第17話 クローバーと笑い袋
<クローバー:白詰草 花言葉:私を思って>
今日は午後から課外授業。
近場ではあるけど、公園まで移動しての写生会が行われています。
そんな授業を誰よりも楽しみにしていたのが。
鉛筆による写生だというのに水彩画セットを持って来た。
ザ・自由人、
今日は珍しくぼさぼさに跳ね放題の寝起き髪。
おばさんが寝坊したらしくてこんな状態なのですが。
君の姫様デーは一昨日終了しているのです。
自分でやったらどうでしょう?
そして当然、お花も挿さっていないわけで。
物心ついた時からずーっと見慣れてきたものが無いのです。
なんだか寂しく感じてしまうのも、自然で普通な感情でしょう。
…………自然で普通な感情でしょう。
変じゃない。
洗脳なんかされてません。
それに、お花が無いからと言って。
中身が変わるはずもなく。
先生に、二度も注意されたというのに。
それを聞きもせず絵筆を振るっていますし。
その都度俺が頭を下げているのですけども。
なぜか俺だけ立たされたまま書いているのですけど。
勘弁して欲しいのです。
とは言え、立ち上がった視線の先には見事な景色。
目の前に広がる、風に波打つ緑の絨毯。
低い杭とロープで、俺たちのいる遊歩道と隔てられた蝶々たちの楽園。
不思議なもので、この柵の向こうには別世界があるように感じてしまうのです。
そして、ふと視線を足元に落としてみれば。
偶然、四葉のクローバーが目に飛び込んできました。
それを摘んで、指でくるくるといじっていたら。
「ふんす! 満足!」
課題外の作業を終えた穂咲が、鼻息も荒く絵筆を水入れに投げ込みました。
「どれどれ。…………おお、相変わらずいい絵だこと」
穂咲の描く絵には、不思議な味があって。
驚くような所に、驚くような色の絵の具がペタペタと塗られます。
作者いわく、そんな色に見えたからというお話なのですが。
これが温度とか、香りとか。
おおよそ視覚では捉えることのできない何かを届けてくれるのです。
満足そうに絵を掲げていた穂咲が水彩道具を片付け始めたので。
俺が穂咲の画板に課題用の画用紙を挟んであげると。
こいつは、口をとがらせるのです。
「なあに、道久君。もう一枚書いて欲しいの? あたしはもう満足だから、これからお昼寝をしようと思うの」
「残念ですが、ピクニック屋はただいまをもって閉店いたしました。勘弁してくださいよ。君が課題を提出しないと、明日は俺の椅子が無くなることになっているんです」
さっき、そう宣言されたからね。
あの先生、やると言ったらほんとにやるのです。
「……それ、面白いの。見てみたいの」
「絶対三分で飽きると思うよ?」
「じゃあ、笑い袋の方が面白いの」
「……なにそれ」
また、俺の知らない昭和単語を穂咲が口にして。
画材を入れてきた鞄の中から、手で掴める程度の大きさの袋を出しました。
ピエロが描かれているようですが。
怖いよ、何する気?
「この袋を押すと、笑い出すの。面白いの」
「気持ち悪いだけです」
俺の嫌そうな顔を無視して、なにやら袋をグニグニといじっていますけど。
そのうちボタンを押したような動きをしたのですが。
「…………なにも起こりませんが?」
「あれ? ……昨日遊び過ぎて、電池が切れちゃったの」
「ほんとはどうなる予定だったの?」
「楽しい笑い声が聞こえてくるの」
と、説明されましても。
「え? それが面白いの?」
「……うん」
「…………面白いの?」
俺が追及すると、穂咲は首をひねって袋を見つめ始めました。
「……冷静になったら、あたしもそう思うの。これ、何が面白いの?」
「俺が聞いているんです」
結局いつものパターンですか?
笑い声がレコーダーにでも入っているのでしょうけど。
そんな変な品、昭和の頃にだって絶対ないと思いますよ?
