第7話「少女セレイナ」

「お父さんやめて!!」

「放せ! こいつを殺せば、話はなしになるんだ!!」

「ダメ! それじゃ、お父さんが人殺しになっちゃう!!」


 浪は遠ざかる意識の中で、そのような会話を聞いていた。

 お父さんと呼ばれているのは、浪を殴ったひげ面の男だろう。もう一人は女の子の声だった。


(逃げなきゃ……)


 相手は誰なのか、なぜ自分が殴られなくてはいけないのか考えている余裕はなかった。攻撃の止んでいる今のうちに逃げなくてはならない。だが何度も殴られ蹴られしたところがひどく痛み、体が言うことをきいてくれない。

 そして、そのまま顛末を把握することなく、意識は切れてしまった。




 浪が目を覚ますと、どこかの家の中でベッドに寝かされていた。

 昨日とは異なり、ちゃんと平らなところで手足を伸ばして横になることができ、とても居心地のよい寝床であった。

 しかし、今日はケガというおまけがついているため、起き上がろうとしてよろめいてしまう。


「いてえ……。ここはどこだ……?」


 一般家庭という雰囲気である。部屋は質素な作りで、そんなに裕福という感じではないが、ベッドや机などはしっかりしている。


「あ、目が覚めたんですね」


 記憶の片隅にある声。

 殴ってきた男を止めようとしてくれた少女の声であった。


「君は? ……って、あのときの子じゃないか!? っつ、いてて……」


 急に大声を上げたため、痛みが体中に響き渡り、うめき声を上げてしまう。

 浪が驚くのも無理はなかった。彼女は浪がよく知っている人物だったのである。昨日、広場でぶつかって泣かせてしまった少女で、声を聞くのはこれが初めてだった。短くまとまった髪が女の子らしい、活発さと可愛らしさを出している。色は黒と言えなくもないが、少し明るく、赤に近い。

 浪の頭は急速回転して、一つの答えを導き出す。


(あのひげ男は女の子の父親か? 娘をケガさせた報復に、俺をボコボコにしたってのか……?)


「あの、大丈夫ですか……? 父がすみませんでした……」


 少女は本当に申し訳なさそうに頭を下げて、浪に謝罪した。小さな体がさらに小さく見える。


「あ、いいんだよ。俺が悪いんだし」


 年下の少女だけに謝らせておくのも悪く思ったし、不注意でぶつかり少女を泣かせてしまった事実もあり、浪も素直に謝ってみせるが、さすがにケガを負わせるのは、報復にしてはやりすぎだと思う。体のあちこちにアザができていて、何かに触れるたびに痛みが走る。


「いえ、ぼうっとしていた私が悪いんです……。それに本日はわざわざ来ていただいたのに、父があんなことをしてしまうなんて……」

「いやいや、君が謝ることじゃないって。君のお父さんも、君のことが大事でこんなことをしちゃっただけだろうし」

「そういっていただけると助かります。本当に申し訳ありませんでした……」


(いい子だな。それに比べてあの親は何なんだろうか。人を見るなり、ぶん殴りやがって)


「早く帰ったほうがいいかな。また顔合わせると大変なことになるよね?」

「え? 帰ってしまうんですか?」

「だってそうでしょ。またお父さんに会ったら、俺どうなっちゃうか分からない」

「それは……たぶん大丈夫だと思います。あのあとちゃんと言いつけましたから」


(あんな狂暴そうに見えて、娘には甘いのかな。……待てよ、今日なんで俺は呼ばれたんだ? あのオヤジが俺を殴りたいからじゃないんだろ……?)


