第18話「異世界の巫女」
町の広場には大勢の人が集まっていた。
広場は大きな公園と言えるぐらいの広さがあるが、足の踏み場がないほどの人数がひしめき合っている。人と人とが接触して、倒れたり重なり合ったりと至る所で小さなトラブルも起きている。
広場の前方には、10メートルにも及ぶ高さの櫓に築かれ、その上には棒が立てられ、縄が繋がられている。それは絞首台であった。人々はこの構造物を中心に集まっていて、これから行われる処刑をできるだけいい場所で見るために、押し合いへし合いを行っているのである。
櫓の周りには武装した屈強な兵士たちが、民衆を近づけないように警備をしているが、自分たちに危害が及ばなければ、民衆が何をしようととがめる気はないようであった。
これは処刑であって、お祭りなのである。
広場に一人の少女が連れてこられる。待ってましたと言わんばかりに、ゲストの登場に観衆が沸き立つ。
飾り気のない真っ白な衣装、手は縄で後ろに縛られている。やつれたところもあるが、それは紛れもなくセレイナであった。
櫓の階段を登り、絞首台に立たされると、民衆の熱気は最高潮に達した。落とせ落とせと連呼し、誰もが少女の処刑を待ち望んでいる。
そして、ついにセレイナはつるされた輪っかに首を通される。
あとは台から落とされるだけで処刑が完了する。
縄で首を絞め窒息をするのを待つという残忍で、面倒なことはせず、首をつながれた罪人は、高所から落ちた衝撃で首の骨を折り、即死する。過去には苦しむ様を楽しむことも行われていたが、非人道的であるとし、今では法律によって禁止されている。しかし、高いところから落とされ一瞬にして死ぬ様子は、バンジージャンプのようなエンターテインメント性があり、この絞首刑の方法は市民から絶大な人気を誇っていた。つまり、これが市民の認める一番適切な処刑法なのである。
浪はセレイナを助けるために、観衆をかき分けながら絞首台に向かおうとするが、人が多すぎてなかなか先に進めない。
「くそっ! どけ、どいてくれーっ!!」
そうしている間にも、セレイナは絞首台の縁に立たされる。あと一歩、前に進めば、この世とのお別れになってしまう。
浪は絞首台につながる階段を全速力で一気に駆け上り、ついに最上段にたどり着く。そして、息を切らしているにもかかわらず、めいっぱい、あらん限りの息を吐き出して、彼女の名を一週間ぶりに叫ぶのだった。
「セレイナっ!!」
民衆の大観衆の中でも、浪の声はセレイナに届いた。セレイナは振り向いて、浪の姿を確認するとニコっと笑った。
浪はその笑顔で、これまでの死ぬような思いをして乗り換えた苦労も苦難もすべてチャラにできる気がした。ついにここまで辿り着くことができたのだから、もはや過去を問う必要なんてなかった。
感無量というのだろうか、つかの間の安堵に、浪は大きく肩を揺らし、深く呼吸する。
一瞬のことだった。ほんの少しだけ目線を外したすきに、セレイナの下の半身が見えなくなっていた。
何が起きているか浪が分かったときには、セレイナの姿は絞首台の上から完全に消えていた。
セレイナは今、地面に向けて落下している。
セレイナは死刑執行人によって蹴られ、台から突き落とされたのだ。
「セレイナァァァーーーっ!」
浪は叫ぶが、その名を持つ人間はそこにいなかった。
浪はすぐに状況がおかしいことに気づく。絞首台にいたはずなのに、ここには人一人いない。死刑執行人も兵士もいない、大勢の民衆も当然いない。
それどころか、自分は床に寝ていたのであった。
「夢か……」
浪はひどい汗をかいていて、寝起きなのに呼吸が荒い。
セレイナが処刑されるまでは時間がある、セレイナはまだ生きているはずだ。心を落ち着かせ息を整えつつ、状況の把握に努める。
服は脱がされ、布団が掛けられている。水路を抜けてきてずぶ濡れだったはずだが、髪は乾いていた。どうやら人の助けられたようである。
浪は違和感と一緒に、既視感も抱いていた。明らかにおかしい状況のはずなのに、なぜか不思議と心が落ち着くのだ。
その原因はこの部屋の雰囲気である。畳に布団、木造の天井に戸、障子まである。それは、浪のよく知っている一般的な和室だった。浪は八畳ほどの和室で、部屋の真ん中にぽつんと一人寝かされていたのだ。
「俺は戻ってきたのか……?」
意識が切れる前に神社を見た気がする。とすると、神社の人が倒れているところを助けて、布団に寝かせてくれたのだろう。
「そういや、こんな目覚めは異世界に飛ばされてから何度目だろうな……」
この世界に来てから、起きたら見知らぬ風景、というパターンばかりである。気を失うのもこれで何回目だろう。さすがに自分の不幸さ、そして弱さに、この安堵感も加わって、涙が出そうになる。
