第16話「人を許す法律」
「ノエミに何かあったら、貴様を絶対許さない……!」
舟で町を出発してから三日が経っていた。
気が緩んでいたのは認めざるを得ない事実である。ゴーレムとの戦いに慣れてきて、現れてはすぐに撃破するという単純作業になっていたし、連日の戦いに疲れてきていたというのもある。
ノエミが大けがを負い、舟上に倒れ込んでいた。
いつものように水中から現れた石型ゴーレムに対処していたはずだった。だが背後からの新手に気づかずに、ノエミはやられてしまったのだ。
それがただのゴーレムだったら、ちょっと油断していたぐらいではそんなことにならなかったかもしれない。しかし、そいつは水型ゴーレムだったのだ。
水型は文字通り、体が水で出来ている。そのため川と区別がつかず、発見するのが非常に困難である。川に立つ水型ゴーレムは、吹き上がった水柱のようにしか見えない。そして、石型ゴーレムは石の体を破壊すれば、クリスタルをすぐに取り出せるのだが、水型ゴーレムはそうはいかない。体は水そのものであり、槍や剣で突いても、水がはじけるだけで砕くことができない。一方、水であるために弱点であるクリスタルは露見しているが、体内で水が対流していてクリスタルの位置が常に変わっていく。
ノエミは水型ゴーレムの存在に気づかず、背後から重い一撃を受けてしまう。しかし、これが致命傷になったわけではない。ノエミは寸前でその気配に気づき、体をよじらせていたのだ。
浪は水中に倒れ込むノエミを抱き起こして、水型ゴーレムの攻撃をかわす。ノエミはその衝撃にうめき声をあげる。直前の攻撃で背中を痛めているようだった。
「ノエミ!!」
舟の前方で戦っていたマルギットが、石型ゴーレムを突き飛ばし、ノエミのところへ駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「うん……へーきへーき」
ノエミは苦しい表情をしながらも、指でピースサインを作る。
「ロー、ノエミは任せた」
「ああ」
浪は立ち上がれないノエミを抱えて後退、壁を背にする。
マルギットは水型ゴーレムに勝負を挑んでいた。クリスタルのある腹を目がけて、槍の穂先を突き入れるが、すでにその場所にクリスタルはなく、水面下にある足の部分へと移動してしまう。濁った水のせいで、それがどっちの足にあるかも分からなくなってしまった。
闇雲に水中に向けて槍を突き入れるが、水底の泥を刺すだけで、クリスタルの当たる感触はない。
「マルギット、後ろ!」
石型ゴーレムが迫っていた。マルギットは横に倒れることでその攻撃を回避する。だが体が水中に浸かり、身動きがにぶくなってしまう。その隙をついて、今度は水型が反撃してくる。
マルギットはなんとかかわすが、水中でもがくことしかできず、姿勢を立て直すことができない。
「ノエミ、借りるぞ!」
「あっ、ロー」
このままではマルギットもやられてしまうのは明かだった。浪はノエミの短剣を借りて、石型ゴーレムの背に突き入れる。
ガリッと石をひっかくような音。浪の一撃は石の体を砕くには至らなかった。水に足を取られ、突き入れる瞬間にうまく力を込められなかったのである。
まずい、と思って浪は一歩退くと、浪がいた場所にゴーレムの腕が振り回される。間一髪であった。
「無茶するな!」
マルギットが浪を攻撃した石型を蹴飛ばし、大きな水しぶきがあがる。
「すまん」
「距離を取れ。時間を稼いでくれれば、あとはうちがなんとかする」
浪の腕ではゴーレムは倒せない。それは実際に行動して、浪自身にも分かったので、浪はマルギットの言葉に素直に従い、数歩後ろに下がる。
石型が立ち上がり、水型とともに浪とマルギットの前に立ちはだかる。
マルギットはまず、これまで何度も倒してきた石型を標的に定める。すばやい全力の一突きで、顔面を突き砕く。だがそこにクリスタルはなかった。
槍を引き戻し、再び突き入れようとした瞬間、水型ゴーレムが体当たりをしかけてきた。マルギットは水型ゴーレムの動きに気づきはしたが、動作の途中であったために、その攻撃をもろに受けてしまう。
マルギットは受け身を取ることもできず、吹っ飛ばされて水中に沈む。
「マルギット!」
浪はマルギットのもとにかけようとするが、パンチを繰り出そうとする石型に気づいて、この攻撃をかろうじて回避する。
だが姿勢を崩し、水中に膝をつく。体を起こし、顔を上げたときには、二つのゴーレムに壁際へ追い込まれていた。
石と水の動く壁、その威圧感に冷や汗が流れる。ゴーレムの動きが遅いといっても、二つのゴーレムの攻撃をかわし、この場から脱出するのはかなり困難である。
ゴーレムの隙間からは、壁に倒れ込むノエミが見えるが、動けそうにない。もう一人の獣人、マルギットを探すが、その姿は確認できない。もしかしたら、気を失ってまだ水中のいるのかもしれない。
(万事休す、か……。だがな、むざむざやられるかよ……!)
