第10話「なぜ罪が重くなるのか」

「おい、ノエミ!」


 ノエミの家に着いたときには、すっかり辺りが暗くなっていた。何度か通った道なので、浪は迷うことなくたどり着くことができた。

 息を切らしながら、家に踏み込むと、ノエミがあっけらかんとした言葉で答えてくれる。


「あ、ローじゃん。どうしたのー?」


 壁がほとんどないその家は、家主の姿をすぐあらわにしてくれる。ノエミは帰宅したばかりなのだろうか、寝間着に着替えているところだった。細身で引き締まったシルエットが目に焼きに着く。


「おい、何してんだよ……! 服着ろよ……」

「えー、ローが勝手にのぞいてきたくせにー。なにその言いぐさー?」


 ノエミはぷんぷんと不機嫌な顔して、ローに背を向けて服を着替える。この前と同じ素朴なワンピース姿になる。


「で、どうしたの? そんなに急いじゃって」

「まだガム持ってるのか?」

「うん、持ってるよー? それがどうしたの? ……まさか、返せって言うんじゃないよね……?」

「いらねえよ! そんな危ないもの、早く捨てろ! 捕まるぞ」

「え、捕まる? ガムってヤバイの?」

「おいおい……やっぱ知らなかったのかよ……」


 この世界の住人なのに、死刑になる法律を知らないのかと、浪はあきれてしまう。どこか変な奴だとは思っていたが、大事なところが抜けているようだ。


「ガムは持っているだけで捕まるんだ。早くどっかに捨てないと、大変なことになるぞ」

「あ、そういうことなんだ。ガムってなかなか売ってないから、なんでかなーと思ってんだよ」

「禁止されてるから売ってないんだろ……」

「あはは、よく考えてみればそうかも。ガムってすごく高いお金で取引されてるんだよねー。だから、作るのが大変なのかなーって思ってた」

「闇取引かよ……」

 

 法律で所持が禁止されているから、世に出回ることがない。そして、禁止されているにもかかわらず、裏で生産や売買が行われているから、高価なのである。それはこの世界においての麻薬も同じかもしれない。


「でも、なんでガムが禁止なんだろうな。別に体に悪いってわけじゃないのに」

「んー、どうしてなんだろ? でもさ、禁止されてると欲しくなっちゃうけよね」

「そうか?」


 浪にとってはガムなんてどこでも手に入る安価の品である。危険性もないし、珍しくもないのだ。ガムがないなんて想像したこともない。


「そうだよ。ガムってすごいんでしょ? 噛んでも噛んでもなくならないんだって? そんな食べ物あったら、毎日食べるのに困らなくなるよー! ああ、夢のよう……!」

「いや……ガムでお腹はふくれないぞ?」

「え、そうなのっ!?」

「ガムは噛むだけで食べ物じゃねえ。味がなくなったら吐き出すんだよ。飲み込んだら、たぶん腹壊すぞ」

「ええ……ショックぅ……。非常食になるかなと思ってたのに……」


(ガムにどんな幻想抱いてるんだよ……)


「それじゃあ、ガムって何なの? お腹ふくれないのに食べる必要ある?」

「噛んだ感触を楽しむもんなんだよ。いろんな味もあるし、噛んでれば口が寂しいのをごまかせるしな」

「えー、噛むだけー? 味があっても食べられないんじゃ、蛇の生殺しのようなもんだよー」

「ああ。噛んだらあとは捨てるだけだ。喰うな」

「じゃあ、いらない。なんでみんな、そんなの欲しがるんだろ……。禁止されても困らないじゃん……」


 ノエミはがくっとうなだれる。ガムを食べるのを相当楽しみにしていたようだった。


「まあな。別にいらないものなんだけど、妙に中毒性あるんだよな。つい噛みたくなっちまう。それで、いざ捨てるとき、捨てる場所がなくて困るんだ。最近、町にゴミ箱ないし。その辺に捨てたくなるのも分かるっつうか……」


『死ねばいいのに』


 心臓にずきっとした痛みが走る。

 それは以前、浪が発したワードだった。この世界に来る前、神社でガムが手についてしまったとき。


「まさかガムが禁止されているのって……」


 ガムのパッケージには、ちり紙に包んで捨てるように書かれているが、守らない人は大勢いる。町中に吐き捨てて、黒い塊としてコンクリートやアスファルトの汚い装飾となっている。それがガムであったことは誰も気にすることなく、毎日多くの人たちが踏みしめている。それはもはや地面の一部となっていた。


「ガムが町を汚すからか……?」


 とある国でガムが禁止されていることを聞いたことがある。観光立国であるその国は、景観を損ねないために町を汚す行動をことごとく禁止している。ガムは噛むところか持っていることすら禁止され、見つかったら多額の罰金を支払わなくてはならない。


