第4話「牢獄へようこそ」
見知らぬ世界で目を覚ましてから、たったの一時間、浪は牢獄にいた。
罪状は、平時において公共の場で黒服を身につけた罪。裁判や細かい取り調べはなく、司法騎士団を名乗る男と少し問答をしただけであった。
「俺、どうなっちゃうんですか……?」
牢屋の様子を見た浪は、捕まったときの元気はどこかにいってしまい、完全に萎縮していた。
牢は石造りで、中にはブリキ製のバケツ、石の冷たさを気持ち程度、和らげられる藁が敷かれていた。バケツはもちろん便器代わりである。明かり窓はついているが、鉄格子がはめられていた。こんな状況に陥れば、自分にどんなに落ち度がないと思っていても、弱気になってしまうものである。
「なに、たいしたことはない。三日我慢すれば出られる。ゆっくり頭を冷やすといいだろう」
そう言って、司法騎士団の団員は牢屋の鍵を閉めた。看守は彼から鍵を受け取ると、敬礼して応えた。
団員はショウ・フォークナーと名乗っていた。歳は20才ぐらいだろうか、まだ若いのに地位はけっこう高いようである。漆黒に染められた軍服のような制服からは、威厳や高貴さが感じられる。金髪の豪奢な髪がそれをいっそう引き立てていた。
浪は死刑や無期懲役ではないとが分かり、とりあえずはほっとするが、三日もここで過ごさねばならないと思うととても気が重かった。
「あの、聞いてもいいですか?」
「なんだね?」
「どうして、黒服を着ちゃいけないんですか?」
そんなことで牢屋に入らないといけないのか、どうしても合点がいかなかったのだ。
「そんなことも知らないのか」
「すみません」
「黒にはどういうイメージがある?」
「え?」
「黒い服を見たときに何を感じるかだ」
この司法騎士団の青年は生真面目そうな人柄であったので、難しい法律の話が始まるかと思ったら、心理テストのようなことを聞いてきたので、浪はびっくりしてしまう。
「えっと……怖いとか強いとか、でしょうか?」
「そうだな。黒には威厳や重さがある。軍隊では装備を黒く染めて、相手を威嚇する。これは黒が与える威圧感や恐怖を利用しているのだ。他にあるか?」
「そうですね……暗い、不気味ですかね」
「正解だ。黒は忌み嫌われる色でもある。そして、地味で落ち着いた印象もあって、喪服にも使われている。黒によって欲や感情を抑え、人の死を悼み、喪に服するのだ。だから、何もないときには着てはならないことになっている」
「え? そんな理由……?」
「ああ。黒には死のイメージがつきまとい、人の心を暗くさせる。いつも明るい気持ちであって欲しいという、人々の願いから作られた法律なのだ」
「しょうもな……」
なんてつまらない法律で逮捕されてしまったんだと、浪はくらっとめまいがする。百歩譲って、黒い服を着ないことが周りに対する配慮なのかもしれないが、わざわざ規制しないといけないことなのか疑問である。
「でも、あなたも黒い服ですよねえ? それは逮捕されないんですかあ?」
相手をひどく怒らせない程度に嫌味を込めて言う。牢屋の中から、生真面目な騎士に向かってできる、ささやかな反撃である。
だが、ショウはれっきとした態度で答える。
「喪服と同列に語ってもらっては困るな。これはローヤーズブラック。法を司る者のみが許された色だ。富や権力、宗教や思想、王や市民、なんぴとの色に染まることなき、気高さの象徴である。法律の守護者のみに許された色であり、この制服は選ばれた者のみが着られるのだ」
黒の布地に秀美な銀の刺繍。司法騎士団の制服を着たショウの姿が輝いて見える。黒は彼の誇りであり、その制服は彼の存在そのものであった。彼のしぐさも、「司法」「騎士団」の名にふさわしい、きびきびとした規律のようなものを感じさせる。
浪の嫌味に対して動じた気配はまるでなく、浪は彼の発する語気に気圧されてしまう。まるで腰に下げた剣で、心臓を一突きにされたような衝撃であった。
「他に聞きたいことはあるか?」
「い、いえ、何も……」
(なんだこいつ……何もかもが違え……。歳はあんま変わらないだろうに差がデカ過ぎる……)
完敗だった。鉄格子をはさんだ1メートルという距離に、とてつもない開きを感じた。罪人と騎士団という地位の差だけでなく、人として大きな格差があるのではないかと思い、浪はひどく打ちのめされる。あまりに下らないことをしたと思い、ちっぽけな自分を恥じた。
ショウは看守から渡された書類にサインをすると、規則正しい靴の音を荒涼とした牢に響かせ去って行った。敗北感を感じている浪には、足音さえも秀麗なもののように感じてしまうのだった。