そんな無理をしてきたわけだから、体にも相当負担が来ているに違いない。そう思って腕を見てみるが、つい先日の戦闘で負ったはずの傷がなくなっていた。
「どういうことだ……? 傷が治った? まさかこんなすぐに治るわけが……」
相当長い期間眠っていたのかも知れないが、浪は時計を持っていなかったので確認できなかった。
「もしかして、全部夢だったとかじゃないよな……?」
異世界で冒険をしたなんて、考えてみればまさに夢のような話である。ゴーレムという得体の知れないモンスターと戦ってケガをしたといっても、誰も信じてくれないだろう。
セレイナが処刑する夢を見たが、それをひっくるめて異世界で旅をしていたことすべてが夢だったのかも知れない。神社で池に落ちて雷が落ちたと気を失い、神社の人に助けられたと考えれば、すべてつじつまが合うし、一番納得がいく。
「はあ……しょうもねえな……」
夢の中で自分ははしゃぎ過ぎていたようだ。何を馬鹿真面目に、理不尽な異世界にあらがおうと奮闘していたのか。思い返してみれば恥ずかしい行動、台詞をいろいろやってしまった気がする。
浪が顔覆って自分自身を笑っていると、いきなり激しく戸が開いた。
ダンっという戸の音とともに、勢いよく女性が現れる。
「……うん? 何もいないではないか……。大声で叫ぶものだから、くせ者でも現れたのかと」
女性は巫女の姿をしていた。
浪は突然のことにあっけにとられてしまう。
神社に巫女がいてもおかしくない。だが彼女は金髪碧眼の若い西洋人であり、その衣装に似つかわしくないものを持っていたのだった。
抜き身の武器。それが刀であれば百歩譲って許せたかもしれない。しかしそれは両刃の西洋剣であった。
「な、ななな、なんだ、あんたは……」
このミスマッチさは、まだ自分が異世界にいることを示しているに違いない。
「あんたとはなんじゃ。せっかく助けてやったのに失礼な。今もこうして窮地に現れてやったというに。まあ、ただの勘違いだったようじゃが」
「あんたが俺を助けてくれのか? ……ここはどこだ? 俺は元の世界に戻れたんじゃないのか?」
「元の世界? ……ああ、君はあっちの世界から人か」
「へっ? あんた、何か知っているのかっ!?」
女性は確かに「世界」という言葉を使った。それは複数の世界があることを知っている人のみが使える語である。
浪はこの女性が何かを知っているのかも知れないと期待を抱かざるを得ない。
「……あんた呼ばわりされる筋合いはない」
鋭く冷たい声。
巫女の姿をした女性は、剣を浪の喉元に突きつける。浪は聞きたい気持ちと口を固く閉じ、代わりに大量の冷や汗を流す。
女性に殺す気はなかったようで、相手が怖じけ着いたと分かると、剣を静かに鞘に収めた。
「す、すみませんでした……」
絶対に逆らってはいけない相手だと直感的に判断し、浪はすぐに頭を深く下げる。
(この展開、間違いなく異世界だ……。これは夢でもなんでもない、普通に現実で起きているんだ……)
浪は胸元にあるセレイナのネックレスの感触を確かめる。
「分かればよいんじゃ、分かれば。私の名はトーキ・カリン。トーキでもカリンでも、好きなほうで呼ぶといい。個人的にはカリンのほうがオススメするぞ。職業はまあ、この神社の巫女みたいなものじゃ。今日は君を助けたりしたけど、普段はほとんど何もしてない。神様とかよく分からんしね。……それで君は?」
女性は打って変わって気さくにしゃべり始めるものだから、浪は戸惑ってしまう。
「え、ああっとその……」
「何じゃ、言葉がしゃべれんのか? そいつは困ったなあ。私はコミュニケーション分野はそんなに得意じゃないんじゃけど。何かいいものはなかったかな」
「あ、しゃべれる。全然しゃべれるから!」
「ううん? そうならさっさと自己紹介してくれたまえよ」
誰だって思うだろう、この人は間違いなく変人だと。調子を狂わされる感じもするが、浪は覚悟をしてしゃべり始める。
「俺は刑部浪。ここから言うと異世界の日本から来た」
「へえ。なるほど、今度は直球で来るんじゃね」
(驚いてない。この人は事情を知っているんだ……)
「知っているなら教えてくれ。ここはどこなんだ? どうして俺はこんなところに来てしまったんだ?」
「君が言いたいのはどっちの話だい?」
「え?」
「この世界、君からすると異世界になるのかな、そこに来てしまったことかい? それとも、この神社に来たことなのかな? あ、後者なら自分が一番知っていることだから、記憶喪失にでもなってなければ問いはしないか。でも、それは私が知りたいな。前者のことはあとで答えてあげよう。だから、今はこの神社に来た理由を教えてくれないかな? 普通の人間がこんな場所に来るからには、何か事情があってのことなんじゃろう?」
