第23話「死刑執行」
浪たち三人は大量の兵士と乱戦になっていた。数は圧倒的不利なはずだがノエミとマルギットは、人間離れした獣人の力で圧倒していた。二人の力、技量、そして勢いは凄まじく、相手の士気は著しく低下し、積極的に攻撃をしかけようとせず、包囲して小競り合いをするのに留まっていた。
浪もまた敵兵の槍を奪って応戦し、ノエミたちが敵を引きつけているうちに、櫓への接近を試みていた。相手は戦闘訓練を積んでいて、こちらはまるっきり素人。まともに戦って勝てるわけがないため無理はせず、ノエミの援護を受けつつ、一歩一歩前進を重ねていく。
「やはり来てしまったのか」
浪がようやく包囲を抜けると、立ちはだかる一団がいた。兵士とは異なる黒い制服に身を包んでいる。その中心に立つ人物には見覚えがある。司法騎士団のショウであった。この処刑の責任者であり、事態の収拾のために司法騎士団を引き連れて現れたのだ。
「ちっ……それはこっちの台詞だ」
ようやく櫓の前にたどりついたのに、浪はショウの登場で、精神的に一気に引き離された感じがした。こいつがいては、うまくいくものもうまくいかなくなる。
「忠告を破ってすまないな。俺はあいつを助けると決めたんだ。ここは通してもらうぞ」
彼の威厳のある立ち振る舞いに気圧されながらも、浪はできる限りの虚勢でショウの前に立ってみせる。
「……そうか。できればこのような結末にしたくはなかったのだが……。もはや説得は無用なのだな?」
ショウは悟りきった口調で話し、本当に残念な顔をする。些細な罪で死刑になってしまうセレイナのことも、その婚約者である浪の気持ちも分かっていた。だからこそ、浪とこのような形で戦い、浪もまた処罰しなければならないのは大変心苦しいのである。
「ああ。お前が仕事に忠実なのは分かるが、そんなの俺の知ったことじゃない。お前が何をしようと、俺はセレイナを助ける。こんな馬鹿げた処刑なんか止めてみせる!」
「ふ、よくぞ言った。これでこの剣を心置きなく抜くことができる」
ショウは腰に下げた鞘から剣を引き抜く。
浪はこれまで何度かショウと対峙したが、剣を抜くのは初めてだった。その流れるような華麗な動きに、これから命を懸けたやりとりを行おう相手にもかかわらず、浪は見とれてしまいそうになる。
「我は司法騎士団、法の守護者にして執行者。法に楯突き、法を冒涜する者を決して見逃すことはできない!」
ショウの放つ鋭い殺気は、浪の戦意を喪失させる。鬼神のごとき威圧感に、剣を突き出された瞬間に自分は死んでいるのではないかと思えてくる。
(こいつはやべえ……。絶対死ぬ……)
「だが、逃げるわけにはいかないんだよ……!」
浪は覚悟を決め、渾身の力で槍を一直線に突き出す。手加減なんてできない。これで相手を殺してしまったら仕方ない。殺人罪だって受け入れるしかないだろう。
だが槍が届くことはなかった。ショウによる神速の一閃が走り、穂先が地面にぽとりと落ちる。
浪の額に冷や汗が流れ、さらなる絶望に襲われる。
「公務執行妨害」
「え……?」
ショウが静かに事務的につぶやいた。
「君の行動を公務執行妨害と認定した。司法騎士団に授けられた権限によって、本件を迅速に対処する」
ショウは剣を構え、悠然と歩き近づいてくる。
その荘厳さ優雅さは、司法騎士団に与えられた権利、それを実行できるほどの実力がなせるわざであろう。
対して浪は、剣の間合いに入ったら最後に違いないと、相手が近づいてきた以上に後ろに下がる。
(どうすればいい、どれすればいい、どうれすればいい!? 魔法を使うか? ……ダメだ、あれはセレイナを助けるためものだ。こいつを倒すために使ったら意味がない!)
頭をフル回転させて、ショウに立ち向かう方法を考える。しかし立ち向かうものは何一つ思いつかない。
ノエミとマルギットを頼るしかないと思い、彼女らを見るが、大勢の兵士に囲まれているようで、その姿を確認できない。
「くそっ、ここで終わりなのかよ……」
浪は無事に死きて帰ろうなどという甘い考えを捨てる。ここは戦いであり、戦争だ。自分の安全ばかり考えていても、成さねばならぬことを成すことはできない。腕一本くらい犠牲にしてでも、セレイナを助けられれば充分目的を達成できているのだ。
ポケットから魔法の短剣を取り出す。刀身は親指ほどしかなく、相手の剣を受け止めるのは不可能である。だが相手に一撃差し込むこともができれば、逆転勝利も可能な武器である。だが石でも貫き通す攻撃が人間に当たればどうなるか、あまり考えたくはない。
(……隙を見てたたき込んでやる)
ショウと間合いを取りながら、相手の動きをしっかり見て隙をうかがう。しかし短剣を突き立てられる隙など見つからない。浪が武術の素人というのもあるが、ショウの動きにはそもそも隙は存在しなかった。
逃げていても、いつかは追い詰められるだけなので、一か八かの確率にかけることにした。運よく相手の攻撃をかわして、短剣を突き刺すことができるかもしれない。万に一つの成功を祈って、浪は突撃する。
ショウは浪目がけて、正確に剣を振り下ろす。
体を貫かれたと思った。ショウ相手にそれもやむを得ない、そのまま反撃を加えるまでだ。
しかし、刺された痛みは感じられなかった。
剣の穂先は浪の体を切り裂きことも、突き刺すこともなく、別の人間が受け止めていたのである。
「なんであんたが!?」
浪は思わず叫んでいた。
剣を腹で受け止めた人物は、セレイナの父・レナルドであった。浪とは酒場での一件以来会っていなかった。
「おい、何をやって……」
ショウは思わぬ展開に取り乱していた。無関係の人間に危害は加えるは当然許されておらず、間違った人物を刺した事実以上に、法を犯したことが彼にとってショックだったようだ。
「やめろ、死ぬぞ……」
慌てて剣を引き抜こうとするが抜けなかった。レナルドが刀身を手で掴んで放そうとしないのだ。
びっくりしているのは浪も同じである。あの飲んだくれでろくでもなくて、自分をぼこぼこにした人間がどうしてこの場に現れ、自分を助けてくれるのか。
「ぐふっ……。セレイナを……頼むぞ……」
なぜこのようなことをしたかは、考えるまでもなく簡単なものだった。娘を助けにきたのだ。決して浪に対して行ったことではない。
「あ、ああ……」
浪はレナルドの言葉でようやく正気を取り戻す。自分のやるべきは一つで、他のことに目を向けている場合ではなかった。
短剣を振り上げ、そしてショウの剣に向かって突き降ろす。
「なんだと……!?」
壮麗さと堅牢さを併せ持つ刀身が一撃で砕け、真っ二つに割れてしまう。
剣が二つに割れたことで、ショウとレナルドは引き離され、後ろに倒れ込む。
「お義父さん、大丈夫ですか!?」
「誰がお義父さんだ……。貴様に言われる筋合いないぞ……」
浪はレナルドの止血のため、上着を脱いで傷口にあてがおうとするが振り払われてしまう。
「触るな……。早くいけ……」
少しどうすべきが立ち尽くすが、レナルドに一礼するとすぐに櫓に向かって走り出した。
ショウが立ちはだかってくると思ったが、予想に反して何もしてこなかった。
「執行者の剣が折れるなど……あってはならぬことなのに……」
茫然自失とし地面に膝をついて、折れた剣を見つめている。
折れただけで戦意を喪失するほどショウにとって大切なものだったのは分かったが、そのような事情に構ってはいられない。
浪はショウとレナルドを置き去りして、櫓の階段を駆け上る。
(早く、早く、もっと早く……!)
幸い狭い階段には誰も立ちふさがる者はいなかった。
階段を上ったところで、セレイナが落とされるなんてあってはならない。呼吸をする時間すら惜しい。乳酸が溜まり、酸素が不足して震える足に鞭打って、階段を一段飛ばしで上っていく。
そしてついに、浪は最上段にたどり着く。
膝は笑い、もう一歩も動きたくないと告げてくる。処刑を望む観衆のシュプレヒコールが響き渡っているはずが、浪には聞こえない。自分の呼吸がただただうるさい。
かすむ目に、不気味なマスクをかぶった死刑執行官が三人ほどいるのがようやく見える。そして一番奥に真っ白の服を着た少女の後ろ姿が確認できた。セレイナである。絞首台の縁に立たされ、首には縄が巻かれていた。
「セレイナっ!!」
セレイナは浪の声に気づき振り向いた。そして、浪の姿を目で捉えるとニコっと笑った。目には涙が浮かんでいる。
(踏み出せ、あと一歩だ! もう少しでセレイナを救える。ここで息をついたらすべてが終わる……。進め……!)