逃げられなくても、何もせずやられるわけにはいかない。
浪は水型ゴーレムに体当たりをしかける。
石型ではなく水型を選んだ理由は、石型だとパワー負けしてはじかれるかもしれないが、水型ならばなんとかなるかもしれないと思ったからである。
しかしその予想に反して、浪は水型特有の弾力にはね飛ばされ、壁に打ち付けられる。
「ぐはっ!」
無様に顔面から水中から突っ込む。背中がきしみ、水中で冷静さを失ってしまい、浪は川の泥水を飲んでしまう。
むせながら体を起こすと、目の前に石型の腕があった。そのまま浪は強烈なラリアットを受けて、後ろに倒れ込む。
(あ……終わった……)
頭の中で火花が飛び散り、視界がブラックアウトする。
ゴポゴポと水音が聞こえる気がする。
どうやら体は水中にあるようだ。
水中なら呼吸できない。早く起きなくては。
だが体は浪の命令に反して動いてくれる気配がない。
せめて口を閉じ、息を止めなくては。
けれど口が開いているのかも認識できなかった。
「ロー!」
声が聞こえる。ノエミかマルギットだろう。
(助けてくれ……)
「ロー!」
(俺はここだ……)
「ロー……」
(ああ……)
浪の名前を呼ぶ声がだんだん遠くなっていく。
浪の意識が消えつつあった。
「ノエミに何かあったら、貴様を絶対許さない……!」
意識を取り戻した浪が一番に聞いたのは、その言葉だった。
ぼんやりする視界の中で、涙ながらに叫ぶマルギットが見える。
(ノエミ……どうしたんだ……)
自分は舟に寝かされているようだった。
体を起こそうとするが、思うように動かせない。ゴーレムの攻撃が効いているようだ。
なんとか首を動かし、マルギットの視線先を追うと、マルギットの膝にノエミが横たわっている。
「ノエミ……」
「なんだ生きていたのか」
かろうじて口から漏れた言葉にマルギットが応える。
「マルギット、ケガは?」
「このざまさ」
マルギットの顔が血で染まっていることに気づいた。ゴーレムに突き飛ばされた際に、壁や地面に頭を打ちつけたのかもしれない。
「ノエミは? 大丈夫なのか?」
「ふん、大丈夫なものかよ……」
マルギットはノエミの頭をなでる。ノエミの髪は水に濡れてしおれ、白い顔は泥で汚れている。肌色に血の気はなく、浪からは呼吸しているのか確認できなかった。体をひきずりながら這うようにノエミのいるほうへ近づこうとする。
「近寄るな!」
マルギットの鋭い敵意のある声が地下道に冷たく響く。
浪は動きを停止させる。
「お前のせいでこんなことになったんだ……」
マルギットは震える声で訴える。
「お前がノエミを巻き込まなければ……お前が魔法使いのところへ行こうと言い出さなければ……」
マルギットの言葉は浪の心を深くえぐる。浪には充分分かっていることであり、ノエミとはすでに解決したことであるが、このような事態になってしまっては、ただ悔いることしかできない。
「すまない……」
「すまないってなんだよ! どうやって責任取んだよ! 謝るくらいならはじめからやるなよ!」
まさにその通りであり、浪に返す言葉はなかった。
「ローを責めないで……」
「ノエミ!?」
ノエミが目を開き、わずかに言葉を発した。
「ローは悪くからないから……」
「そんなことあるか! こいつのせいで、ノエミが大けがを!」
「マルちゃん……大声やだ……」
苦しい表情をしながらも、ノエミは冗談っぽく笑って見せる。
反対にマルギットは、ノエミが浪をかばうので苦い顔をする。
「ノエミ、大丈夫なのか……?」
「うん、なんとかね……」
「ノエミ、しゃべるな。今はゆっくり休むんだ」
「そんなわけいかないよ。だって、マルちゃんがローを責めるもん」
「やめてくれよ……。だってそうだろ、こいつがやられなければ、ノエミがかばうこともなかったんだから……」
(かばう? どういうことだ……?)
