負けるな美穂!」
……戦いでも始まるのでしょうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます