第7話 泡沫の病と願い

「それで、世界を救うって……俺にはそんな大役、務まるわけが……」


「聞くだけ聞いてくれないかな」


 ウバロバイトの申し訳なさそうな顔に、倉田は思わず頷く。

 演技ではない。本当に心痛極まりないとういう顔。敬語を取ることで見せる本心。


「この世界は今、前代未聞の疫病が蔓延してる。老若男女、健康か不健康かも関係なく、突然に死んでしまう病気だ。誰が呼び始めたか『泡沫の病』と言われてる」


「泡沫の病」


 倉田がおうむ返しする。ウバロバイトとラズライトは頷いた。ラズライトの眉間に小さなしわが寄る。彼女も『泡沫の病』で誰かを失ったのだろうか。

 ウバロバイトは続ける。


「『泡沫の病』にはどうやら、泡の神殿に住む神様のまどろみが関係してるらしいんだ。泡の神官によると、神様が眠りと目覚めの間をさまようから、世界の理が不安定になってるとか。神様に鏡でご自身のお顔を見せて、完全に目を覚まさせれば大丈夫なんだって。で、その鏡になれるのが、黒髪の者の琥珀色の瞳だけというわけで……」


 ウバロバイトが苦笑いしながら俯く。


「きみにはきみの暮らしがあったはずなのに、こんな異世界にいきなり呼び出して、こっちの都合をべらべら喋って、本当に申し訳なく思ってる。でも、ボクたちはこれ以上、大切な人を失いたくないんだ。だから」


 再び手を複雑に組み、頭を下げる。


「泡の神殿までいっしょに来てください。お願いします」


 ラズライトもウバロバイトに倣う。


「私からも。どうかお願いいたします」


 一陣の風が吹き、焚き火を揺らした。

 ウバロバイトが静かにつけくわえる。


「泡の神殿までは、正直に言って何日かかるかわからない。それに安全かもわからない。『泡沫の病』があるわけだし。だから……嫌だったら、元の世界に帰す魔法もできます」


 そこまで言って、ウバロバイトは押し黙った。

 風に揺れる草色の髪。それを見ながら、倉田の返事は決まっていた。


「いいですよ。行きます」


 驚き、ウバロバイトは顔を上げる。


「え? そんな二つ返事に」


「だって、都合の悪いことも全部、正直に話してくれましたから」


 だって、元の世界には、俺を騙したり利用しようとする人ばかりでしたから。


 倉田の脳裏には、初任給の明細が浮かんでいた。採用面接のときと条件が違う。そう申し立てる倉田に、上司はただ「認識が甘い」「社会はそんなに甘くない」となじるばかりだった。

 同僚との仕事やミスの押しつけ合いにも疲れた。

 こんなに真摯に向きあってくれる人は、本当に久しぶりだった。だから。


「だから、信用できると思いました。あなたたちの役に立ちたいです。役に立てたら嬉しいです。その、えっと……ウ……ロイトさん?」


 ラズライトが思いっきりふきだした。

 焦る倉田をよそに、腹を抱えてくっくっくと笑っている。


「ロイトだと」


「もー。異文化の人にボクらの名前はきっと難しいんだよ。笑ったら失礼さ」


 ウバロバイトが倉田にほほえみかける。


「ロイトでいいよ。わりと気に入った。……ボクたちの願いを聞いてくれてありがとう、神の鏡。もしあるなら、名前を教えてくれないかな?」


倉田くらた 有里ありです」


「アーリ?」


「ええっと、倉田です」


「クラタ」


「そう」


「じゃあ、よろしく、クラタ。せっかくだから楽しい旅にできるよう、きみを導くよ」


 柔らかに笑むウバロバイトの瞳。虹彩の揺れる緑を見ていると、本当に楽しい旅になりそうな、そんな期待が倉田の胸を満たした。

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