「あ……」
異世界について聞き出さねばならないことだが、今はもっと重要なことがあることを思い出す。
自分一人が逃げるようにここにやってきたのは、助けを呼ぶためだったのだ。地下水路にはノエミとマルギットが取り残されている。
「そうなんだ! いきなりのことで悪いとは思うけど、助けてくれ! 仲間がやばいんだよ! すぐ助けに行かないと大変なことに……!」
「ふむ、相当切羽詰まってるようじゃね。いろいろ聞きたいことはあるし、君も聞きたいことがあるようじゃが、今は君の危急の問題を優先しよう。では、まずは服を来てくれないかな」
浪は言われて、はっとする。いつの間にか布団を跳ね上げて、裸の下半身が丸見えになっていたのだった。慌てて布団で隠すが、しっかり見られた後だろう。
「服は乾かしといたから。まあ、また濡れてしまうことになるじゃろうけど。私は準備をしてくるよ。外で待ち合わせじゃ」
そういうとトーキ・カリンと名乗った巫女は出て行き、戸が閉まると浪は部屋に一人になる。
「なんかよく分からない奴だけど、頼りにはなりそうだな」
巫女服の女性は20代ぐらいだろうか。早口でおしゃべりだが、知識は豊富で頭は良さそうである。西洋人らしく背が高く、巫女服の裾が短く見え、そこからすらっとした白い足が伸びている。というよりも、そもそも浪が知っている袴よりもだいぶ裾が短いのだ。異世界のアレンジが入っているのかもしれない。
浪は服を着替えてすぐに和室を出る。みしみしときしむ音がする、木でできた廊下は懐かしい気がする。長い廊下を渡りきると、気を失う前にやってきたと思われる本堂へと出た。
「神社、なんだよな? なんでこんなところに神社なんだ……? 異世界なんだよなぁ、ここ……」
この世界は中世から近世の西洋文化でまとめられた。そこに和の建造物があるのは異質すぎた。
それにあの女性もどこかおかしい。西洋人なのに和装をしているし、なぜこのような場所で巫女をやっているのだろうか。町からは遠く離れていて、モンスターも多く出現するから、普通の人間が参拝に来られるようなところではないのだ。
カリンは巫女服に肩掛け鞄、腰に西洋剣を下げるという不思議な格好で、石畳の境内で待っていた。
「来たか、少年。それで、連れは何人だ?」
「二人だ」
「ほほう、三人でここまでやってきたのか。それはすごい、なかなかに腕の立つ面子だったと見える」
「獣人だからな。俺だけじゃどうにもならなかった」
「獣人が人間と一緒にここまでやってきたと?」
カリンは口をぽかんと開ける。
やはり人間と獣人がつるむのは珍しいケースのようだ。
「ああ」
「まあ、獣人ならばここを知っていても不思議ではないが、人間を案内するとは思えんのだけどなあ。して、そいつらの名は?」
「ノエミとマルギットだ」
「おお、なるほど、そういうことか。それなら分からんこともない」
カリンは合点がいったようで、手をポンと打つ。
「知ってるのか、二人を?」
「知ってるも何も、私より彼女らのことを知ってる者はおらんよ。ふむ……。ちょっと離れとれ。助けにいくのが奴らなら、話は早い。道をつなげてしまおう」
「つなげる? なんだそりゃ……?」
カリンは浪の問いには答えず、一歩前に立ち、鞘から剣を抜き放つ。両手で持って自分の前に掲げ、その刃に口づけをすると、独り言のように言葉を発する。
「彼の者らの居場所を示せ」
剣を上下返して地面に突き刺す。すると剣から発せられた光が地面を伝わり、四方に散らばっていって消える。
「ふむ。分かったぞ。二人はまだ生きているようじゃな。少しずつこっちに向かっている」
「おい、今のなんだよ……? 何でそんなことが分かるんだ……?」
「二人を作ったのは私じゃからな」
「は? 答えになってな……」
(作ったってまさか……。じゃあ、今のって……)
「さて、つなげる準備といくぞー」
カリンは鞄から丸まった黒い布を取り出す。
広げるとそれはどうやら帽子のようで、けっこうな大きさがあり、広いつばがついている。
「おい、あんた、もしかして……」
カリンは大きな黒い帽子をかぶる。
「ふふふ、君の言いたいことは分かるぞ。……何を隠そう、大魔法使いカリンとは私のことじゃあ!」
カリンはつばの片手で掴み、くるりと回ってポーズをとってみせる。
魔法が使えて、獣人を生み出せる存在。この世界ではそれを魔法使いと言う。
(服は巫女だけどな……)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます