第15話「人と人の戦争」
一体目のモンスターを倒して、しばらく休んでいたい気はするものの、舟を漕ぎ始めてからまだ一時間も経っていなかった。時間に余裕はないので、濡れた服をしぼり、ズボンをまくり上げると、浪は再び舟を漕ぎ始める。
ノエミたちも着替えを持って来ていないようで、服をしぼってタオルで拭いたくらいで、モンスターの警戒に当たる。もともと裾の短い動きやすい服を着ているから、濡れたことで体がそれほど重くなることはなさそうだった。
「あのモンスター、何か名前とかあるのか?」
「あれはゴーレムって言われる種類だねー」
「ゴーレムか、なるほどな」
ゴーレムといえば、様々な神話に出てくる泥人形である。人の形をした化けもので、映画やゲームなどにもよく登場する有名モンスターだ。自分の意志で動くモンスターというよりも、誰かによって生み出され、使役されているイメージがある。
「もしかして、あのゴーレムって誰かが操ってるのか?」
ゴーレムは赤い玉を取り出すことで行動を停止したから考えると、クリスタルは動力としているようだ。知能も高いようには見えず、何者かがクリスタルでモンスターを操っているのではないかと推測した。
「さっすがロー! よく分かったね。ゴーレムは魔法使いが動かしてるんだよー」
「は? 魔法使い?」
「うん、そだよー。魔法使いがクリスタルを埋め込んでゴーレムを作ったんだ」
「ちょっと待てよ。魔法使いが操ってるなら、何で襲ってくるんだ?」
これから魔法使いと会いに行くのに、それを妨害するかのようにゴーレムが襲ってくるのは、歓迎していないということではないのだろうか。
「うん? そう言えばなんでだろ?」
「知らないのかよ……」
ノエミはあごに手を当て、首をかしげて本格的に考え始める。
「操ってるのは、これから会いに行く魔法使いじゃないよ」
マルギットは浪の質問の意図を汲んだ上で回答してくれる。ノエミは浪が勘違いしていることに気づいていないようだった。
「このモンスターは作ったのは大昔の魔法使いさ。だから、うちらが会いに行くのを邪魔しに現れたわけじゃない。それに、ゴーレムに何か意志があるわけじゃなくて、作られたときの命令に従って、近くにいる人を襲ってるだけだ」
「へえ。でも、その大昔の魔法使いはなんでモンスターに人間を襲わせるんだ? 人間に恨みがあるとか?」
魔法使いはどちらかというと、モンスターと戦うすべを人間に与えてくれる正義の味方である。魔法使いが人を襲うためにモンスターを生み出したというのには違和感がある。
「さあな。大昔といっても、昔話とか伝説で言われるような時代の話なんだよ。誰かが魔法使いがモンスターを作った瞬間を見たわけじゃない。その昔話によると、魔法使いと人間が戦争をして、人間を皆殺しにするためにモンスターと生み出したっていうことになってる。ま、言い伝えに過ぎないけどな」
「人と魔法使いが戦争ねえ……。ん、待てよ。獣人はモンスターを倒すために作られたんだよな?」
「ああ、そうだが」
「作ったのは人間か? それとも魔法使いなのか?」
「うちらからすると、人間も魔法使いもたいして変わらないんだけど、そういう意味では魔法使いになるね」
「えっ、それはおかしいだろ?」
「何がおかしいのー? 魔法使いだもん、何ができてもおかしくないでしょ?」
ノエミの言う通り、魔法使いはモンスターや獣人を作れてしまうすごい存在なのだろうが、浪が言いたいのはそういうことではなかった。
「魔法使いはモンスターを作って人間を襲わせた。そして、モンスターを倒すために獣人を作った。……これって矛盾してるだろ?」