「でも、死刑はやりすぎじゃ……」


 ガムを持っているだけで死刑はやりすぎなのではないか、浪はそう言いかけてやめる。自分もまた『死ねばいいのに』と思った人間だと気づいたのである。


(確かにあのときは死ねばいいとは思ったけど、本当に死ねばいいなんて思ってないって……。この法律もそんな感じでできたんだろ……? 誰かがそれを望んだから、とかで。なんなんだよ、この町は……。人が望んだからって、なんでもやればいいってもんじゃねえだろ……)


「どうしたの、ロー?」

「……ああ。いや、なんでもない」


 浪が冷や汗をかいて硬直していたのをノエミが心配してくれる。


「それで、ガムは捨てればいいんだっけ?」

「ああ、そうだった。すぐ捨てろ。お前も逮捕されるぞ」

「うん、分かった。明日、誰も見てないところで捨ててくるよ」

「忘れないようにな。ところで、知ってたら教えてほしいんだけど……」

「うん、なになに?」


 浪はセレイナが捕まった話をノエミにした。自分が持っていたガムで逮捕され、どこかに連れていかれてしまったこと。そして、なんとかして助けたいこと。

 結婚することになったことは、恥ずかしいのであえて話さなかった。二人はおそらく面識もないだろうし、複雑な事情なので説明しにくい。


「どこにいるか分かるか?」

「んー、どうなんだろ。小さい罪なら、略式裁判とか言ったかな、それですぐ牢屋行きなんだけど。あ、ローが入ってところね。でも、死刑になるぐらいの罪なら、たぶん裁判があるから、どこかで取り調べがあるんじゃないかな?」

「それはどこなんだ?」

「分かんない。そこは行ったことないからなー」


(他は行ったことあるのか……)


 ガムの所持が重罪ということも知らないのだから、凡ミスでいろいろ警察にお世話になっているのかもしれない。ノエミの危機感のなさに少し心配になる。


「仕方ない、あいつを頼ってみるか」

「あいつって?」

「なんとか騎士団のショウとかいう奴だよ」

「ああ、司法騎士団の子ね! ショウならなんでも教えてくれるよ」

「奴を知ってるのか?

「うん、よくお世話になってるからねー」


(よくって……いったい何をしてるんだよ……?)




 浪はノエミと別れ、司法局を訪ねることにした。ノエミは自分も行こうかと言ってくれたが断った。ノエミに迷惑かけるのも悪いし、セレイナの件は自分で処理したいのだ。

 司法局の場所は幸い、セレイナに案内してもらっていたので、無事に着くことができた。


(いつでも訪ねろって言ってたよな……)


 町の灯は落ち、人々は眠りにつく時間だった。司法局は職務柄24時間仕事をしているのか、まだ灯りはついていた。守衛にかなり不審がられるが、ショウの名前を出すとすぐに案内してくれた。


「やあ、君か。こんな時間にどうした? 式の相談かい」


 ショウは深夜勤務にかかわらず血色のいい顔で、浪を快く迎え入れてくれた。

 以前会ったのは、浪をセレイナの家に訪ねるように言ったときである。ぶつかった男女が結ばれるという、珍しい慶事を聞きつけて、浪を案内したのであった。


「……そうじゃないんだ」


 浪のただならぬ雰囲気に、ショウはジョークを飛ばすような笑顔から、すぐに真面目な顔つきに変わる。


「何かあったようだな。話を聞こう」


 あまりにも性格が出来すぎていて僻みたくもなるが、こういうときには頼れる男だと思い、浪はこれまでの経緯を話した。


「セレイナはどこにいるんだ?」

「おそらく拘置所だろう。裁判が終わり、死刑となるまではそこにいるはずだ」

「死刑……。セレイナは無実なんだ。なんとかならないのか? 無罪になる方法とか、せめて刑が軽くなる方法とか」

「この罪に関しては死刑以外の選択肢がない。確固とした証拠がある場合、死刑は免れぬだろう。今回はガムの現物が押収されているから、何をしたとしても言い逃れはできない」

「それでも……! なんかあるんだろ! 教えてくれよ! 脱獄すれば無罪なんだから、きっとこれにも抜け道があるに違いねえ……!」


 感情のあまりいきり立つ浪に対して、ショウは態度を変えず、いつもの通りクールな反応を示す。


「たとえあったとしても、この司法騎士団の私がそれを言うと思うかい?」

「くっ……」

「知っているかもしれないが、この法律は、かつてガムの大流行によって、町が汚れてしまったことに起因している。町中にガムが吐き捨てられ、至るところに黒く汚れたガムがへばりついていた時代があったのだ。歩けばガムを踏む、手をつけばガムがへばりつく……想像したくもないな。それでガムの生産を禁止し、この法律ができてからは、ご覧の通り綺麗な町になったのだ」

