第12話 コチョウランとカラーひよこ


<コチョウラン:胡蝶蘭 花言葉:幸福が飛んでくる>



 ……さて、お集まりの皆様。

 皆様は、『日常』という言葉の定義を。

 どのように捉えていらっしゃいますでしょうか。


 平穏無事。つつがなく。昨日のコピペ。

 山も谷も、さしたる幸福も悲しい不幸もないこと。

 それが『日常』。


 ……そのようにされている方は、どれだけいらっしゃることでしょう。


 悲劇、惨劇。

 血塗られた両手に、後悔と絶望を見る。

 これが『日常』である彼女にとって、平穏など現実の外に建つお菓子の家でしかありません。


 我が秋山家のダイニングで発生した『日常』。

 そのむごたらしい、凄惨な現場で。

 両手の平を震えながら見つめていた母ちゃんは。

 青ざめた丸い顔を俺に向けながら、いつものようにつぶやくのです。


「…………また、やっちまった…………」

「そうね。美穂さんがくれたクッキー、全部一人で食べやがりましたね」


 からっぽのかんかん。

 テーブルいっぱいに散らばったクッキーの空袋。


 呆れてものも言えません。


「確か今朝、ダイエット中とおっしゃっていませんでしたっけ?」

「バカだねこの子は。だからお腹がすいてこんなことになってるんじゃないさ」

「バカはどっちだ。……まあ、いつもの光景ですのでもはや驚きませんけど」

「いつもってこたあねえでしょ」

「何度でも言いましょう。いつもです」


 この殺害犯。

 過去の過ちを綺麗さっぱり忘れてしまうので。

 こうして毎日のように罪を重ねていくのです。


 ……主にお腹の周りに。


「まあ、最近よくお腹がすくからねえ、しょうがないか」


 そんな事を言いながら、お腹をポンと叩いていらっしゃいますが。


「昔っからですって。……三歳くらいの時? 俺が楽しみにしてたお菓子全部食べられて、空っぽになったかんかん渡されて誤魔化された記憶がある」

「ウソ言いなさんな」

「ウソじゃないです。その青いかんかんと同じの渡されて……、ああ、そういえばおじさんの箱もこのデザインだったな」


 濃紺に、かっこいいメッシュの模様。

 おじさんのフロッピーが入ってた四角い箱と同じなのです。


「……そうだ、忘れてた。宝物さがししないと」

「宝物? 美味しい物かい?」

「違いますよ。おじさんの箱から出てきたフロッピーに地図が……、って。まだ食べる気なの?」


 驚く俺の目の前で。

 せんべいなどボリボリかじり始めましたけども。


「ダイエット中でしたよね」

「そうさね。母ちゃんの意志は固いんだ。お昼だって抜くんだから」


 ボリボリ。ボリボリ。


「……ねえ母ちゃん。俺と父ちゃんの昼飯は?」

「だから言ってるじゃないさ。ダイエット中だから、お昼抜き」


 ボリボリ。ボリボリ。


 ――ちょうどそこに、父ちゃんも起きてきて。

 今の会話を聞いて、無言で外に出る準備を始めました。


 しゃあない、父ちゃんと一緒になにか食いに行くか。



 ~🌹~🌹~🌹~



 さあ、なにを御馳走してもらおう。

 そんなことを考えながら家を出たところで、穂咲のおばさんに掴まりました。


 おばさんいわく。

 大量に残ってたそうめんをやっつけたいから手伝って欲しいとのこと。


 ということで。

 父ちゃん共々、お隣さんでお昼ご飯と相成りました。


 しかし、食えども食えども麺が追加されていくのですが。

 なん把ゆがいてるの?


 俺も細身で少食だけど。

 父ちゃんは、もっとガリガリでもっと少食。


 そろそろ限界とばかりに箸を置くと、改めておばさんにお礼など言い始めます。


「急にご馳走になって、お恥ずかしい」

「いいのよ、こっちも助かるんだし。……あ、こないだはありがとね。ほっちゃん喜んでたわ」

「この間? 何かしましたでしょうか」

「フロッピーのデータ、印刷してくれたじゃない」


 そう言いながら、ダイニングの隅に置かれたままだったかんかんの蓋をポンポン叩くと。

 父ちゃんは返事もせず、なぜか無表情のままお茶をすすったのです。


 ……なんだろう。

 あのかんかんに、嫌な思い出でもあるのでしょうか?


 俺はそうめんをすすりながら、隣に座る父ちゃんの顔色をうかがっていると。

 急に大きく頷いて、バカなことを言い出しました。


「よし。来週は、ちょっと凝った本格カレーでもお詫びに御馳走しましょう」


 うげ! またかよ!

