第13話「獣人の秘密」
「は? 手ぶらとか、ふざけてんのか?」
心を剣で突き刺すかのような鋭く悪意のある声。
その冷たい剣の持ち主は犬であった。
「ノエミ、こいつ死ぬぞ」
「え、大丈夫だよ? ローはこう見えてもさすらいの旅人なんだよー」
「嘘だな。こいつは何も分かっちゃいない。町の外にすら出たことない、ただの素人だ」
「そんなことないよ。なんとかっていう遠い町から来たって言ってたもん!」
「それが嘘だっつってんだよ!」
浪は自分の前で繰り広げられる獣人同士の論争に口を出すことができなかった。一人は言わずと知れた猫耳を持つノエミ。そして、もう一人は犬耳のついた若い女性である。
話の内容は当然自分のことについてであるのだが、出会って早々、見知らぬ女性にキレられ、激しい剣幕で責め立てられては言い返すことができなかった。
旅人なのは嘘だから認めても構わないのだけれど、信じてくれているノエミには悪い気がする。それに、これからの冒険がどのぐらい危険なのかも分からないから、うかつに「自分はベテランの旅人だ」とも「何も知らないけどなんとかしてみせる」とも言いづらいのだ。ここでノエミともう一人の同行者の信用を失い、もう魔法使いのところにはいかない、ということになっては大変困る。
浪の前には、ノエミが用意してくれた小舟にたくさんの食料が積み込まれている。どうやら犬耳の女性にお金を借りて購入したらしい。そして、その事情を聞いたら、自分も一緒に行くとついてきてしまったと。
「あ、あの……俺のことはいいから、とりあえず出発しようぜ……?」
「ああん!? てめえは黙ってろよ!!」
「は、はいっ!?」
彼女の怒号に浪はすくみ上がるしかない。
尖った耳に、黒まじりの茶色の長い髪を一つに束ねている。猫のノエミよりも一回り背が高く、細身だが体つきがしっかりしていて、スポーツなどで引き締められた体というイメージがある。精悍な顔つきであるため、吠える姿は勇ましく、まさに猟犬のようであった。
「ローの言う通りだよー。時間がないんだからすぐ出発しなきゃー」
「そんなことやめろ! この男のために、お前がこんな危険を冒す必要はねえだろ!」
「えー、こうなっちゃったのはあたしのせいだもん。だから、なんとか助けてあげなきゃ!」
「黒猫の呪いって奴か? 馬鹿馬鹿しい。今時そんなの犬ころでも信じていないぜ」
「あー! マルちゃんも信じてくれなーい!」
ノエミが自分を助けてくれる理由が、黒猫が横切ったから不幸になってしまったという勘違いしかないことに、浪は心許なくなる。ここで論破されてしまうと、ノエミは魔法使いのところへ案内してくれなくなってしまうかもしれない。
浪は自分に扱える武器はないかとあれこれ探してみたものの、これといって役に立つものを見つけ出すことはできなかった。お金があれば刃物でも買えたのかもしれないが、浪はこの世界のお金を持っておらず、手持ちの日本円も指輪代として使ってしまっていた。石や棒でも持ってこようかと思ったが、邪魔になる割りには効果的ではないと思い、結局は手ぶらで来ていたのだった。
冒険の厳しさを知っている人間からすれば、この状態はふざけていると言われても仕方がない。浪も不甲斐なく、申し訳なく思うが、ノエミたちの協力はどうしても欲しいところだった。
「こんな奴、見捨てちまえよ。うちらが助けたところで、モンスターにやられちまうのだがオチだ」
「そんなことないよ! あたしがそんなことなさないもん!」
「お前の気持ちは分かるが、この旅は素人を連れて行けるほど甘いもんじゃない。こいつが死のうと、うちは知ったことないが……ノエミ、お前まで危険な目に遭うんだぞ!」
「分かってるよ! それでもローを助けて、セレイナちゃんも助けるって決めたんだから!」
「そこまでする義理がないっつってんだろ! 奴ら人間のことに首を突っ込むな、どうせロクなことにならない! こいつらはうちらが助けたところで、感謝すらしない。骨折り損に決まってる!」
「ローはそんなことないもん!」
「やめろ、やめろ! たいした根拠もなく、人間なんか信用するな! また泣くことになるぞ! こいつだって何を考えてるか分かったもんじゃない。女を助けるとか言って、本当は魔法を狙ってるだけかもしれん!」
(嫌われたもんだな……。やけに人間を悪く言うが、人間とノエミら獣人は仲が悪いのか……?)
