第3話「法律の洗礼」

 浪は広場を抜け出し、人気のない静かな路地へと入っていく。


「はあはあはあ……。くそ、頭が……」


 片膝をつき頭を押さえ、息を整える。

全速力で走ったのだ。頭痛は治まるどころか、余計に悪化してしまう。頭がズキズキして、その痛みを堪えることに必死だった。体中に汗がじわじわと浮き出てくる。


「ねえ、おにーさん」


 声がしたので顔を上げると、つば付きの帽子をかぶった黒髪の女性が立っている。

黒髪といっても日本ではなかった。肌は白く、目鼻が際立っていて、この町の住人に多く見られる顔だった。体にぴったりとして動きやすいスポーティーな格好をしていて、誰が見てもスタイルのよい女性と認めることだろう。

お兄さんと声をかけてきたが、相手のほうが少し背は高く、年上のようだった。


「はい……?」


 痛みをこらえ、なんとか声を絞り出して答えると、女性は不思議な質問をしてくる。


「おにーさんの前、横切ってもいい?」


 は? と浪は心の中で息を吐く。

 しかし女性は、いいでしょ、いいでしょ、という感じの満面の笑みで迫ってくる。


(なにこいつ……? めっちゃ怪しいんだけど……)


 「おにーさん」と言ってくるのも、「シャチョサン、シャチョサン」という呼び込みの声と同じぐらいに、うさんくささを感じる。

 しかし、たいした要求ではなく、頭痛であまり頭を使いたくなかったので、浪は許可を出すことにする。


「いいけど……」

「ほんとぉ!? 今、いいって言ったよね? ね!?」


 女性は返事を聞いて、急にハイテンションになり、飛び跳ねて喜んでいる。

 なぜそんなことで喜んでいるのか、浪は分からないし、ついていけない。彼女とは対照的に、できるだけ頭を刺激しないように、血の流れを落ち着け、静かにしていたいのだ。


「ああ、いったけど……?」

「じゃ、横切っちゃうよ? ほんとに横切っちゃうからねー?」


(わざわざ確認取ることかよ……。こっちは頭が痛いんだよ。そんなの勝手にやってくれって……)


 心の中でため息をつき、めんどくさそうに目で了解の合図を出す。

 それを受け取った女性はニコっと笑い、浪の斜め前に立った。そして深呼吸をする。すると、これまでの人懐っこい雰囲気と打って変わって、急に真面目な顔つきになり、浪を驚かせる。


 細く長い足を持ち上げては降ろし、一歩ずつ浪の前を横切り始める。しゃなりしゃなりと横切る姿は、ただ歩いているだけなのに、不思議な気高さを感じさせた。


(きれいだ……)


 頭の痛みなど忘れ、彼女の脚、そして均整の取れたボディバランスが生み出す美しいウォークに、目が釘付けになってしまう。歩いているだけで、どうしてこんなに惹かれるのだろうと、浪は思う。

 

「わっ、横切っちゃった! どうしよ、どうしよ!」


 横切るのは一瞬のこと。彼女の素っ頓狂な声で現実に引き戻される。

 それは何か悪いことをしてしまったような物言いだったが、声は楽しんでいるようにしか思えない。


「それ、なんか意味あるの……?」

「あるある、すっごいある!」

「え、何……?」

「あれ、おにーさん知らないの?」


 知ってて当たり前でしょ、と知らない浪に対して意外な顔をしている。


「何を?」

「何をって、『黒猫が横切ったら不幸になる』って話。聞いたことあるでしょ?」

「ああ……。それなら知ってるけど迷信だろ。それに、猫、なんか関係あるの?」

「え、そう? ……ああ、そういうことかっ!」


 女性は何かに納得したようで、手をポンと打つ。


「黒猫はあたし」


 女性は指を自分の顔に向ける。

 よく分からない突然の告白に「は?」と浪は口をあんぐりと開ける。


「えっ、分かんない? 黒猫はあたしなんだってばー。あたしが横切ったから不幸になるの」

「は? 何言ってるの?」

「ええー、分からないかなー。んー、それならほら、これでどう?」


 そう言うと彼女はかぶっていた帽子を取る。

 すると、帽子の中からはなんと、猫の耳が出現す。黒髪に混じってそんなに目立たないが、黒い二つの三角形がちょこんと飛び出している。それは確かに猫の耳だった。


「猫耳!?」

「そう、猫耳! これで分かったでしょ、あたしは黒猫なのさっ!」


 自称黒猫の女性は得意げにポーズを決めて見せる。


「え、本物……?」


 人間の頭に猫耳がついているはずがないと信じられずにいる浪に、女性は「本物、本物。ほらほら、みてみて」と耳をぴくぴくと動かして見せる。


「どう? 理解してくれた?」

「うん、まあ……」

「あれ、あんまり信じられない感じ? おにーさん、もしかして獣人見るの初めて? それじゃ、しっぽも見せよっか?」


 後ろを向いて、引き締まった小さなお尻を見せつけてくる。

服の下にしっぽが隠れているのかもしれないが、「いや、いい」と浪は恥ずかしがって断る。


 猫なのかはおいといて、猫人間であるのは理解しないといけないと思った。人の姿をした猫なのか、猫耳がついてしまった人なのか、よくは分からないけど、この町では普通なのかもしれない。