「それが何か?」


 つまらない講釈は聞きたくない。知りたいのはセレイナが助かる方法のみだったので、浪はいらだっている。


「皆が望んだことを実現した法律ということだ」

「なっ!?」

「誰が汚い町を望むだろうか、誰が汚れた道を歩きたいだろうか。ガムは腹のふくれぬ嗜好品、つまらぬ欲を満たすだけの不要物だ。百害あって一利なし。当然、所持しているだけで死刑だという声は上がったが、結果は皆が満足している。持っていなければ死刑にならないのだから、一般の人は決して害が及ばず、それでいて町が綺麗になるのだから、これほど楽な施策はない」


 それに関しては浪も納得せざるを得ない。麻薬取り締まりのために、麻薬所持をさらなる重罰にしても、普通の人には関係ない。誰かが「重罰にしたい」と言えば、「すれば」と答えてしまうのだ。


「……そうかも、そうかもしれないが……セレイナは関係ないんだよ。なんとか助けてやってくれよ! なんなら俺が代わりに死刑になったっていい!」

「君が死刑に?」

「あのガムは俺が持ち込んだガムなんだ。だからセレイナには関係ない。死刑にするなら俺を死刑にしろっ!」

「君は今もガムを持っているのかね?」

「え?」


 ほとんどのガムは警察に押収され、ノエミに渡したガムは捨てさせた。今手元にあるガムは一つもなかった。


「ない……」

「ないなら君を死刑にはできない」

「どうしてだ!? 俺のガムだっつってんだろ!」

「法律には“所持している者”としか記載されていないからだよ」

「は?」

「法律は、国と市民が同意の上で作り上げたルールだ。これをなんぴとも侵すことはできない。法律にガムの“所有権を有する者”と書かれていない以上、君を逮捕することも、死刑にすることもできぬのだ」

「どういうことだ……?」

「真の持ち主かどうかは関係がない。“今誰が持っているか”で決めるということだよ」


 浪にはショウのいうことは大して理解できなかったが、理屈は通っているように思えた。


「……ようするに、打つ手なしということかよ……?」

「そうだな。残念ながら今の法律で、彼女を助けてやる方法はない」


 浪は憎しみを込めてショウをにらみつける。


(何が残念だ! この冷血お澄まし野郎が……! 子供を死刑にすることに抵抗はないのかよ……!)


「すまないな、無駄な時間取らせちまった。俺はこれで失礼するぜ」


 これ以上話していても仕方がない。浪は立ち上がり、その場を去ろうとする。


「それでどうするつもりだ?」


 ショウは浪の背に向かって言葉をかける。


「知らねえよ。それにお前には関係ねえことだ」

「彼女がこんなことになってしまったのは誠に遺憾に思う。私もこの職務になければ、彼女をなんとしても助けてやりたいと思うだろう……。成人しているとはいえ、まだ幼い少女だ……それを死刑にするなど……この世から旅立たせようなど……間違っているに決まっている……。だが……」


 ショウはしわのよった顔を伏せ、心から悔しい思いを告げる。職務と自分の思いの違いから来る葛藤に彼は言葉を振るわせる。


「お前……」


 ショウの言葉に偽りがないことは、浪にも分かった。

 ショウは呼吸を整えると、再び口を開いた。


「一つ忠告をしておく。脱獄を企んでいるならやめたほうがいい」

「な……」


 今回のショウの言葉は、冷たく落ち着いたものであった。

 浪は反対に動揺を隠せない。これから取ろうとしていた行動が見透かされていたのだ。法律的に助ける方法がないなら、死刑になる前に脱獄するしかない。


「脱獄した者の罪は許されるが、今度は脱獄を助けた者が犯罪者となってしまう」

「なんだと」

「脱獄をほう助した者は、脱獄した者の罪を代わりに受けねばならぬことになっているのだ。この場合、セレイナは無罪となるが、代わりに君が死刑になる」

「はっ、望むところだ。もともとそれが正しいんだからな!」

「……君ならそういうと思っていたよ」


 ショウは立ち上がり、腰の剣に手を回す。


「君が何をするかは君の自由だ。それは法律に認めるところ。……だが、脱獄を企むというならば、私が相手をせねばならない。司法騎士団の名にかけて、全身全霊にて阻止してみせよう」


 浪はショウの発する覇気にすくみ上がってしまう。

 ショウは実際に剣を抜くことはなかったが、浪はすでに何度も切りつけられたような気がした。

 負けた、もしくは死んだ。この圧倒的な実力差によって、浪は再びショウに対して苦渋をなめることになった。

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