第16話 グラジオラスと魔法瓶


<グラジオラス:唐菖蒲 花言葉:密会>



 先日は、ご丁寧なお礼など頂戴したので。

 グラジオラスの鉢植えをお土産に。

 美穂さんの御実家である『喫茶・カレイドスコープ』へうかがう道すがら。


 ふと気になって、一本隣の路地へ入り。

 この間の公園に来てみれば。


「なんという虫の知らせ」


 いつものように木の根元でぴょこぴょこ跳ねる美人さんを発見しました。


「すいません! いつもほんとにすいません!」


 別にすまなくは無いのですが。

 こんな状態でまともに生活できるのか。

 心から心配なのです。


 手荷物を預けて、ずるずるとかっこ悪く木に登って。

 木の枝に乗っけられた鞄をつかんで飛び降りて。


 そして申し訳なさそうにお辞儀する美人さんと荷物をトレードです。


「あ、そのお花は手土産なので。差し上げます」

「ほんとですか? 男性からお花を貰ったことなど初めてなので。嬉しいです」


 そう言って、柔らかく微笑む美人さん。

 彼女の名前は、明石あかし美穂みほさん。


 肩下まで伸びた黒髪ストレートヘアの美人さんが、俺に並んで歩き出し。

 二人で喫茶店を目指します。


 大事そうに胸に抱えたグラジオラス。

 白から赤へグラデーションする鈴生りの花びらが可愛く揺れて。

 とっても彼女に似合うのです。


 ……やはり、お花は頭に活けるものじゃないですね。


「手土産ということは、お店に来て下さったのでしょうか?」

「はい、そのつもりで来たのですけど。お店のおすすめとかあります?」

「私としてはアプリコットティーをお薦めしたいのですけど、マスターはブレンドを押し売りして来ると思います」


 美穂さんは申し訳なさそうに眉尻を下げてしまいますけど。

 お高く無ければ両方堪能したいところです。


「マスターって、美穂さんのお父さん?」

「いえ、祖母です。……ふふっ、ちょっとびっくりするかもしれませんよ?」

「びっくり? にぎやかな方とか、そういうこと?」

「その逆なんです」


 そう言いながら、美穂さんは花壇が可愛いお店の前で足を止めます。

 看板には、『喫茶・カレイドスコープ』の文字。

 両手が埋まっている彼女の為に、先に扉を開くと、


「うわ、びっくりした」


 マスターにお会いする前に驚かされることになりました。


 内装は、外観からはちょっと想像がつかないほどにアメリカン。

 すこし薄暗い店内に輝くネオンライト。

 スポーツカーのミニチュアに、流れる曲はロックンロール。


 そして圧巻なのは、荒く塗り固められた壁面に余すことなく飾られたプレート。

 ナンバープレートのような物から、細かな細工のレリーフまで。

 多種多様、ごちゃっとしながらもセンス良くはめ込まれているのです。


「ちょっと驚きました?」

「ええ。……でも、嫌いじゃないです」


 俺の返事に気をよくしたのか、美穂さんは楽しそうに微笑んで。

 他にお客様のいない店内を軽いステップで進む彼女の勧めるがまま、奥のボックスシートへ腰かけると。


「マスター。部屋に上がってる間、道久君のお相手よろしくね?」


 美穂さんが、誰もいないカウンターの方へ声をかけました。


 ……いや?