「ノエミ」

「え?」

「ノエミ・レイっていうの」

「あ、名前か。俺は刑部浪」

「オサカペロ? 変わった名前ねー」

「オカサベ・ロウ。浪でいいよ。みんな、そう呼ぶから」

「ローか! よろしくね! ロー!」


 ノエミと名乗った女性の屈託のない笑顔に、浪は照れてしまう。

さっきまで頭の痛みがひどくて、あまり気にしていなかったが、ノエミはとびっきりの美人である。黒のショートヘアーに整った目鼻、手足が長いスレンダーな体系で、モデルをやっていてもおかしくない。


「よ、よろしく……。それで、話を戻すけど、黒猫が横切ると不幸になるってどういうこと? ただの言い伝えだろ?」


 百歩譲って、ノエミが黒猫そのものであるとして、ノエミが横切ったら不幸になるというのか。あまりにも馬鹿げている。


「ただの言い伝えじゃないよ。ほんとに不幸になるんだって。黒猫が言ってるんだから間違いないっ! たぶん」


(今、「たぶん」って言ったよな……。ほんと、うさんくさい奴……)


「まあいいけどさ……。それより聞きたいことがあって、ちょっと聞いてもいいか?」

「ん、なになに? あたしに分かることなら、なんでも聞いて!」

「ここはどこなんだ? ヨーロッパ? 日本じゃないんだよな? それに、いつの時代だ? 歴史あんまり詳しくないけど、中世か? なんか古くさいよな」

「え、ええ? なにそれ? 何が古くさいの?」


 浪の矢継ぎ早の質問にノエミはついていけない。

 浪も自分の質問が、自分と同じ境遇の人にしか分からない内容だということを分かっていなかった。


「ここはどこだ?」

「ここ? ここはねえ、ロベニー三番街の路地裏だよ。そうだなー、ちょっと古いところではあるかなー?」

「なんて国?」

「アルタニアだよ。ここはアルタニアって町で、国名もその名前を取ってアルタニアなんだ。あれ、国がアルタニアだったから、町もアルタニアなんだっけな? あれ、それを聞くってことは、ローは旅行者? 獣人がいないところ出身かな」

「聞いたことない国だな……。どこか電波入るところない? スマホさえ使えれば、あとは自分で調べるから」

「でんぱ? すまほ? ん、聞いたことないや。入るって、どこかの店なの? あたしけっこう、この町の地理に詳しいけど、知らないお店だなあ。食べ物屋さん? 甘いものとかあったりするー?」

「違うからっ!!」


 浪は大声を上げる。

 ノエミはびっくりして萎縮してしまう。


「ご、ごめん……」


 ノエミは何に怒られたか分からなかったが、浪の紅潮した顔を見れば謝るしかなかった。


「あ、こっちこそ……」


 浪はようやく自分が取り乱していたことに気づく。深呼吸をして仕切り直し、質問を再開する。


「日本って国、知ってる?」

「日本? 聞いたことあるような……ないような……。いや、あったかも?」

「知ってんのか!?」


 やっと元いた場所に戻るとっかかりをつかんだかもしれない。浪の目に希望の光が宿る。


「んーと、んーと……日本、日本ね……」

「ちょっとでもいいから、何か分かることがあったら教えて!」

「んー、んー、んーーー! ……忘れちゃったかも!」

「はあああ……!?」


 自分で頭を軽くこつんと叩き、えへっと笑ってごまかそうとするノエミ。


(こいつ、やっぱやばい奴なんじゃ……?)