セレイナの笑顔で、ここまでの苦労がすべて報われるなどと思ってはいけない。自分にはまだ最後の最後の仕事が残っているのだ。それを終えるまで休むことも、呼吸を止めることも許されない。
浪は足を叩き、前に進むように命じるが、いっこうに足は動こうとしなかった。それどこか役目を終えたと言わんばかりに膝が折れ、浪はうつぶせに倒れ込んでしまう。
「ローさん!」
セレイナが思わず叫ぶ。
(セレイナが呼んでる……行かなきゃ……)
浪は這いずるようにして前へ進む。惨めでも構わない。今はとにかく前に出てセレイナに接する。それから縄を解いてセレイナを助ける。一緒に櫓を下りて、ノエミたちと合流する。恥ずかしながらも、ノエミたちに抱きかかえられて広場から逃げ出す。それが浪の考えられる唯一のプランだった。
体を引きずり前進していると、浪の頭に衝撃が走り、火花が散った。
どうやら死刑執行官に蹴り飛ばされたらしい。だが浪は前進をやめない。蹴られ続けながらも前へと進んでいく。
執行官の一人が指示を出している。指示を受けた者は浪を蹴るのをやめて、セレイナのほうへ向かう。
「この、やめろ……。離れやがれ……」
浪は飛びそうになる意識の中で、執行官が何をしようとしているかを把握する。夢と同じだった。侵入者に邪魔される前に、死刑を執行しようとしている。
浪は立ち上がろうとして、別の執行官に蹴飛ばされ横に転がされる。体がきしみ、セレイナとの距離が遠のく。
「くそっ、この野郎……」
浪は体を戻し、セレイナのほうを見上げる。
「ローさんっ!!!」
セレイナの悲痛な助けを呼ぶ声と同時に、浪の視界にはセレイナが執行官に掴まれ投げ飛ばされる様子が入った。
「セレイナぁぁぁぁっ!」
セレイナの足は地面を離れ、空に投げ出される。
「ああっ!?」
ついに起きてしまった事態に一瞬あっけにとられ、すぐに正気に正気を取り戻し、行動に移る。
(何忘れてんだ! このときのために一週間命懸けで冒険してきたんだろ! 今使わないでいつ使うってんだよ!!)
浪は指輪のある右手をセレイナに向かって掲げる。
「セレイナを助けてくれぇぇぇぇっ!」
浪は指輪に向けて叫ぶ。
魔法が人の願いの強さによって変化するものであれば、このときほど強い願いはなかっただろう。間違いなく魔法は効果を発揮するはずだ。
しかしセレイナの姿は浪の視界から次第に消えていく。重力に従い、下方へと吸い込まれていき、最後には全く見えなくなってしまう。
(魔法が発動しなかった……? なんで……どうしてだよ……? クリスタルがうまく組み込まれてなかったのか? いや、嘘だろ……。それじゃ俺は何をやってきたんだ……? セレイナはどうなる……!?)
浪は呼吸をするのを忘れて呆然と、先ほどまでセレイナがいた場所を眺めている。
その周囲では対照的に、死刑執行に観衆たちが割れんばかりの歓声を上げていた。ある者は拳を突き上げ、ある者は手を打ち、ある者は飛び上がり、ある者は目をそらした。
浪の耳も歓声を捉えていたが、脳はそれを認識することなかった。
死刑執行官たちは浪をその場に残して、櫓を下りていく。
マスクのせいでその表情は窺いしれないが、彼らにとっては仕事をやり遂げただけのことなのだろう。可哀想だと少しは思っているかもしれないが、本気でその感情を抱いていたら、こんな仕事はとうていできない。
しばらくするとノエミとマルギットが重い体を引きずるように櫓を上がってきて、その場に座りこんで微動だにしない浪の肩に手を置いた。
「ロー、すまない……。力になれなかった……」
兵士たちの戦いであちこちに負傷をしているマルギットは、悔しさのあまりに歯ぎしりをしている。
「ごめんね……ほんとにごめんね……。あたし、やっぱり呪いの黒猫だったのかもしれない……」
大けがを負った右肩を押さえながら、ノエミはむせび泣く。
浪は彼女らの言葉に返答しなかった。
彼女を責める気持ちはなく、自分を責めることも忘れ、ただただ現実を受け入れることができなかったのだ。
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