第2話「異なる定義」

 浪はかつて感じたことのない痛みで目を覚ました。


「うぐっ、なんだこれ……うう……」


 ヘルメットの上から、ハンマーでガンガン殴られているかのような激しい頭痛がする。

 誰かに殴られたのか、何かにぶつかったのか、脳の血管がつまったのか。連続して襲ってくる痛みにうずくまりながら、まともに動かない脳みそを少しずつほぐし、今置かれている状況を考える。

 地面の上に転がっているようだ。音も感触もないことから、雨がやんでいることが分かる。


(確か……池に落ちんだよな……。そのあと雷が落ちて……。助けられたのか?)


 手で体を触ったり、動かしたりしてみたが、特に痛みも異常もなかった。服も湿っている感じがない。すでに乾いているようだった。

 池から救助されて、しばらく時間が経っているのかもしれない。

 まだぼんやりとする目で辺りの様子をうかがう。


「どこだ……ここ……」


 まったく見慣れぬ風景が広がっていた。

 予期せぬ物を捉えた興奮で頭痛がより激しくなり、浪は頭を押さえてうめいた。

 神社にいたはずなのに、見える景色は日本のものではない。それはヨーロッパのものだった。それも古い。中世から近世ぐらいだろうか、石やレンガで作られた建物がある。

 自分が転がっているところは舗装されておらず、土がむき出しになっていて、壊れた食器や食べ物のカスなどゴミが散らばっている。


「何があったってんだよ……」


 あたりは静かで、目に入る範囲には人の姿はない。

 助けられたならなぜ、こんなゴミ捨て場のような路地裏に放置されているのか。そもそも日本とは思えないここはどこなのか。どうやって連れてこられたのか。

 分からないことによる焦りと恐怖が浪の心を徐々に支配していく。


 何かに救いを求めたい気持ちで、当たりを探る。近くに学校指定の鞄が落ちているのを見つける。浪はすがるように鞄に飛びついた。

鞄には明太子をモチーフとした愉快なキャラクターのキーホルダーがついている。これは昨日、浪が修学旅行のお土産として買い、さっそくつけたものだ。鞄は自分のものに違いない。

 中には神社で買ったばかりの学業成就の守り、コンビニで買ったペットボトルにお菓子数点、スマホ、その他ハンカチ、ティッシュなどの日用品が入っている。


「電波はないか……」


 スマホを確認してみるが圏外で、GPSも機能していなかった。


「あれ、時間経ってない?」


 気を失ってからけっこう時間が経ったものと思っていたが、スマホの時計を見ると、ほとんど時間は経っていなかった。

外国にいるのか、スマホが壊れているのか。不思議な感じはするが、確かめる術がなく、考えたところで答えは出そうになかった。もしものことを考え、バッテリーの消費を抑えるためにスマホの電源を落とし、鞄の中に戻した。


「早く戻らないと心配するよな。ここがどこだか分からないけど……」


 学校の友達のことを思う。トイレに行っている間に勝手に行ってしまった連中だが、自分が長い時間いなければさすがに困ってしまうだろう。今の状況をまったく理解できないが、戻らないといけない、というのは何においても優先されることだった。

 頭痛に意識を持って行かれそうになりながらも、鞄を肩にかけ、表通りと思われる方向へ歩き出す。


 路地を出ると一気に視界が開け、大きな道には人々の往来が見える。

 人がいればここがどこか聞けるかもしれないと思っていたが、浪は素直に喜べなかった。目が覚めてから違和感はずっと感じていたが……街並みだけではなく、そこにいる人たちも、浪の知っている日本ではなかったのだ。

 道路はアスファルトではなく石畳、家は鉄筋コンクリートではなくレンガ、人は黒髪日本人ではなく、いろんな髪色、肌色をした西洋人でとても古風な格好をしている。


「タイムスリップ……?」


 仮装パーティ、映画の撮影など、考えつくものはあるが……あり得るかどうかはさておき、タイムスリップという現象が一番現実的であるように思った。誰かがこんな大掛かりなセットを組んで、自分ひとりのためにドッキリをしかけようなど、あまりにも無価値だ。

 あの雷が原因でどこかの国の、どこかの時代に飛ばされてしまった、そう思うのが一番簡単で、一番納得がいったのである。


 自分の推測が正しいとは思わなかったが、判断するためにも、まずは情報を集めなければならない。手がかりを探すため、頭痛にうなされながら、ふらふらと町を歩き始める。

 当然のように、通行人には奇異の目で見られた。この町には黒い学校の制服を着ている人は自分以外にいない。すれ違うたびに振り向かれ、なにごとだという感じで指をさされる。


「なんだよ、いったい……」


 この町では変な服装なのかもしれないが、この制服しか持っていないのだから仕方ない。穴があったら入りたい気持ちを我慢して、浪は歩き続ける。


 文化レベルはあまり高くなく、現代には遠く及ばないようである。

自動車が走っていないことから、蒸気や電気が発明されてないことが分かる。移動や運搬は馬車に頼っていた。

町中で銃や剣を携行している人が見受けられるのは、武器による自衛が許されているのかもしれない。それだけ町を歩くのは危険なのかと警戒してしまうが、町自体にはそういった緊張感はない。形式的、儀礼的に持ち歩いている可能性も考えられた。


「城、だよな……? すげー……」


 町の広場からは、小高い丘の上に城が建っているのが見えた。

 石とレンガで築かれたヨーロッパ風の城で、高い城壁と高い塔が幾重にも連なり、雄大な姿を見せている。美術的な美しさもあり、戦争目的で作られた城ではなく、権力や富の象徴として築かれたのかもしれない。

 こんなに巨大で立派な城は写真でしか見たことがなかったので、浪は興奮してしまうが、それに連動して頭痛が走り、現実にすぐ引き戻される。


「つっ……。王様なら何か知ってるとか……ないよな?」


 どこの国においても、いつの時代においても、偉い人というのは高等教育を受けた教養人である。知識や技術を自分たちで独占することで権力を握る一方、庶民は何も教えられることなく、無知のままで一生を終える。そのため自然と庶民は、偉い人をあがめ支配される側に回ってしまうのである。

 庶民は世界の真理を知ることはないが、偉い人は浪の知りたい答えを知っている可能性がある。


「うわっ!?」

「きゃっ!?」


 浪が城を見上げ、ぼんやり歩いていると、誰かにぶつかってしまった。

 小さい少女が倒れていて、持っていたカゴからは果物がこぼれている。浪より頭一つ分くらい小さいように見える。あどけない顔から推測すると、年齢は小学校の高学年から中学生ぐらいだろうか。


「ごめん! ぼうっとしてて」


 謝りつつ、慌てて転がった果物を回収する。あまり見慣れない果物で、形は不揃いであまり見栄えはよくなかった。

 果物を全部入れてカゴを差し出すが、少女は地面に座り込み、茫然としたまま受け取ろうとしない。


「だいじょうぶ……? どこかケガした?」


 自分より小さい女の子を転ばせてしまったのだから、浪の気持ちも焦る。カゴの前に、まず起き上がらせようと思って、今度は手を差し出す。

そこでやっと少女と目が合った。ひどく戸惑った様子である。驚きに重ねて、信じられないという顔をしている。少し恐怖も混じっているかもしれない。


(怪しい奴だと思われているのかな……)


 彼女にとって浪は、見ならぬ服を着た見ならぬ異国人なのだ。それで助けを受け入れてくれないとしても、仕方のない話である。


 周りがこの小さな事件に気付いたようで、人々の視線が二人に集まり、ざわざわし始めていた。


(うわあ……めっちゃ見られてる。困ったな……)


このまま少女を地面に座らせておくわけにもいかず、肩を抱いて立ち上がらせ、カゴを手に持たせる。


「ごめんね。それじゃ、俺いくから」


 浪が片手をあげ、その場から立ち去ろうとしたとき、少女の目が潤み、満水となった涙が目からこぼれ落ちた。


 ひいいいい、と浪は心の中で叫び声をあげる。

 故意ではないとはいえ、少女をつきとばし、果物を落としたのだから、一方的に自分が悪い。

 どうしようどうしようと慌てているうちにも、少女は赤くなった目から涙をポロポロとこぼし続け、肩を震わせしゃくりあげている。

どうしたどうしたと様子をうかがいにくるギャラリーも数が増え、いつの間にか大勢に取り囲まれていた。


(ああ……やべえ、俺が完全に悪者だ……。いや、よそ見をしてた俺が悪いんだけど。でも謝ったし、これ以上俺に何をしろって言うんだよ……。あ、いやいや、でもほんとごめん、泣き止んで、お願い。あああああ、どうすりゃいいんだよ……!)


 ギャラリーの視線が矢か槍になり、背に突き刺さっているではないかと思えるぐらいに、浪は激しいプレッシャーを受けていた。そして、


「ごめんなさいっ!!!」


 視線と好奇心の集中砲火に耐えきれず、浪はギャラリーの輪を潜り抜け、一目散に逃亡した。

 得体の知れない町に迷い込んでしまったこともあり、平常心を始めから失っていた浪は気づかなかったが、観衆たちは浪を非難しているわけではなかった。むしろ喜ぶような声を発していた。

 そして、小さいとはいえ、幼児ではない少女が、ぶつかっただけであそこまで泣かなければならない、特殊な事情があったことを知るはずもなかったのである。

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