「聞いたことあるのは確かなんだけどね」


 いい加減な発言ばかりのノエミに対する信用度を下げておく。だが今現在、この世界と自分をつなぐ唯一のパイプなので、やばい人だとしても手放すわけにはいかない。


「じゃあ、俺みたいな日本人を見たことない?」

「ローみたいな人?」

「そう。黒髪でこんな顔つきで、こういう服を着ているような人。いや、人によって違うかもしれないけど……」


 詰襟をさして言う。日本人がどういう服を着ているか説明するのは非常に難しい。この町の住人であるノエミが変わった服装の人を見たことがあれば、それはもしかすると自分と同じ境遇の人かもしれない。

 

「うん、それははっきりと分かるよ!」

「おっ! どうなんだ!? どこで見た!?」

「見たことない! 絶対! 間違いなくっ!」


 自信満々のノエミに、期待を大いに裏切られた浪はあきれてしまう。


「そんな平たい顔の人、見たことないねー」

「平たいとか言うなよ!」

「その服もあんま見たことないねー。ローがいたところでは、そういうのが流行ってるの?」

「流行っているというか、まあ、着ている人は多いな」

「へー。この町じゃ全然見ないよー。これ、何で出来てるの? つるつるさらさらするね! すごーい!」


 興味津々という感じで、服を触ったり、引っ張ったり、匂いをかいだりする。

浪は気恥ずかしくなり、「ちょっとやめろ」とノエミから逃れようとするが、ひらりとかわされてしまう。


「おい、やめろって!」

「いーじゃん。ちょっと見せてよー」


 隙をつかれ、上着を一瞬ではぎ取られてしまう。

浪は掴まえようとするが逃げられ、素早い身のこなしで、あっちにこっちにと手玉に取られてしまうのだった。


「見つけたぞっ!!!」


 浪とノエミが上着争奪の追いかけっこをしていると、張り詰めた怒鳴り声が響く。そして、ライフルのような銃を持った男たち数人が路地裏に進入してくる。


「え、なに、なにっ!?」


 男たちは紺色のジャケットを着込み、軍服ような格好をしている。それに怒号と

険しい顔とくれば、相当まずい状況だということは、この町のことを知らない浪にもすぐ分かった。


「お前だな! 公共の場で黒服を着ていた奴は!」

「え?」


 確かに黒い服を着ていたけれど、なぜ怒鳴られなければいけないのか分からない。何か悪いことをしてしまったのだろうか。

 そんなことを考えていると、ノエミが詰襟の上着を頭にかぶせてくる。「犯人はこいつです、あたしじゃありません」と言わんばかりのタイミング。


(こいつ、何しやがる!?)


 浪は慌てて頭にかぶさった上着を取り、地面に向かって投げ捨てる。ノエミに文句を言おうと思ったが、すでに姿を消していた。


「おい、どこ行った!? 逃げ足早すぎだろ……」


 そうこうしているうちに、浪は男たちに取り囲まれていた。

相手は武器を持っているし、軍隊か警察だろう。知らない町で問題を起こすのはできるだけ避けたほうがいいと判断し、下手に出ることを選択する。


「あ、あの……。何かいけませんでしたか……?」

「ああ、法律違反だ!」

「違反!? どうして!?」


(俺が何したっていうんだよ!? 町歩いてただけだろ。あ……待てよ、女の子の件か……)


 心当たりに心臓がバクバクと高鳴る。

 彼女に訴えられていれば、軽い傷害事件ぐらいにはなるのかもしれない。だが、男は思いも寄らぬことを言い出すのであった。


「黒服は葬式のとき以外、着てはならないことになっている!」

「へ?」

「知らんとは言わせんぞ! 貴様がその黒い服を着て、町中を歩いていたことは大勢が見ているんだ!」


(はあ? 何いってんだ? 黒い服を着ているだけで犯罪? この国の法律どうなってんだよ。まあ、たいした犯罪じゃないはずだし、謝れば許してくれるか)


「す、すみませんでした……。もうしません、許してください……」


 頭を深くぺこぺこと下げる。これでしのげるなら安いものだ。


「罪を認めるのだな」

「は、はい」

「よし。平時に黒服を着た罪で、こいつを逮捕する! 縄をかけろ!」

「はあああああ!? 逮捕!? どうして、なんで!?」

「そういう法律だからだ!」

「おかしいだろ! 服が黒かっただけで犯罪なんて! 誰が決めたんだよ、そんな法律!」

「だまれ、小僧! おい、さっさと縛り上げろ!」


 男は一緒にいた部下に命令する。浪はあっという間に組み伏せられ、縄で身動きができなくなってしまう。


「よし、つれていけ」

「おい、放せ! 放せって! こんなことで逮捕することないだろ!」

「文句なら司法騎士団に言え。俺の知ったことではない!」


 腕を縛られ抵抗はできず、縄を引っ張られ、突き飛ばされ、浪は男たちに連れて行かれてしまう。


「あっちゃー……。やっぱ不幸になるんだ」


 建物の上から、浪が連れて行かれる姿を見て、自称黒猫のノエミは顔をポリポリとかいた。

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