第11話 たとえ泡沫と死ぬとして

「……ラズライト?」


 ウバロバイトがもう一度呼びかける。振り向かないままで。


 倉田は思わず振り向いた。

 丘のふもとに、ラズライトが倒れている。


「っ?! ラズライトさん!」


 丘をかけおりる倉田。


 ラズライトは返事どころか、みじろぎもしない。藍色の美しいポニーテールが、草の間で弧を描いている。留め具が外れ、さっき一緒に磨いて片付けた食器が転がっている。


 倉田はラズライトのかたわらで立ち止まった。あがった息を整えようとするが、鼓動は早まるばかりだ。


「クラタ。すまない。お願いがある」


 丘の上でウバロバイトが言う。

 倉田が見上げる。ウバロバイトは軽く俯いていた。


「ラズライトのリュックを持ってきてくれ」


「え、そんな、このままだなんて。誰か助けを呼んだほうが」


「『泡沫の病』だよ。ラズライトは死んだんだ」


 語尾が少し、ほんの少しだけ震えていた。


 倉田は息を飲み、改めてラズライトを見下ろした。

 ただでさえ抜けるように白かった肌がつやを失っている。血の通わぬ陶器みたいだ。


「……うう」


 唇を噛んで唸り、倉田はラズライトの肩からリュックを外す。もう動かない体は重かった。

 否応なく、朝起きたら死んでいた母のことが思い出された。ラズライトの肌の冷たさに、手を止めそうになる。


「ラズライトは、ボクが幼いあいだの世話係だったんだ」


 ウバロバイトの声ではっとなり、倉田は再び手を動かす。


「親元を離れるには幼すぎたボクを、甘やかしすぎず、よく躾けてくれたよ。歳はきょうだいほどしか離れてないけれど、第二の母さんみたいに思ってた」


 倉田の視界が涙でにじむ。ウバロバイトの声がやけに明るいのが、よけいに悲しかった。

 肩紐が、するりと外れた。

 リュックを背負うため力んだとき、涙が一粒だけ落ちてしまった。倉田は袖で瞼をぬぐう。


「……リュックだけでいいんですか。遺品はどうしますか」


「いちいちそんなの残してたら、荷物がいっぱいになっちゃうよ」


 そんなこと言ったって。


 倉田は歯をくいしばる。淡白ながらも親切な女性の、早すぎる別れが苦しかった。草に転がった剣が目にとまる。せめてそれだけでも貰っていこうと、手を伸ばして。


「……っ」


 迷い迷って、剣を拾わず、腕を戻した。


 涙をこらえながら丘をのぼっていく。ウバロバイトは空を見ていた。


「これがこの世界。『泡沫の病』の世界だよ、クラタ」


 長い前髪に阻まれて、表情はうかがえない。クラタが追いつくと、ウバロバイトは空を仰いだまま言った。


「いつどこで死ぬかわからないんだ。クラタも、ボクも、これから出会う人たちも。怖くなったなら、今からでも元の世界に帰ってかまわないよ」


「……いやです」


「どうして?」


「……この世界が、美しいからです」


 丘の上からは、街道貫く平野がうかがえた。赤い花に満ちた農場。きらきらと輝く湖。白い宝石でつくられた都の建物。豊かな森。雪が飾る蒼い山。あたたかい日差しと、涙をかわかす涼しい風。

 この美しい世界をこれから進んでいく。優しく強い青年と一緒に。自分にしかできない使命を背負って。そしてその旅路で、いつ死ぬかわからない。

 現代社会に疲れ、死に憧れていた倉田にとって、それはとてもとても魅力あふれる死出への旅路だった。ウバロバイトに伝えこそしなかったが。


「いきましょう、ロイトさん。泡の神殿めざして」


「そうだね! 行こう、クラタ!」


 ウバロバイトが倉田にむかってほほえんだ。風が数粒だけ涙を散らした。

 二人は丘をくだる。倉田は一度だけ振りかえったが、丘に阻まれてラズライトはもう見えない。


「絶対にたどり着こう。泡の神殿に」


 ウバロバイトが呟いた。

 倉田は小さく「はい」と言った。そしてポケットに手を入れ、昨晩拾った小さな石をそっと捨てた。

 もう元の世界に帰るつもりはない。元の世界に持ち帰れば宝石だろうけれど、この世界じゃその辺に転がっている小石だ。なんの価値もないだろう。

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