「えー。あれがマルちゃんだって、あたしはそうするよ?」
「そ、それはそうかもしれないが……お前が犠牲になる必要ないだろ……。それに会ったばかりの奴なんか……」
「お、おい。かばうってなんだ? 俺がやられたあとどうなったんだ?」
浪はここでようやく口をはさむ。
浪にはゴーレムに倒されてからの記憶がない。ノエミは自分より先に、ゴーレムの奇襲を受けていたはずだ。それが自分をかばったとはどういうことなのだろう。そして、あの状態からどうやって逃げ切ったのだろうか。
「どうってことないよ。みんなで協力して逃げ出したの」
「ノエミ、こういうのはしっかり言っておいたほうがいい。こいつがまた、自信満々でアホ面するぞ」
(アホ面って……)
「じゃあ、マルちゃん説明してよ」
「ああ、分かった。全部話してやる」
マルギットの話によると、浪がゴーレムの攻撃を受けて動けなくなったとき、ノエミが負傷しているにもかかわらず、浪の上に覆い被さり、ゴーレムの追撃を代わりに受け続けたというのだ。その後、意識を取り戻したマルギットが剣を抜き放ち、石型ゴーレムを一撃で粉砕。水型ゴーレムの足を大きく払いのけ、空中に舞い上がったところを、クリスタル目がけて一突きしたという。
「あのとき、呼びかけてくれたのはノエミだったのか……」
浪が意識を失う瞬間、名前を呼びかけてくれたのがノエミだったことが分かる。身を挺して助けてくれたことには感謝しかなかった。
「分かったか? お前が今生きているのはすべてノエミのおかげなんだ。忘れるなよ」
「ああ、感謝してるよ」
心からの言葉をすぐに取り出して見せ、マルギットは気にくわない様子で、ふんと鼻を鳴らす。
「まあまあ、マルちゃん、あんまりローを悪く言わないで。法律でもあるでしょ、人のためをしたことに罪を問うてはならない、って」
「それは逆だ。この場合はノエミを助ける法律になる」
「あれ、そうだっけ?」
「ああ。人のためを思い、善意でやったことなんだから許してやろう、という法律だ。いいことをして罪になっては、善行をするものがいなくなってしまうからな」
「おー、それそれ! ローも人助けをしようとして、こんな危ないことしてるんだから、多めに見てやってよー。あたしも生きてるし!」
「生きてるってなあ……」
膝の上で無邪気に笑うノエミを見て、マルギットは困ったように頭をかく。
(まともな法律もあるんだな、この世界にも。まあ、どれも誰かが望んだことを法律にしたっていうんだから、何が悪いっていうのも言いにくいんだけど)
「マルギット」
「ん、なんだよ」
急に真剣な口ぶりの浪にマルギットは戸惑ってしまう。
浪はきしむ体を無理矢理動かし、舟の上で正座をする。
「改めてお願いする。俺はセレイナを助けたいんだ。ノエミにケガをさせてしまったことは申し訳ないと思っている。俺は無力だし、何もできない。都合のいい話なのは分かっている。どうかセレイナを助けるために、マルギットの力を貸してほしい」
浪は深く頭を下げて、舟の床に頭をすりつけて土下座する。
「おいおい、やめてくれよぉ。そんなに頭を下げるな。そういうのダメなんだよ……」
マルギットのこれまで堅かった態度が急に緩くなり、焦り戸惑いをあらわにする。顔を崩れ、手足をおろおろと動かす姿は、もはや別人のようであった。
「ねえ、マルちゃん。ローもこう言ってるし、ここは折れてくれない?」
「……ええい、クソ! 分かったよ。今回のことはいい、ノエミが許すというならば許す。旅はまあ……もうついていくと決めたことだ。最後まで付き合ってやる」
「わーい! そういうマルちゃん、あたし好きだよ」
ノエミは赤くなったマルギットの頬を指でつつく。
「おい、やめろ! からかなうなよ……」
マルギットは膝からゆっくりノエミを降ろし、上着を丸めた枕に寝かす。自分は舟の後ろに立ち、舟を漕ぎ始めた。
「あはは、マルちゃんったら照れてる」
「なあ、ノエミ?」
「ん、なに?」
「マルギットはあんなに怒ってたのに、なんで急に許してくれたんだ?」
「ああ~、頭を下げられたからだよ、たぶん」
「頭を? そんなんでか?」
友達のことを思って激怒していたのに、頭を下げて頼んだからと言って、その怒りが収まるだろうか。
「あたしたちって獣人でしょ?」
「ああ」
「だから、頭を下げ慣れていないんだよー」
「んん、どういうことだ?」
「人間に使われる身だからね、頭を下げて何かを頼まれるという経験をしたことがないんだ。だから、あまりに下手に出られると、どうしていいのか分からなくなっちゃう」
「そういうものなのか……」
町の兵士として勇敢に戦うマルギットが、頭を下げただけで戸惑っている姿は不思議なものだった。マルギットは人間と競うことがアイデンティティーだったのかもしれない。対抗する相手が下手に出ると、勢いよくぶつかることもできず、どう接していいのか分からないということらしい。
「ぐだぐだしゃべってるな。お前らは少し寝てろ。魔法使いがいるところまで、もう少しだ」
照れ隠しで怒鳴ってみせるマルギット。
体は限界に近いので、浪はそれに甘んじて休ませてもらうことにした。ノエミはすでに寝息を立てている。
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