それに、こんなことやってたら……。
「お前ら! 遊んでいるんじゃない!」
ほら、やっぱり叱られた。
ちょうど受け持ちの授業が飛んだので、担任の先生も引率で付いてきているのですけど。
「まだ真っ白じゃないか! 真面目に書け!」
「すいません、先生。でも、俺をにらむのはどう考えても理不尽です」
どうしてあなたは穂咲に甘いのでしょう。
どうしてあなたは俺を目の敵になさるのでしょう。
「お前の監督責任だろうが」
「そんなバカな」
「もうあと三十分も無いぞ。もし絵の評価が悪かった場合も、お前の椅子は撤去しておくからな」
ほんと、不条理なのです。
でも、今日の所は安心です。
「三十分もあれば平気です。こいつ、絵を描くの得意なんで」
俺の反撃に、何かを言おうと開いた口をへの字に結んでしまいました。
先生も知ってるでしょうからね、こいつの美術の成績。
そして、俺が指でつまんでいた四葉のクローバーへちらりと目をやった後。
みんなに聞こえるように、大きな声で言うのです。
「……他の者はあらかた描けたな? 描き終わった者は休憩していいぞ! ここにあるのはシロツメクサだ。四葉のクローバーでも探して静かにしていろ!」
これを聞いて、暇そうにしていたほとんどの皆が我先にと柵を越えると。
「ダメなの!」
先生の大声を遥かにしのぐ絶叫が、野原へ響きます。
しんと静まり返る緑の海原。
その水面を波立たせながら、風が渡っていく中で。
みんなの視線は、先生をにらみつけてぷりぷりしている穂咲へ注がれました。
「先生、ダメなの!」
「別に立ち入り禁止になっているわけではないぞ?」
ふるふると首を振った穂咲は、理由を話し始めるのですが。
「四葉のクローバーは、探しちゃいけないの」
「バカな事を言うな。幸せになれると聞いたことも無いのか?」
「それは、四葉のクローバーを見つけられたらって話なの」
相変わらず、説明が下手くそなのです。
さすがに先生にも意味が分からないようで。
眉根を寄せてしまうのですが。
だから、何度も言うようですが。
俺をにらまないでくださいよ。
「……ええと、穂咲さん。見つけるのはいいけど探しちゃいけないという意味が、ちょっと分かりませんので教えてください」
「ああやって探しに行くと、四葉のクローバーを踏ん付けちゃうかもしれないの」
近くの十数人が、穂咲の言葉を聞いて。
ぎょっとして、片足を上げています。
……ああ、確かに。
あんな勢い込んで柵を越えたら、幸せを踏んでしまうかもしれないね。
それに、お花も可愛そう。
――いつも不条理な先生も。
これには得心がいったよう。
「お前たち! 花を踏まないように戻ってこい!」
みんなにそう指示を出すと、穂咲に確認するのです。
「……遊歩道から見つけるのはいいんだな?」
「そうなの。見つけられたら、幸運になるの。あたしはみんなに不幸になんかなって欲しくないの」
ほっと胸を撫で下ろした穂咲が。
それでも、心配そうにみんなの事を見つめています。
……そう。
君はいつだって、他の誰かの事を心配して。
その優しさが、いつだってみんなを幸せにするんだ。
まるで、四葉のクローバー。
その葉に幸せを乗せて、みんなの元へ届けてくれる。
俺は、手にしたクローバーを穂咲のぼさぼさ髪に挿してあげながら。
「おーい。必死に探さなくても、ここによつばちゃんがいるぞー!」
穂咲の肩を掴んで、みんなの方へ向けました。
「そんな名前じゃないの。芸名?」
文句を言いながらも、みんなに熱いまなざしを向けられると。
「……あたし、アイドル?」
ぼさぼさ頭を掻いて、照れ臭そうにしています。
「頭をぼりぼり掻くのやめなさい。落ちます」
「人気が?」
「…………それでいいです」
そして授業が終了するまで。
参拝客が途絶えることはありませんでした。
…………あ。
「課題っ!」
そして、俺の椅子は。
今夜のうちに撤去されることが確定したのです。
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