「ああ、なるほど。ローは勘違いをしているな」
「勘違い?」
「魔法使いにもいろいろにいるんだよ。派閥って奴かな。人間と対立し殺し合いをする魔法使いがいれば、人間に協力してモンスターと戦う魔法使いもいたってことさ」
「そもそも、魔法使いも人間だしねー。違いは魔法を使えるかだけで、二つは全然違わないもん」
マルギットの答えにノエミが補足してくれる。
浪はそこでようやく合点がいった。そもそも戦争というは、基本的に人間同士がするものなのだ。浪がいた世界では、人間と他の生き物が争っていた歴史はなく、食料や富を得るために同じ人間を殺したり、生まれや考え方が違い、分かり合うことができないから戦争をしたりするのだ。魔法使いという特殊な力を持った人間と、そうでない人間が存在すれば、両者がケンカになるのは別に不思議な理屈ではなかった。優れた者は支配したがるし、普通の者は優れた者を嫉んだり恨んだりするものなのだ。
「それで、人間と魔法使いの戦争の行方は“ご覧の通り”ということさ」
「え……? どういうこと?」
「分からないのかよ……」
マルギットにあきれた顔で見られるが、浪は本当にマルギットの言う意味を理解できなかった。
「あたしたちが人間と一緒に暮らしているってことは、人間側が勝ったってことな
んだよ」
「あー! そういうことか!」
魔法使い側が勝っていたら、獣人がこの世に存在していないはずである。町は魔法使いが闊歩し、日常は魔法であふれていたかもしれない。下手すると町の門番を
モンスターが務めていたことだろう。
「でも……この世界にはまだモンスターがたくさんいるんだよな。戦争で滅びたわけじゃないのか?」
「過去にどのようなことがあったか分からないが、事実はその通りだ。魔法使いは戦争に負けたが、魔法使いは全員死んだわけじゃないし、モンスターもけっこうな数残ってる」
「モンスターが悪さするからって、よく討伐隊が組まれてるよねー。でも、数はどんどん増えてるって困ってるみたい。あれ、そういや、モンスターってどうやって増えるんだろうねー?」
ノエミの素朴な疑問に、浪はまたモンスターの生殖について考えてしまう。だが、石のゴーレムは明らかに生物ではないから、子供を作っているようにはとうてい思えない。クリスタルにヒントがあるのは間違いないが、この世界の魔法がどのようなものか分からないので、これ以上は推測できなかった。
同時に獣人についても考えてしまう。魔法使いが獣人を生み出してからかなり長い年月が経っているのだから、それまでに何十回も世代交代をしているはずなのだ。ノエミとマルギットは女だが、おそらく男もいるのだろう。であれば子孫を増やすには……。
(って、何考えてんだよ、俺……)
浪は首をぶんぶんと大きく振り回し、醜悪な考えを頭から霧散させようとする。
水のしたたる若い女性が近くに二人もいるのだから、そのような思考に至っても仕方ないのかもしれない。二人の服は水に濡れて体にぴったりと張り付き、ボディラインがよく分かるようになっている。こういう思考をするのも、年頃の男子としては至極健全であろう。
その後も石型のゴーレムは何度も出現し、ノエミとマルギットは協力してそのたびに撃破した。場慣れしているのか、たいしたケガを負うことなく、ゴーレムのクリスタルを次々に破壊していく。一方、モンスターとの戦い方を知らない浪は舟の番を担当するが、それも大事であると認識し、自分の役目を必死に果たしていた。
食事は、地下であり川の上なので、調理のいらない保存食が中心であった。モンスターもいつ襲ってくるか分からないので、三人で楽しく食事というわけにはいかない。
