第24話「夢の跡」

「ロー、そろそろ帰ろ……」


 すでに日は落ち、夜になっていた。

 浪はセレイナを引き上げようとして兵士たちに止められ、強制的に櫓の下へと移動させられた。それからずっとセレイナの前で、ただ呆然と立ち尽くしていたのだった。

本来ならば逮捕されても不思議ではない乱闘事件を起こしたはずだが、誰も捕まえにこなかった。事情もあってか、見逃してくれたのかもしれない。


「……なあ、ノエミ。この世界の奴らはこんなのが嬉しいのか?」

「え?」

「おかしいだろ、こんなの……。なんで子供が殺されるのを楽しんで見てるんだよ……」

「ロー……」


 昼間は死刑執行を見るため、あんなに大勢の人が集まっていたのに、今ではすっかり閑散としてしまっている。いるのは一人取り越されている主役の少女と、浪たちだけであった。

 嘆く浪の気持ちは痛いほどに伝わってきて、ノエミとマルギットはなんと答えていいのか分からなかった。


「まだ十数年しか生きていないんだぞ……。あいつが何をしたっていうんだよ。何も悪くない、あいつは無実なんだ……。どうして死ななくちゃいけないんだよ。法律は人が理想の世界を作るために望んで作ったものなんだろ? なのに、なんでこんなことが起きちまうんだ。人がわざわざ決めて作ったことで、人が不幸になるとか馬鹿だろ。訳が分からねえよ……」

「そうだよね、訳分かんないよね……法律って……」


 ノエミは浪を励まそうと同意するが、つなげる言葉が思いつかなかった。


「さあ、帰ろう。いつまでもこんなところにいられない」

「こんなところってなんだよ……。セレイナがいるんだぞ」


 死んだ人間は生き返らない。いつまでも悔いても嘆いても意味がないと、マルギットは言いたかったのだが、浪の言葉で眉をひそめる。言い返してやりたいが、なんとか唇を噛みしめて口を閉じたままでいた。


「今日はすまなかった」


 浪に返す言葉を探していると、暗闇から現れた人影がしゃべりかけてきた。


「あんたは……」


 人影の正体は司法騎士団のショウであった。その腕にはセレイナが抱えかけられている。腰にはいつも下げていた剣の鞘はなかった。


「いいのか、そんなことをして」

「ああ。すでに刑は執行された。もう彼女を束縛するものは何もない。慣習では、死を確実にさせるために翌日までそのまましておくことになっているが、それは法律で決まっていることではない」


 マルギットはセレイナの体のことを言っていた。ショウは過去からの暗黙ルールを破って、セレイナを降ろしてくれたのだった。


「私にできるのはこれくらいだ」


 ショウはマルギットにセレイナの体を預け、頭を下げた。


「それで許されると思ってんのかよ!! いつも法律法律って、てめえは……!」


 それまでうなだれていた浪が突然、ショウの襟首を掴み上げる。


「殴りたいなら気の済むまで殴れ。それで君を捕まえたりはしない」


 ショウは無抵抗に掴まれ、目を閉じる。

 浪の右拳に力が入り、怒りで歯がぎりぎりと鳴る。


「くそっ!!」


 殴られると察したショウは歯を食いしばったが、顔に拳が飛んで来ることはなく、浪に突き飛ばされ、地面に転がった。


「……いいのか?」

「よくねえよ! ……本当は死ぬまで殴ってやりてえ! だけど、殴ったらそれで終わりになっちまうだろ! 処刑が行われたら全部終わりで、罪もチャラになるとか、俺は認めねえ! だから俺はお前を絶対殴らないし、お前を、法律を絶対に許さない!」

「そうか……」


 ショウは悠然と立ち上がり襟を正すと、それだけ言って去って行った。


 浪はマルギットからセレイナを受け取ると、地面に降ろして自分の腕に寝かせた。

セレイナの体はとても軽かった。それは生を受けて、まだこの地にほとんど根を下ろしていないことを示しているかのようであった。これではすぐ天に飛び立ってしまうのではないかとさえ思う。

 首には縄の跡くっきりと残っていた。浪はそれを指でなぞると、目から自然と涙がこぼれ始めた。


「ごめんな、本当にごめんな……。怖かったよな、痛かったよな……。君は何を疑うこともなく俺を信じて待ってくれたのに、俺助けられなくて……」


 浪は冷たくなったセレイナを力強く抱きしめる。


「俺がこの世界に来たばっかりに……君を死なせてしまって……。いったい俺何やってんだろうな。これも俺が死刑になれば全部問題なく終わったはずなのに……。とんだ疫病神だよ。まったくの役立たずだよ。もっと力があれば助けることもできたのかもしれないのに……」