「お前、つまんない罪で捕まったもんだなあ」
ショウの靴音が聞こえなくなると、看守の男があきれたような口調で話しかけてくる。ショウとは対照的に、たいして知性の感じられないがさつな中年男性である。
「こんな罪で捕まった奴、聞いたことないぞ?」
「え、そうなのか?」
「馬鹿みたいな法律だろ? こういうのはな、ただのウィットで作られた法律で、
『みんなが明るく暮らせますように』ぐらいの意味しかねえんだよ。だから、人を捕まえるために作ったもんじゃねえ。お前、どうせ目立つようなことしてたんだろ?」
「目立つこと……あ、あれか……」
黒の詰襟で町を歩き回り、その上、少女を泣かせて注目を集めてしまったことに思い当たる。考えてみれば、町を歩くだけで奇異な目で見られたのも、服が黒かったせいかもしれない。
(変だったなら教えてくれよ、ノエミ……)
ノエミと名乗る黒猫少女に文句を言ってやりたがったが、彼女から有益な情報を聞き出すことができたとは思えず、泣き寝入りをする。
「つまんねえ法律だが、あんまり馬鹿にすんじゃねえぞ。法律は法律なんだし、守らなきゃねんねえ。それに、司法騎士団に目をつけられたら、何をしたって逃げられねえからな」
「司法騎士団って何なんだ? 偉いのか?」
「お前、旅行者か? そんなことも知らないのかよ」
看守の人を馬鹿にした態度に、他の世界から来た、この町のことは何も知らない、と言いたかったが、説明が長くなるし、信じてもらえないと思ったので、浪は反論を自重する。
「法律の守り手で、刑の執行者だ」
「それは警察とは違うのか?」
「違う違う、全然違う。格が違いすぎるってんだ。司法騎士団は、誰の支配も受けない独立した組織なんだよ。警察はしょせん国王の犬だが、司法騎士団の奴らは自分の判断で動くことができて、国王の権限すら制限することできるんだからよ」
「あいつ、すごい奴なんだな……」
「すごいも何も、あの坊ちゃんは次期騎士団長と言われてるエースだぞ。生まれもいいし、実力もあるし、顔がよくて女にもてる。あーあ、俺も一つぐらいすごいものがあればなあ……」
言うだけ言うと、浪の相手をするのを放り出し、看守は自分の持ち場で戻っていった。
「はあー……なんでこんなことになっちまったのかな……」
浪は石の壁にもたれかかり、深いため息を漏らしていた。
まさかこんな些細なことで牢獄に入るとは思わなかった。あまり納得いくものではなかったが、町を騒がせた罪と捉えれば、少しは怒りを抑えられるものではあった。とはいえ、知らない町の知らない法律なのだから、少しくらい負けてほしいとはどうしても思ってしまう。
獄中は退屈で、考える時間はいくらでもあった。浪はこれまでに起きたことを一つ一つ思い返す。
今日は修学旅行の自由行動日で、班の仲間と神社に来ていた。来年受験ということもあり、第一志望合格祈願ということで、学業に御利益のあるその神社にいくことにしたのだった。お参りをして、学業お守りを買ったところまでは順調だった。
問題はそこからである。トイレにいくから待っていてと告げ、トイレから帰ってくると班員は誰もいなかった。浪は班のリーダーを務めるくらいには人望があり、特別嫌われているということはなかったはずである。浪をおいてどこかに行ってしまった班員にとってはただのイタズラだった。
「今頃どうしてるかな……。心配、してんのかな……」
いなくなったことに気づかれていなかったら、さすがにショックである。探してくれていれば、自分が助かる確率が上がるかも知れないと思ったが、ここが外国なのか、現代なのかも分からなかったので、可能性は低いなと自分で認めてしまう。
「はあー……これから、どうなるんだよ俺……」
雷雨のあと、訳の分からないこの世界にやってきたと思ったら、今や犯罪者で牢屋の中である。
数日で出られると言っていたが、出たあとはどうすればいいのか全く見当がつかない。ここがどういう世界なのか調べ、元の世界に戻る手段を探さなくてはいけないが、来た方法が分からないのだから、帰る方法はもっと分からない。
ぼんやりそんなことを考えていたが、心身ともに疲れが来ていたようで、こんな冷たくて堅い牢獄で眠れるものかと思っていたが、藁の上に横になり、上着を毛布代わりにかけると、すぐに眠りに落ちてしまった。
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