第9話「死刑の理由」

 騒ぎを聞きつけた近所の人たちによって、浪は命を救われた。

 レナルドの狂気じみた叫び声と怒りに満ちた目から、ただのケンカに見えないのは誰の目にも明かだったし、浪自身も確実に殺されると感じていた。娘を奪われた父レナルドの気持ちを思えば、甘んじて殴られてやりたかったが、それどころではなかったのだ。


「放せー!! 俺はこいつを殺すんだー!! 絶対に生かしておけねえんだよおおおお!!!」


 レナルドはなんとしても浪を打ちのめし、息の根を止める気だったようだったが、大勢に取り押さえられては叶うはずもなかった。浪はなぜレナルドがこうも取り乱しているのか分からず、その様子をただ見ていることしかできなかった。

なんとか気を静めたレナルドは、壁を激しく殴りつけると、夜のとばりの下りた町へと消えていった。


「大丈夫だったか、あんた」

「……ああ、なんとか……」


 レナルドを取り押さえてくれた人の一人が、満身創痍の浪に手を貸してくれる。

 浪の心臓はいまだ激しく鼓動を続けていた。命の危機は去ったとはいえ、その恐怖は浪の心身を震え上がらせ、頭も体もまとも動かない。


「セレイナは……? どうしたか知ってるか……?」


 浪は息を整えながらなんとか言葉を紡ぎ出す。


「警察が連れていっちまったよ。なんだか知らねえが、いけないものを持っていたらしいぞ」

「いけないもの?」

「ああ。死刑になるぐらいにヤバイものだとよ」


(死刑になるほどヤバイ? なんだそりゃ? なんでセレイナがそんなものを持っているんだ?)


 セレイナは普通の町娘である。犯罪に関係するようなものを持っていると思えない。浪もセレイナの家で一日を過ごしたが、危険なものは全くなく、ごく一般的な家庭だった。


「ヤバイものって何なんだ? 麻薬とか覚醒剤か?」

「かくせいざい? ……よく分からんが、コカインではないみたいだぞ」


(クスリではない……? じゃあなんだ……?)


 日本では持っているだけで捕まるものと言えば、刀剣や爆弾など直接人に害を与えるもの、そしてクスリである。剣や銃などはこの世界では許されているようだし、そもそもセレイナの家になかった。他に逮捕され、死刑が確定するようなものは何なのだろうか。


「歩けるか? 病院連れていくぞ?」

「あっ……セレイナは? セレイナはどこに連れて行かれたんだ?」

「警察のどっかだろうな、詳しいことは知らねえが」

「どっかってどこだよ」

「知らねえよ。近くの警察署じゃねえのか?」


 浪は浪の心配をする男の言葉を聞き流し、これからどうすればいいのか必死に考える。

 セレイナとは知り合ったばかりとはいえ、婚約した仲である。放っておくことは絶対にできない。状況はよく分からないが、レナルドによれば自分が原因でもあるようだ。ならば、どうすればよいのか?

 一つ目は、セレイナが無実であることを証明して釈放してもらう。セレイナがどういう罪で捕まったか分からないが、これが正当な手段のはずだ。

 二つ目は、セレイナを脱獄させる。この世界では脱獄が成功すれば無罪であるらしいから、セレイナが逃げることができれば死刑もなくなるかもしれない。


(とにかく情報集めないとな……何が起きてるか全く分からねえ)


 どの手段を取るのが適切か判断するには、情報が必要だった。連日殴られたために腫れ上がり悲鳴を上げる体を起こし、浪はまずセレイナの家を調べることにした。

 警察が捜査したせいなのか、部屋の中はだいぶ荒らされていた。椅子は倒れ、食器や花瓶が割れている。


「警察がここまでするのか……? いや、レナルドさんが……」


 警察の蛮行を疑ったが、もしかすると連れて行かれるセレイナを助けるために、レナルドが大暴れしたのかもしれない。あの父ならばやりかねないと浪は思った。


 一階を一通り調べ上げたが、特に得られるものはなかったため、浪は二階へ上がる。そこで、机に自分の鞄の中身がぶちまけられているのを見つける。

 鞄の中を調べられたのだろう。何かを取られたかもしれないと確認してみたが、特になくなったものはない。サイフもスマホもしっかりあった。


(いったい何で捕まったんだ?)


 その後も家中をくまなく調べてみたが、不思議な点は何も見つからなかった。


(こうなりゃあとは直接聞いてみるしかないよな……)


 直接というのはレナルドのことである。捕まった本人であるセレイナに聞ければ一番早いのだが、どこに連れて行かれたのか分からないし、面会できるとも思えない。となれば、また殴られる覚悟をもってレナルドに会いに行くしかなかった。




 レナルドの行き先には一つ当てがあった。昼間、セレイナと出かけたときに、レナルドがよく行くという酒場を聞いていたのだ。

 浪はおそるおそる酒場に入ると、酒場の中は妙な静けさがあった。席はほとんど埋まっていてとても繁盛しているのだが、客はただ酒をあおるだけで、誰もしゃべろうとしない。静寂を崩してはいけないような緊張感があった。