 父ちゃんにばれないように。

 顔で×マークを作っておばさんに向けてみたものの。


「本格カレー! いいわね!」


 おばさん、はしゃいで両手をポン。

 ざんねん。

 手遅れでした。


 ……材料、本格的。

 調理時間、本格的。

 味、レトルトとあんま変わらない。


 そんなコスパ最悪のカレーを作るため。

 また、朝から台所が占領されてしまうのか。

 これで来週も昼飯を藍川家でいただくことが確定です。


 がっくりと肩を落とした俺の正面。

 机の中央に、真白なコチョウランの鉢。


 その向こうにもコチョウランが一輪。

 軽い色に染めたゆるふわロング髪を下ろしたまま、どういうつもりか頭の上にコチョウランをひとつ乗せているのは、藍川あいかわ穂咲ほさき


 そんな穂咲がそうめんをもぐもぐしてますが。

 箸を迷わせて、薬味を入れようか入れまいか悩んでいるようですが。


「ミョウガはやめときなさいな。君、酔っぱらうんだから」

「うう、そうするの。……おじさん、本格カレーってどんななの? 緑の?」

「いや、茶色だが」


 そうさ。

 だって、レトルトと変わらないんだもの。


「そうなの。食べてみたかったの、いろんな色のカレー」

「何色もあったっけ、カレー」

「カレー、いろんな色があるの。ひよこと一緒なの」


 ん?


 また、変なこと言いだしましたね、君は。


「何をばかな。ひよこは黄色一択です」

「ううん? 昔はいろんな色のひよこがいたの。おばあちゃんが言ってたの」

「ウソです。……だよね、父ちゃん」


 未だに積み上げられていくそうめんの山を崩す作業から完全に手を引いた父ちゃんに聞いてみたら。

 まさかの返事をしてきました。


「本当かどうかと言われたら、本当だ」

「ウソ」

「よく学校の前で売ってたわよね、カラーひよこ」

「ウソ」

「赤いのとか青いのとかいたらしいの」

「絶対ウソです。……俺、からかわれてる?」


 三人そろって真面目な顔してますが。

 どういうこと?


「きっと、赤いひよこはフラミンゴになるの」

「バカな。じゃあ青は?」

「ルリビタキなの」

「……じゃあ、黄色は?」


 ニヤニヤ顔のおばさんと。

 咳ばらいをした父ちゃんに見つめられて。


 穂咲は眉根を寄せて唸りながら考えて。

 そしてようやく、ポンと手を打つと。


「カナリアになるの!」

「残念。黄色いヒヨコは鶏になります」

「ひにゅっ!? ずるいの! 引っ掛け問題なの!」


 穂咲は、ぷりぷりしながら席を立って怒りだして。

 でも俺達が大笑いすると。

 つられて一緒に、えへへと笑うのです。



 そんな穂咲を、珍しく目を細めて眺めていた父ちゃんが。

 おじさんのかんかんに手を乗せながら呟きます。


「まだくちばしも黄色いままと思っていたが、二人ともいつの間にやら大きくなったものだな。……お前達、ここに入っていた地図、懐かしいだろう」


 ん?

 懐かしい?


「なに言ってるのさ、初めて見たよ。なあ穂咲」

「うん」

「なんだお前たち。忘れたのか?」

「……じゃあ、おじさんは宝の地図のこと、知ってるの?」


 父ちゃんはおばさんに振り向くと。

 私も知らないとばかりのリアクションをされて小さくため息をついてますけど。


「父ちゃん。知ってたら教えてよ。その印の所に行ってみたいんだ」

「そうなの。徳川の埋蔵金がうま」

「ってないのは分かってるんだけど、何が埋まってるのか掘ってみようと思って」


 穂咲のふくれっ面は捨て置いて。

 身を乗り出して、父ちゃんに頼んでみたら。


「……の地図の場所を掘りたい?」


 なにやら眉を寄せて難しい顔をしてしまいましたけど。

 こっちって何のことさ。


「どっちでもいいの! 教えて欲しいの!」


 穂咲に腕を引っ張られて。

 諦めたようにため息をついた父ちゃんが。


「では、その駅がどこかだけ教えてやろう。……そして二人の大きくなった姿を、思い出の中の彼に見せてあげてきなさい」


 そんな意味深な言葉と共に、再びおじさんのかんかんに手を乗せるのです。



 ――ちょっと不安も感じますが。

 これで宝物へと大きく近づきました。


 穂咲へ顔を向けると。

 にっこり、幸せそうな微笑が晴れ渡った空を見つめています。


 すると、まるで明るい未来を告げるよう。

 真っ白なハトが飛び立っていきました。


「……あれは、白いひよこが大人になった姿なの」


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