 カウンターの高さギリギリに、何か動いてる。


 グレーから黒。

 都市迷彩のバンダナが左から右へ。

 そして、ひょこっと小さなおばあちゃんが顔を出すのです。


 丸眼鏡で、妙に無口で。

 ちょっと斜に構えた感じなのに、愛嬌のある笑顔。

 そんなおばあちゃんが美穂さんにぐっとサムアップして了承の返事をすると、コーヒーをサイフォンに手早くセットしていきます。


 美穂さんは俺にご丁寧なお辞儀をして、改めてグラジオラスを大事そうに抱えて奥へ消えてしまうと。

 おばあさんはカウンターの下に引っ込んでバンダナだけ覗かせて。

 さらに右へ移動してからまたひょこっと顔を出して、デッキをカチャカチャと操作し始めます。


 ああ、なるほどね。

 小さなマスターの為に、踏み台がそこかしこに置かれているんだな。


 謎の光景に理解が及んだ俺の耳に入って来たのは環境音楽。

 有線から森のCDへ切り替えてくださったよう。

 さらに、照明を明るめにしてくださいました。


 するとどうでしょう。

 今までは、ちょっといかつい感じだった店内が急に様相を変えて。


 壁に吊られた花や、テーブルの白さが際立って。

 まるきり違う表情へ姿を変えてしまうのです。


「……驚いた。照明の効果でここまで変わるんですね」


 小川のせせらぎ、小鳥のさえずり。

 ほっと心を安らげると、運ばれてきたのはスコーンの香ばしさとメープルシロップの甘い香り。

 そして、美穂さんが話していた通り。

 コーヒーが柔らかな湯気を上げて俺のあご先をくすぐるのです。


「え? 俺、まだ注文してませんけど?」


 マスターへ声をかけても、返事はなく。

 背中を向けてカウンターへ向うマスターは、ただ親指を上げた右手を軽く振っているのでした。



 ――外観と内装のギャップ。

 清楚な美穂さんと、クールファンキーなおばあ様とのギャップ。

 そして照明で変身するお店の二つの顔。


 ……なにやらここは、鏡の表と裏の世界。

 二つの魅力が、足を踏み入れた者を夢の世界へ誘う場所なのです。


 これは、ギャップ萌え?


 俺は美味しいコーヒーを一口すすって、スコーンへ手を伸ばします。


 強めの酸味とほろ苦さ。

 軽い口当たりと優しい甘さ。

 ここにもギャップの魅力が眠っています。


「お待たせしました」


 ……いや。


 今までのがギャップだなんて。

 そんなの、美穂さんに対して失礼なのです。


 俺の前に現れたのは。

 ゴシック風のウェイトレス制服に身を包んだ美人さん。


 いつもの清楚な雰囲気とは打って変わって。

 ミニスカートにニーソックスというお姿で。


 びっくりし過ぎて、なんだかドキドキします。


「どう? 似合いますか?」

「はい、びっくりしました! 可愛いです!」


 俺の返事に、軽く握った手を逸らして顔の横で小さなガッツポーズ。

 その上、やった、などと小声でつぶやかれては。


 ぽーっと見惚れていることしかできなくなりました。


「いろいろと驚かせてしまいましたね。お店の雰囲気も、驚いたでしょ?」

「一番驚いたのは美穂さ……、いや、あの、壁のプレートとか?」


 しどろもどろになりながら。

 壁を指差して誤魔化すと。

 美穂さんがにっこり微笑んでくれました。


「カラフルで、ポップで。なんか可愛いです」

「ふふっ。……あれ、半分は私のコレクションなんですよ?」

「え!? マスターじゃなく?」

「そうなんです。お菓子の缶とか、可愛いデザインのものが多くて、集めるのが趣味だったのですけど。でも、場所を取るじゃないですか。だからせめて蓋だけでもこんな形で取っておこうと思いまして」


 なるほど、そう言われてみれば。


 美穂さんの趣味と思われるものは。

 模様や細工の美しい、缶の蓋の形をしたもので。


 マスターの趣味と思われるものは。

 ポップなアメリカンデザインのもので。


 どれがどちらの趣味の品か、良く分かります。


「でも、缶の本体は捨ててしまったので寂しいんです。蓋と缶。一緒にしてあげないとかわいそう」


 そうつぶやいた美穂さんの憂い顔。

 ギャップはあれど、やっぱり優しい方なのです。


 優しい方に、こんな寂しい顔させてはいけない。

 なにかできないかな?


「お礼に伺ったのにご馳走になってしまったので。俺に出来ることありませんか?」

「え? ……なにか、得意な事とかございますでしょうか?」

「立ってるのは得意です」

「え?」


 いけね。

 余計なこと言っちゃった。

 誤魔化さなきゃ。


 俺は慌てて他の話題に切り替えます。


「それにしてもマスター、若くてクールでかっこいいですね」

「ありがとうございます。……でも、ポットの事を魔法瓶って言っちゃう程度には昔の人ですよ?」

「マホウビン? なにそれ?」

「変でしょ? 何が魔法なのかちょっと分からなくて。……あら」


 口に手を当てた美穂さんが見つめる先で。

 マスターが、親指を下に向けて、くいくいと振ります。


「やっちゃった。今の合図は、外で客引きしなさいという意味なんです」


 あはは。

 それは手厳しい。



 …………あ。



 お礼、できるけど。

 でもなあ。


 そんな俺の心が読まれてしまったのか。

 美穂さんはおずおずと指の先を合わせつつ。


「ひょっとして……。道久君も一緒に立ってくれます?」

「まあ……、いいですけど。得意ですし」

「嬉しいです。じゃあ、一緒に外に出ましょう」



 ……こうして、学校でもないのに。

 俺は美穂さんに立たされることになるのでした。





「……あの、道久さん」

「はい、なんです?」

「不躾なお願いですが、次の土曜日など空いていませんか? 一緒に行きたいところがあるのですが」

「ええ、構いませんよ?」


 花壇が色づくお店の前で。

 お花よりも華やいだ笑顔を見せる美穂さん。


 そんなことでお礼になるのでしたら。

 いくらでもお供いたしましょう。


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