これまで考えたことはなかったが、人間と獣人の間には何かがあるのかもしれなかった。獣人はほとんど見かけないことから、町の支配者は人間だということが分かる。ノエミがボロ屋に住んでいるのは貧乏だからと思っていたが、もしかすると種族的に嫌われていて住む地域が違ったり、人間より収入が低かったりするのかもしれない。
「もう泣いてるよ……。マルちゃん、ひどいよ……。マルちゃんはいつも、あたしのこと何も分かってくれない……」
「お、おい、泣くなよ! うちが泣かしたみたいだろ!」
お前が泣かせたんだろ、とツッコミたいと思ったが浪は自重する。さすがに空気を読むべきところだった。
「うちはただノエミのことを思って……。おい、やめてくれよぉ……。こんなところで泣くなって……」
犬耳の女性はこれまでの強気の態度と打って変わって、明らかにうろたえているが分かる。太いしっぽがしおらしく下がっていた。
「じゃあ……ローを連れていってもいい……?」
「それとこれじゃ、話は別だ」
「えー……マルちゃんひどい……」
「しょうがないだろ、これがお前のためなんだって……」
「あたしのためだったら、あたしに協力してくれたっていいじゃん!」
「そうだが……そうじゃないんだよ」
「なにそれ、訳わかんないよ!」
しっかり言い返すことのできない犬耳の女性に対して、ノエミは攻勢に出始める。
「じゃあ、マルちゃんは来なくていいよ! あたしたちだけで行くから!」
「馬鹿、やめろ! 死ぬぞ!」
「死なないもん! 死ぬと思うなら、助けてくれればいいじゃん! 友達だと思ってるなら、当然だよね!? マルちゃんは強いんだし、あたしを守ってくるもん」
「う……」
言葉に詰まり、しばらく黙って考えたあとについに折れるのであった。
「……分かったって。うちも行くから、無茶だけはやめてくれよな」
「ほんと!? 一緒に魔法使いのところへ行ってくれるの!?」
「ああ……」
「やったー! じゃ、ローと握手して?」
「はあ!? こいつと握手? なんでだよ」
「一緒に冒険する仲間だからだよ! ね、仲直りしよ?」
心へダイレクトに訴えかける、うるるとした目。その目で見つめられたら、誰であろうと断ることはできないだろう。
「ちっ……。ああ、分かったよ……」
女性は振り向き、できる限り凶悪な目でにらみつけたため、浪は一歩引いてしまう。
「よ、よろしく……」
浪はおそるおそる手を出す。
そのまま剣で手を切り落とされるぐらいの勇気を振り絞ったかもしれない。
「ちっ」
女性は浪から目をそらしながら、浪の手を握った。
「俺は浪。あの……マルさん」
「ああん!? 気安く呼ぶなっ!」
女性は赤面し、せっかく握手した手は強引に振り払われてしまう。
「ご、ごめん……。えっと、なんて呼べばいい? 名前は?」
「くっ……マルギット・シンタクだ。マルギットと呼べ」
「ああ、それでマルちゃんか。よろしくな、マルギット」
「ふんっ」
ぎこちなくも自己紹介を終えた二人をノエミは、うふふと面白そうに眺めている。二人が仲良くなったことにご満悦のようだった。
「はじめに言っておく。ノエミになんかあったら、分かってんだろな」
「あ、ああ……」
仲良くなったとはとうてい言えない容赦のない眼光に、浪はすくみ上がる。
(間違いなく俺、殺されるな……)
何はともあれ、浪たち一行の旅はスタートした。
ローは舟をこぐ役割を進んで買って出た。モンスターが出てきたらおそらく何もできない。こういう単純な肉体労働くらいはやってみせないと立場がないと考えたからである。
舟は三人と食料を載せる一杯なぐらいに小さい舟である。地下に流れる川はそんなに深くないため、漕ぐといっても長い棒で地面ついて押し出すものである。安定して漕ぐことができれば、舟は前に進み続けるため、荷物を持って歩くよりかはずっと楽だった。
マルギットは町を警備する仕事をしているらしい。革鎧を着込み、腰に剣を差し、槍を持つ姿は様になっている。この一行の中で一番腕が立つに違いない。
ノエミは普段とたいして変わらない服装だったが、腰のベルトに短剣を差している。彼女いわくこれが一番動きやすくていいとのこと。
「それにしても気味の悪いところだなー」
油に火をつけ、ランプで照らした出された地下空間は、長い期間利用されていないことがすぐに分かる状況であった。壁や天井にはコケで埋め尽くされ、空洞を補強のために積まれた石も崩れているところが多い。
川の水は思ったよりも汚くなかった。下水管の中を想像していたのだが、地下水が溜まって川になっているだけで、人工的に下水を流しているものではないようだった。ただ流れはほとんどないため、水が濁ってしまい、湿気ったような腐ったような臭いが鼻をつく。
「そりゃー、墓地だったからねー」
「墓地っ!? ここがか?」
「そんなことも知らないのかよ」
「すみません……」
「もうマルちゃん、ローをいじめちゃダメだよお」
二人の話によると、どのぐらい昔のことだったか分かっていないが、大昔に地下通路が作られ、人々は地下に住んでいたことがあるらしい。そのうち利用されなくなり、地下墓地として利用されたという。今ではその存在を忘れられ始め、あまり人の寄りつかない場所となってしまった。
「そういえば、聞いてもいいか?」
「ん、なにを?」
「変なこと聞いたら殺すぞ」
「聞かねーよ! ……どうして獣人は人間を嫌ってるんだ?」
人間と獣人の違いについては確認しておきたかった。マルギットは人間をひどく嫌っているようだったが、この世界において獣人はどのような存在なのだろうか。人間は獣人に対して何かをしたのだろうか。
浪の問いに二人は沈黙で返した。
「あれ、聞いちゃいけなかった?」
「……ノエミ、こいつ殺してもいいか?」
「ダメダメ! それだけはダメ!」
マルギットが槍の穂先を浪に向けようとしたのをノエミは止める。
(やはり人間との間に、何かあったんだな)
「……まあ、お前が知らないのも無理はないのかもしれないな。人間どもがしでかしたのは、お前が生まれるずっと前の、大昔の話だ」
「大昔?」
「ああ、とびっきり昔のな」
「人間が獣人に何かしたのか?」
「んー、何かしたっていうかー。あたしたちを生み出したというかー?」
「あん? 生み出した?」
「うちら獣人はモンスターを狩るために、人間に生み出された存在なんだよ」
「え……?」
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