 客たちは入店した浪を見るが、すぐに目を伏せる。店員も同様で、席に案内しようともしない。

 不思議な光景ではあるが、酒飲みに来たわけではないので浪は助かっていた。すぐに店の奥で酒を飲んでいるレナルドを発見できた。

 机や床には酒瓶が散乱している。この短時間でどれだけを飲んだのだろう。一言もしゃべらず、酒を水のように飲み続ける姿は不気味であった。いつ爆発するか分からない爆弾のようである。浪もしばらく声を掛けることができず、客たちも黙って酒を飲んでいた理由が分かる。


 浪は意を決して、レナルドの横に立つ。だがレナルドの気迫に押され、言葉が出ない。


「……目障りだ。帰れ」


 レナルドは浪に目をくれることなく言い放ち、酒瓶を口につけて飲む。

 ここまで来て手柄なしに帰るわけにはいかない。セレイナを助けるために、今は少しでも情報が必要なのだ。


「すまない、俺が目障りなのは分かってる……。だけど教えてくれ。何があったんだ。どうしてセレイナが逮捕されなきゃならない。俺が原因なのか?」

「てめえと話すことなどない」

「教えてくれよ! いったい何が起きてるんだよ!」

「帰れ。てめえを見てると俺は……てめえを殺すかもしれない……」


 歯ぎしりで言葉の末尾がかすれる。持つ酒瓶を砕けるのではないかと思うほどに強く握りしめる。

 レナルドの発するものすごい殺気に、浪の顔には冷や汗が流れる。


「頼む、教えてくれよ。……俺は……セレイナを助けたいんだ。セレイナはなぜ捕まった? 何を持ってたのが原因なんだ?」


 取り繕う気もない。正義感を振るう気もない。浪は心にあった言葉をそのままレナルドに告げる。

 酒場に来るまでどうやってレナルドを懐柔しようかと思案を巡らせ、いろんな台詞を考えていたのだが、レナルドの気迫を乗り越えた言葉はそれだけだった。


「……ガムだ」

「ガム?」

「てめえが持ってきたんだろうが!」


(ガム? 俺が持ってたガムがどうしたって? それで捕まる? 馬鹿な……)


「しらばっくれるな! てめえがあんなの持ち込むから! セレイナが捕まっちまったんだよ! この異邦者め!」

「ま、待ってくれ! なんでガムで捕まるんだよ! おかしいだろ!?」

「知るかっ!! そういうことになってんだよ! ガムの所持は重罪だ! 死刑になんだよ!」

「ガムで死刑とかないだろ! そんなおかしい法律、許されるのか!?」

「知らねえっつってだよ!! 俺もおかしいと思うぜ? そんな下らないことで娘が死刑になんだからな! てめえさえいなければ……。てめえが持ち込んだんだから、てめえが死刑になるのが当たり前だろうがっ!! どうしてセレイナがっ!!」


 レナルドは持っていた酒瓶を浪に投げつける。

 瓶は浪の頭に少し横を通って、壁に当たってはじけ飛んだ。

 はじめは浪の頭に向かって投げようとしていたのだが、わずかに理性が働き、標的をずらしたのであった。


 浪はこの言葉に強い衝撃を受ける。理不尽だと感じるのはレナルドのほうなのである。いきなり娘が結婚することになって、そいつが持っていたガムのせいで、死刑になってしまう。自分が、自分たちが何をした、何が悪いのだと叫びたいのは最もだった。


 傍観を決め込んでいる酒場の客たちも、この騒動を無視することはできなかった。少年の頭が割られていなくてほっとするが、次はどんなことが起こるか恐ろしくて見ていられない。しかし、間に入って止めようとする者は誰もいなかった。

 命を失いかけたことに呆然としていた浪も、多くの視線を浴びているのに気づく。店員の一人と目が合うと、店員は「迷惑だ、帰ってくれ」と目で合図を送ってくる。

 浪の横には砕けたばかりの酒瓶が散らばっている。レナルドは何もなかったかのように、浪の存在を無視して、また別の酒を飲み始めている。ここに留まっていても仕方ないと判断し、浪は店員に軽く一礼をして、そそくさと酒場を後にする。




「なんだよ、死刑って。ガムを持ってるだけで死刑とかおかしいだろ……」


 浪は自分を責めていた。自分のせいでセレイナは逮捕されてしまい、いずれ死刑になる。自分があの家を訪れなければ、こんなことにならなかったのに。自分がセレイナにぶつからなければ、セレイナは普通に暮らせていたのに……。


「掴まえるなら俺のほうだろ……。あいつは何も悪くない……」


 自分のせいで人が死刑になるなんてあってはならない。自分がどうなろうとも、セレイナを助けるのだ。


「どうやれば救えるんだよ……。どこに閉じ込められているんだ……。あの牢屋か?」


 浪の頭には自分が閉じ込められていた牢屋が思い浮かんでいた。警察に捕まり連れてこられた。そして司法騎士団のショウに浪に入れられた。ノエミの助けによって脱獄した。


「あの騎士団の奴に聞けば、どこにいるか分かるか? それで、ノエミの力を借りて脱獄すれば…………あっ!」


 浪はとても重要なことに気づく。

 浪は鞄の中に他のお菓子と一緒にガムを入れていた。調べたときにガムはなかったが、それはおそらく警察に没収されたんだろう。

 だがガムは家にあったものがすべてではない。


「ノエミにガムを渡したんだった……」


 ノエミもガムを持っていていたら捕まってしまう。さらに被害は拡大してしまう。

 浪は走り出していた。

 早くノエミにガムを捨てるように言わなければならない。

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