「あの……こんな状況で言うのも恐縮なんですが……式はいつにしましょうか?」

「式? なんの?」

「結婚式です」

「結婚? 誰が? あ、君が結婚するのか。……って若すぎない? この世界での結婚はこんなものなのか」


 日本でも昔は10才を越えたぐらいでの結婚も珍しくはなかったと聞いたことあったので、そんなに違和感は感じなかった。


「何を言うんですか。私とあなたとの結婚式ですよ」

「は? 君と俺? ……なんで?」


 何を言っているのか分からず、呆然としてしまう浪。この世界特有のギャグか、定型句なのだろうかと真剣に考えてしまう。


「そういう法律ですから」

「法律……? またかよ……」


 自分を驚かせるのはいつもの法律だ。今度はいきなり結婚しろ、というのだからあきれてしまう。


「それで、それはどういう法律なんだ? 回避方法は? 結婚しない方法があるんだろ?」


 浪も慣れたものである。この世界の法律は日本と比べて変なものばかりだが、何かしら理屈が通っていて、理不尽すぎるというのではなかった。


「え、ご存じないんですか?」

「すまないな。昨日ここに来たばかりで、法律には詳しくないんだ」

「そうですか……」


 少女は急にしょんぼりして顔をうつむく。


「ここでは誰もが知っている有名な法律なんですが、あまり使われることはないんです……」

「またそういう系か……。どういう内容なんだ?」

「はい……。広場ではじめて出会った男女がぶつかって、男が女を助け起こした場合、その二人は結婚しなくてはならない……というものです」

「はあああああ!? なんだそりゃー!? そんなのアリなのかよ!?」

「そういうことになってるんです……」

「はあ……。それじゃああれか、これは、ロマンチックな出会い方をした男女は結ばれるべき。でも、まさか本当にそんなことやる奴はいないだろう。とかいう理由で作られた法律だな?」

「わあ、まさにその通りです。法律、実は詳しいんですか?」

「まあ、ね……」


(あれだけ法律に苦しめられていれば、勘も働くってな……。ああ、オヤジにぶん殴られたのは、このせいか。娘が見ず知らずの男と結婚するとなれば、ぶつかってきた男を殺したくなるよな……)


「それで、なんとか結婚をやめる方法はないのか? 逃げ切ればOKとかあるんだろ?」

「それが……ないんです」

「え、ほんとに?」

「はい。あると言えばあるのですが……これは……」

「どういうのだ? やってみる価値はあるだろ?」

「それはどうでしょう……。やめたほうがいいと思います」

「いや、分からないぜ。やってみれば案外なんとかなるかもしれない。どんなのか教えてくれよ」


 浪はこれまで何だかんだで、意味の分からない法律を回避してきた。今回もなんとかなるはずだという自信があった。


「はい……。オススメは絶対しませんが……」

「それでもいい。とにかく教えてくれ」

「そうですか……。当たり前と言えば当たり前なんですが……」

「おう?」

「……どちらかが死ぬことです……」

「はああ……」


 この解決法には浪も絶句である。確かにどちらかが死ねば結婚する必要はないが、それでは何の意味もない。


「……そういうことなんです。逃げる方法はありません……」


(なんつう法律だよ……。こんなで結婚を強制されるとかアホだろ。夢見すぎだっつうの。なんで異世界に来て結婚しなきゃならねえんだよ。それにこいつも……)


 浪はそこでようやく、自分のせいで結婚することになってしまった少女が、今どういう心境なのか配慮すべきことに気づいた。


「君はそれでいいのか? こんな結婚なんて」

「よくはありませんけど……。あっ、あなたのことが嫌っていうことじゃないです」

「ああ、俺のことは気にしないで。本音を聞かせてほしい」

「すみません……。こんな法律おかしいと思ってます。あんなことで見ず知らずの男女が結婚なんて……。でも、国民は法律を守らなきゃいけないんです。だから、結婚しなきゃいけないかなって……」


 少女の悲痛な声を聞いて、浪は胸が痛くなる。結婚なんてまだまだ意識する年齢ではない少女が、こんなことに悩まなくてはいけないとは。浪がいたところでも、国によっては日本よりも結婚年齢が低いところもあり、そんなに珍しい事象ではないのかもしれないが、さすがにこれは行きすぎた法律だとしか思えない。