(魔法もどうしようもないくらいの役立たずだった……。なんだよ、人の願いを叶えるのが魔法って。全然叶えてくれねえじゃないか。あれだけ苦労して、迷惑かけて、ろくでもないオチを用意しやがって……)


「人を幸せにも、助けられもしない魔法なんてクソくらえだ! ……ごめんな、セレイナ。俺がいなければ、もっと幸せな人生が待っていたはずなのに……」


 浪はセレイナの髪を手ぐしで梳いた。

 こんな小さな命がなぜ絶たれなければいけなかったのだろうか、浪には理解できなかった。これから50年も70年も生き続けただろう少女がもう息をしておらず、これ以上大きくなることもない。

 ただ愛おしくて、ただ口悔しくて、浪はセレイナの髪をなで続けた。


「私は幸せですよ」


 浪の胸の中で声がした。

 浪は驚愕してセレイナの顔をのぞき見る。二度と開くはずのない口、そして目が開いていた。


「セレイナっ!? どうして!?」

「何を驚いているんですか? ローさんが助けてくれたんでしょう?」


 さきほどまで確かに呼吸をやめ心臓は停止し、体温を失っていたはずだ。しかし、今は息をして言葉を話していた。その体も人の温かさをちゃんと感じられる。


「セレイナちゃんが生き返った!?」


 ノエミとマルギットも驚いている。それも当然で、彼女らも死刑執行を見届け、死んだあともずっと近くにいたのだから。


「魔法なんだろうな。どういう効果かは分からないけど……」

「すごいじゃん! 生き返る魔法だよ! 浪はセレイナちゃんを生き返しちゃったんだ! やったー!!」

「魔法……?」


 事情を把握していないセレイナはきょとんした顔をしている。

 浪も一緒に驚きたい気分だった。


(魔法が効いてたのか……?)


 なんてひねくれた魔法だろうと浪は思う。セレイナを助けたいと思った瞬間に、縄を切ってくれればそれだけで済んだはずなのに、一回死んだあとに復活させるとは、なんて面倒な方法を取ったのだろうか。


(ま、いっか。結果オーライだ)


「とにかくセレイナちゃんは助かったってことでいいんだよね?」

「たぶんな。……だが処刑したのに生きていたとなれば、問題になるかもしれないが……」


 マルギットは諸手を挙げて喜びたい気持ちを抑えて、慎重に事態を分析する。法律が人を殺すべきと判断したのが死刑であるから、生き残っているのはまずい状態なのである。もしかしたら、もう一度死刑を行わなくてはならないのかもしれない。


「それは大丈夫さ。さっきの坊やが言ってたみたいに、もう死刑は執行されてしまったんじゃし。もう同じ事件で処刑はできない」


 突然話に割り込んできた特徴的なしゃべり方をする女性の声。

 魔法使いのカリンであった。巫女装束ではなく、魔法使いらしい黒の帽子にローブを着込んでいた。それが彼女の正式な衣装なのか、場所に合わせた喪服なのか、巫女衣装では目立つから避けただけなのか。理由はよく分からない。


「なんでお前がこんなところにいるんだよ!」

「ちょっと様子見にな。で、解説に戻ると、法律ってのはドライなもんだから、一度完結したものはもうやり直すことはできないんじゃ。死刑が執行されてしまえば、罪人が死んでようが生きていようが関係ない。書類上、処刑されたことが記録されてお仕舞いってわけじゃな」


 カリンは楽しそうに解説をする。こんなときでも、自分の知識を話したくて仕方ないのだ。


「そうじゃない! お前いつからいた?!」

「はじめからいたぞ? どんな魔法になるか見たかったからね」

「いるなら助けてくれたっていいだろ! ……って待てよ、こうなることも分かっていたのか?」

「こうなることって?」

「魔法でセレイナが復活することだよ!」

「あー、それね。全然予想してなかった」

「は?」

「君は相変わらず物分かりが悪いな。魔法は魔法を使う者が望んだものの結果が現れる。じゃから、私はそれを知りうるわけがない。それに君は私に助けろと言ったが、魔法はその人の思いが形になるのじゃから、私には手の貸しようがないんだ」

「そうなのか……?」


 浪は言われていることがよく分からなかった。そして、うまく丸め込まれているような感じもしている。


「ああ。今回私はほんとに何もしてない。それは正真正銘、君だけの魔法さ。君の願いが魔法を生み出し、その強さが少女を生き返すという偉業をやってのけた。君の思いが少女を救ったんじゃよ」


