ノーロー!ノーライフ! 異世界にだって法律はあるし!
とき
第1話「少年は異世界へ」
「くそっ、いねえじゃねえか! ……待ってるって言ったのによ」
トイレに言ってくるからと告げて戻ってくると、そこには誰もいなかったのだ。
彼に人望がないわけではない。これはよくあるイタズラである。一緒に神社にやってきた班員たちは、ちょっと驚かせてやろうと思って、彼がトイレに消えたのを見計らって、先に行ってしまったのだ。
次の場所に移動するには必ず電車に乗るので、駅にいけばきっと会えるはずである。駅までは徒歩5分なので走ればすぐだ。
この神社は、池を縦断するように作られた橋が三つ連なっているのが特徴的である。相当なひねくれ者でなければ往来にこの橋を使うはずなので、浪は班員を探すために橋の上に来ていた。
「うげっ……」
神社を走り回ったあげく誰も見つからず、一息つくために橋の欄干にもたれかかったら、手にグチャっとした感覚があった。
ガムだ。
誰かが噛み終わったガムをクズカゴに入れずに、欄干にひっつけたのである。
「誰だよ、こんなことする奴……。死ねばいいのに」
犯人を呪って、浪は舌打ちをする。
ガムはまだ生温かい。それゆえに、手にガムがへばりつく不愉快さも倍増している。殺意が湧くのも致し方ないというもの。
それにガムを捨てるのであれば、その場に吐き捨ててもよかったはずだが、犯人はわざわざ口から出して、橋の欄干にこびりつくように置いたのだ。これは明確な悪意があったといえる。
「ああー、なんだよ、これ……。取れねえ」
手からガムをはがそうとするが、もう片方の手にも粘り着いてなかなかはがれない。指にも付着して、被害はますます拡大していく。
「ん?」
ガムとの粘着質な戦いに苦しんでいると、肌に雫が落ちる感触があった。
雨である。
さっきまで晴れていたのに、すっかり空は厚い雲に覆われている。雨はぽつりぽつりと降り始め、屋根を探す余裕など与えず、一気にザーザーとした本降りになる。
あちこちで悲鳴が聞こえる。雨宿りをする場所を探して、境内を走り回っている。しかし、急な大雨にどうすることもできず、あっという間にずぶ濡れになっていく。
「おいおい……なんてついてないんだよ……」
雨の嫌がらせは、誰に対しても平等である。浪の黒い詰襟もびしょ濡れになり、下着まで浸食しようとしていた。
このまま天の恵みを、甘んじて入れ続けるわけにはいかない。手をこすり合わせ、強引にガムを削り落とすと、屋根のあるところを探して移動し始める。
だが、雨はさらに強まり、目の前は真っ白、視界がゼロになってしまう。ゴロゴロと雷も鳴り始める。
前が見えなくても止まっていては問題が解決しないわけで、浪は手探り足探りで前進する。
「うわあっ!?」
浪は思わぬところで大声を発することになる。
強雨が地面と水面の区別をなくしてしまったために、浪は池の縁に足を取られ、池に落ちてしまったのだ。
池は人が溺れるほどの深さはなかった。浪はもともとびしょ濡れだったし、尻餅をついただけで幸いと言えるが、服は泥にまみれ、大量の藻が付着してしまう。
「あははは……なんだよこれ……」
服も下着も髪も体も、浪に属する全てがびっしょり濡れてしまったのだ。もはや自分のドジさを笑うしかなかった。
(トイレに行ってなけりゃ、はぐれることもなかったし、池に落ちることもなかったよな……。……いや、そもそも待ってないのがおかしいだろ。待ち合わせでいないとか、全然面白くねえし……)
「サイテーだ……」
笑いは嘲笑へと変わり、馬鹿な自分と、愚かな友達を呪った。
これ以上濡れることも汚れることもなく、急いで屋根のあるところにいく理由もなくなってしまった。こうなればヤケだ、という奴なのだろう。浪は自らを貶めるという自虐的な意味もあって、すぐに池から出ることなく座ったままでいた。
「……さ……か……?」
豪雨と雷の中で、かすかに人の声が聞こえた。
聞き間違いかと思ったが、また同じような音が聞こえる。それは人の声だ。
「……さぬ……か……?」
「……なに? そこに誰かいるのか?」
暗い空に大雨、人影は見えない。自分の声も、かき消されているような気がする。しかし、なぜかその声だけは聞こえてくる。どうやら老人男性の声である。
老人は確かに言葉をしゃべっていたが、ところどころが聞こえず、何を言っているのか理解できなかった。
「……を……許さぬ……か……?」
「許さぬ? 誰が、何を……?」
「おぬしは……
老人の声を遮るかのように、視界を白く染める閃光が走り、耳をつんざく轟音が響き渡った。
そして間髪入れずに、激しい衝撃が浪の体に襲いかかる。
「うわあああっ!? な、なんだ……? 何が起きたんだ? 見えない……何も見えない。聞こえない……耳がおかしくなったか? なんだよ、それ……。おいおい……もしかして……雷が落ちた……?」
重力のない空間をただようような感覚。手と足は何にも触れることができない。もしかすると、動かしたと思っているだけで、本当は動いていないのかもしれない。何も知覚することができない。ただ白く空っぽなイメージ。
雷、それは浪がこの世界で最後に見た光であり、聞いた音であった。
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