そして、仕方ないことではあるのだが、自分とあまり結婚したくない、と目の前で言われるのも、けっこう堪えるものである。


「はあ……困ったもんだな。どうにかならないのか……」

「旅をされてるんですよね?」

「旅? ああ、まあそんな感じだけど」

「すみません、私がドジなせいでご迷惑をおかけして。これじゃどこへも行けなくなっちゃいますよね……」


 浪は「いや、いいって」と言おうとしたが何がいいのか分からず、口をつぐんでしまう。「いい」は「気にしないで結婚しよう」なのか。それとも、「お前なんかと結婚する気はないから」なのか。


「結婚しないとどうなるんだ? 何か罰則があるのか?」

「罰はないと思いますが、あれだけの人に見られてますから、ごまかしようもありません……」

「あ、そういえば……」


 広場で少女とぶつかったことを思い出す。少女が泣き出したとき、野次馬が集まり出したが、浪を批難する雰囲気ではなかった。むしろ、喜んで歓迎しているような感じだった。

 考えてみれば、あのとき少女が泣き出したのは、この法律のため結婚しなければいけなくなったことを悟ったからなのかもしれない。


「結婚するしかないのか……」


(異世界に来ていきなり結婚とはな……。俺も相当迷惑だが、この子はもっとだよな……。この世界に急にやってきた男と結婚させられるなんて。……それに俺は元に世界に戻っちまうしな)


 浪にとってはこの世界でのことは、仮初めのことに過ぎない。結婚したところで、この世界においてだけのこと。結婚を許諾してもたいして痛くもないが、そんな気持ちで結婚しても、少女が可哀想なだけである。


「あ、あの……結婚、嫌ですか……?」


 おそるおそる聞いてくる少女のしぐさに、浪はドキっとしてしまう。

それは一周して「私と結婚してください」と恥ずかしがって言っているように聞こえるのだ。


「嫌、ではないけど……。君はいいのか?」

「私は……いいです」

「え?」

「ちょっといいかなと思ってます。あなたは……。あ、お名前なんて言うんですか? ……名乗るの遅れてすみません。私はセレイナ・ミンと言います」

「そうだった。俺は刑部浪。ローでいい」

「ローさんですか。……ローさんはいい人そうだし、結婚してみてもいいかなと思ってます」

「いや、それは嬉しいけど、そんな気軽な感じでいいの……?」


 この瞬間まで名前すら知らない人と結婚を決める。結婚とはそんな簡単なものでいいのだろうか。それを未成年の少女が判断していいものか、浪には理解できなかった。


「この法律、ちょっと変な感じですけど、そんなにおかしいものじゃないんです」

「え? そうなのか?」

「はい。この法律は、みんなの憧れでできてるんです。偶然ぶつかった男女が結ばれるなんて、運命的でしょ? とってもロマンチックです」

「まあ、そうかな……」

「そうして結婚した二人は、死ぬまで幸せに暮らせるって昔から言われてるんですよ。それで、そうなったらいいなと思ってる人がいっぱいだから、この法律ができたんです。……私も、そう思います。ただの偶然とかじゃなくて、意味があるからローさんと出会ったと思うんです。この運命、信じてみたらいけないでしょうか……」


 セレイナの思いは純粋そのものであった。法律で決まっているから受け入れるわけではない、自分が願うから結婚したいと希望するのだ。


(少女といっても、立派な女性なんだな……)


 現実を知らず、ただ憧れや夢を見ているわけではないと感じさせる。こういう判断は法律とか迷信は関係なくて、人の心がそれぞれに決意を導いているのではないだろうか。少女は何かに囚われることなく、自分で考え自分の望む答えを出した。


 少女にそこまで言われてしまっては引き下がれない。浪もまた決心する。


「……分かった。俺に何ができるか分からないし、どうなるかも分からない。だけど、できる限りのことはしようと思う。それでもいいなら……。……結婚しよう、セレイナ」


 セレイナの目に自然と涙が湧き出してくる。そして、浪の手を取って言う。


「はい! ふつつか者ですが、よろしくお願いします」


 こうして浪は、異世界の少女セレイナと結婚することになった。

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