睡眠も、一人を見張り兼漕ぎ手として残し、二人ずつ交代で眠ることにした。本当ならばどこか安全な場所にテントを張ってしっかり休みたいところだが、陸地がないため、舟の上で寝るしかなかった。
地下にいると日の光が届かないので常に真っ暗である。昼か夜かなのかも分からず、時計でこまめに時間を確認する。今何時なのか、どのぐらい経ったのか、何回敵と遭遇したのか、ちゃんと管理しておかないとすぐにオーバーロードになってしまうのだ。
浪はモンスターだらけの川の上で眠れるのか心配だったが、度重なるモンスターとの戦いで疲れていたため、寝る番になると、横になっただけですぐ眠ることができた。
浪が目を覚ますと誰かの鼻歌が聞こえた。真っ暗な地下水路にはふさわしくない陽気な曲である。今の見張りはノエミだから、きっとノエミが歌っているのだろう。
「あっ、起きちゃった? ごめんね」
「いや、ちょっと舟が揺れて起きただけだから」
「ありゃ、ちょい乱暴だったかな」
浪はノエミを気遣ったのだが、舟を漕いでいるのはノエミだったので、舟が揺れたらノエミに原因があることになってしまう。
舟はノエミの見事な棒さばきもあって、一定の速度で地下水路を進んでいる。マルギットは毛布をかけ丸くなって眠り、安らかな寝顔からは起きる気配は感じられない。
「ああ、そうじゃなくて……。えっと……その曲は? ここでは有名な奴?」
「ううん。あたしの即興。何か作業するとき、つい鼻歌、歌っちゃうんだ。郵便配達中とか、ずっと歌ってるかも」
「へえ、悪くないな。なんか楽しい感じがする」
「へへっ、ありがと。でも、なんか恥ずかしいな、人に聞かせるものじゃないから」
ノエミは漕ぐ手を休めて、鼻をこすって照れ笑いする。
「何でも楽しくやらないとねー。特にこういう大変なときこそ。浪は疲れてなあい?」
「まあ疲れてはいるけど、まだ大丈夫だ。ノエミは?」
「あたしも全然大丈夫。こう見えて体力はあるからねー」
それも獣人だからだろうかと浪は思う。
大丈夫だと答えたものの、疲れからか気だるい感じが体を支配していて、次の日には全身が筋肉痛になっていそうであった。モンスターと戦うために生まれた獣人は、一日中戦い続けても平気なのだろうか。これまで何度もモンスターを撃退してきたが、人間にとってはかなりの重労働に当たるはずであるが、ノエミたちはけろりとしている。
「巻き込んでごめんな」
「え? 何のこと!?」
ノエミは思ってもみなかったという顔で浪を凝視する。
「完全に俺の都合だよな。ノエミたちにこんな大変な旅に付き合わせちゃって。本当にごめんな」
浪には後ろめたい気持ちがあった。自分が何者か明かすことができず、成り行きでセレイナが捕まってしまい、ノエミにその救出を助けてもらっている。この世界に来たのが自分のせいではないにしろ、すべての事の発端は、自分がしでかしたことであった。ノエミは黒猫の呪いのせいだと思い込んでいるところも、余計に心苦しく思ってしまう。
本当のことを言おうかとも何度も考えたが、言ったところで何かが変わるわけではないので言うのをやめていた。見知らぬ世界でひどい目にあっているところはある程度同情してもらえるかもしれないが、ただそれだけなのである。セレイナが助かるわけでもないし、異世界から来たトラブルメーカーと認識されるリスクもある。すでにマルギットはそう思っているかもしれない。
「もうやめよ」
「え?」
ノエミの声はこれまでに聞いた中で一番低い声で、浪はその言葉にとても重い意味を感じる。
「もうやめようよ、こんなこと」
「ど、どういうことだ……?」
(やめるって旅を? 俺、怒らせたか……?)
「意味ないことを、だよ。こんなことしてたって、何の意味もないもん。ただ気分が悪いだけ。もうやめにしよ」
「う……」
浪はノエミの強い口調に絶句してしまう。
「付き合わせてすまない」の答えが「もうやめよう」というのであれば、理屈は通っている。「これ以上、付き合わされたくない」と言っているのである。
浪に全身から血の気が引くような感覚に陥る。これまで積み上げていたものが崩れ、すべてを失い、これから何も手に入らないのではないかという恐怖が襲ってくる。ノエミという大切な仲間を失ってはセレイナを助けるどころか、自分の命すらどうやって守っていいのか分からない。
「そうだな……。分かった……やめよう……」
ノエミがそう言い始めてしまった以上、浪にノエミを止める権利はなかった。悔しいが浪は認めるしかないのだ。
(ノエミは何も悪くない。ここまで付き合ってくれただけでも感謝しないとな……)
「うん。じゃあこれでおしまい」
(終わった……何もかも……)
浪は急に脱力して舟に膝をつく。
モンスターと戦えない以上、引き返すしかないだろう。一回家に戻り、セレイナを助ける別の方法を考えなくてはならない。
(その方法がないからノエミを頼ったんだよな……)
目頭が熱くなる。絶望感、むなしさ、己の無力さに打ちのめされ、涙がこみ上げてくる。
自分がなよなよした発言をしたから怒られてしまったのだろう。男が迷惑かけてごめんとか、弱気な発言をしてはいけないのだ。そんな男に誰がついて行くだろうか。ノエミもまた、そんな男に嫌気が差してしまったに違いない。
(女の子って難しいな……)
それは人のせいにするつもりではなく、うまくコミュニケーションを取れなかった自分を否定する思い出あった。
ネガティブな面を出してしまった自分の弱さを嘆き、すでに遅い後悔をするのだ。あんなことを言ってしまったのも、きっと心の内側では慰めてほしかったのかもしれない。「そんなことないよ」「大丈夫だよ」「ついていくよ」という返事を期待していたのだ。
己の取った行動の恥ずかしさに耐えきれず、浪は毛布を頭からかぶる。体も心も、人と向き合うほどの余裕がなかった。
だが、すぐにその薄いバリアは破壊されることになる。
「よーし! 絶対にセレイナちゃんを救出するぞー! 頑張ってこー!」
突然大声で叫ぶノエミ。
浪は毛布を少し上げ、ノエミの様子を恐る恐るうかがう。
「何してんのー? ほら、ローも続いて」
そこに見えるのはいつもの元気なノエミの姿である。耳と高く立て、大きな口を開けている。
「へ?」
「へ、じゃないよ。『おー!』て叫ぶんだよ」
「な、なんで……?」
ノエミの言っていることがいまいち分からず、頭の上に?マークがいくつも浮かぶ。
「セレイナちゃんを助けるんでしょ! だから、もう誰が悪いとか、迷惑かけてるとか言わない! ローもだし、あたしも呪いとか忘れるから! 今はぐだぐだ言ってないで、セレイナちゃんを助けることに集中しよっ!」
浪は間抜けなことに、口をぽかんと開けたままになってしまう。
「じゃあ、行くよ。セレイナちゃんを助けるぞー!」
「え、あ……」
「ほら、続いて。セレイナちゃんを助けるぞー!!」
「おー……」
「声が小さい! もっと大きな声で!」
ノエミは浪の毛布をばさっと取り上げてしまう。
「セレイナちゃんを助けるぞー!!!」
「おー!」
「うんうん、そんな感じ! いいね!」
ノエミはとても嬉しそうに顔をほころばして笑う。たいそうご満悦である。
「うん……? ……なんだ、大声出して……敵か……?」
マルギットが眠い目をこすって体を起こす。ノエミと浪の声で起きてしまったようだ。
「ううん、大丈夫。敵じゃないから寝てていいよ」
「……うーん?」
マルギットは状況がつかめていない感じであったが、危機が迫っているわけではないことは理解して、再び毛布をかぶって横になった。
「ふふ、起こしちゃったね」
「ああ、悪いことしたな」
いたずらっぽい顔をして小声で話しかけてくるノエミは、無邪気な少女そのものであった。
モンスターを倒すために生まれた獣人で、猫の耳としっぽが生えていて、力も速さも飛び抜けているが、その笑顔は人間とまったく変わらない。
「絶対助けようね」
「ああ、もちろんだ」
ノエミが小指を差し出してきたので、浪もまた小指を出す。ノエミは浪の指を絡める。
「約束。変な気遣いはダメ。同じ目的のために一緒に頑張ること」
「分かった。よろしくな、ノエミ」
浪はノエミという少女と出会えたことを、心から嬉しく思った。
希望はつながった。
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