 恥ずかしい褒め方をされ、浪は顔を赤くする。


「でも、どうして今になって生き返ったの? はじめから死なないってわけにはいかなかったの?」


 ノエミはカリンに、浪も考えた素朴な疑問をぶつける。


「詳細は魔法に聞いてほしいところじゃが……まあ、生き返る魔法というより、これから起きるだろう、頸骨の骨折に対して働いたのかもしれぬな。調べてないのでよく分からんが、飛び降りた衝撃を無効化するために、体の全機能を停止させたのか……単純に折れた骨を修復したんじゃろう。致死クラスの危機を乗り越える魔法、ってところじゃな。そもそも……」

「あのお……何の話をしているのですか……?」


 カリンお得意の解説を中断させたのはセレイナだった。

セレイナは浪以外とは面識がなく、どうしてこのような状況になっているのかも分かっていなかったのだ。


「ああ、すまないね、セレイナ嬢。申し遅れたけど、私は魔法使いをやっているトーキ・カリンという者じゃ。トーキでもカリンでも好きな名で呼ぶといい」


 カリンはまだ浪の腕の中にいるセレイナの手を取る。


「え、魔法使いですか……? あのおとぎ話に出てくる?」

「そう、あの魔法使いじゃ。魔法をばんばん使って人の夢を叶える素晴らしい職業の」

「わあ、すごいですね! 一度お会いしたいと思っていたんです!」

「そうかそうか。私もセレイナ嬢にお会いできて嬉しいぞ」


 自分と出会ったときの反応と違い、調子のいいことを言うに面食らって、浪は顔が引きつってしまう。

 その会話にノエミが首を突っ込み、マルギットを巻き込む形で自己紹介が行われる。


「皆さんは私を助けるために、そんな危険なことをしてくだったんですね……」

「いいのいいの。無事セレイナちゃんを助けられたし、いろいろ楽しかったし!」

「いえ、これは私たちの家庭の事情ですのに、よそ様にご迷惑をおかけて、本当に申し訳ありません……」


 セレイナは改まって深々と頭を下げた。


「ほら、ローさんも頭を下げて」

「え?」


 小さなセレイナに頭を押さえられ、やむを得なく浪も頭を下げる。


「ははっ、ローの奴、さっそく女房の尻に敷かれてら」

「おい、マルギット!」

「いいじゃん、仲よさそうで~」


 浪はマルギットたちに茶化されてむっとするが、こんなことができるのも、彼女らの協力でセレイナを助かけられたからである。浪は何よりも彼女らに感謝しなくてはならなかったと思った。


「そうだ、忘れてた。君にこれを渡そうと思ってたんだ」


 浪はポケットから木箱を取り出す。


「気に入ってくれるといいんだけど」


 木箱に入っていた指輪を差し出すと、セレイナは目を丸くする。


「これは……?」

「ほら、大切なものを交換するって奴」

「ええっ、こんな高価なものいただけませんよ! それに私はこれをいただいてますし」


 セレイナは服の下から、お守りを取り出す。浪が以前渡したお守りで、紐が付けられ首に提げられていた。


「いや、君にはこれを渡したいんだ。これは俺のいたところの風習で……け、結婚するときに……好きな人に渡すことになってる。……だから君に受け取ってほしいんだ」


 浪はかつて経験したことがないほどに顔を真っ赤にし、セレイナの返事を待った。


「そういうことでしたら……。私の返事は『はい』に決まっています!」


 指輪を受け取り、満面の笑みを浮かべるセレイナ。


「ありがとな……ほんとにありがとな……」


 セレイナの笑顔を見て浪はこれまでの苦労がすべて報われる気がし、目に熱いものがこみ上げてくる。


「あー! その指輪、ローのとセットなんだね! セレイナちゃんもつけてつけて!」

「へえ、ローも面白いことするじゃないか」

「うるせえ」


 幸福感にノエミとマルギットの茶化しも受け入れていい気がする。


「確かに面白い。私の使った魔法が、妻の命を守る指輪になるとはな。せいぜい大切にしてやってくれ」

「あ、ああ……」


 思いを込めて魔法を埋めた込んだときは意識していなかったが、この指輪はセレイナを助けた魔法の指輪で、今後も妻・セレイナの命を救う魔法を秘めているのだ。浪が望む限り、セレイナはどんな困難でも乗り越えられよう。


「魔法ってすごいんだな」


 浪は魔法が人の願いを叶え、人を幸せにするものだとはじめて知った。

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