Page5. 雨音が耳にこびりついて・3
あぁ、本当に今日は最悪の日だ。
少し気分を入れ替えたくて知らない道を歩いていたら急に雨が降ってきて、どうにか凌げる場所を……と思って辿り着いたのは、1回たりとも使ったことのない、たぶん今はもう使われていないのだろう古びたバス停。
ここに駆け込んできてからそろそろ1時間くらい経つけど、雨が止む気配はない。むしろ、私がここに来た時よりももっと強くなって、まるでここに閉じ込められたような気分にさえなってしまった。
「このまま出られなくなっちゃったりして……」
あれ、おかしいな。
普段ならこんなこと言わないし、思いもしないはずなのに。
それも仕方ないのかもね、だって、全然「普段」なんかじゃないんだし。
思い返せば、今日は朝から
いつもなら起きられる時間に起きられず、結局目覚ましとしてかけたアラームを数回聞き逃してから慌てて仕度することになったり、その原因……
もう、そうやって今日1日私の周りで起こったこと全てに責任を押し付けておかないと気が済まなくなってしまう。
だって、そうじゃなかったら、きっと私が昼休みに起こした行動はわけがわからない。
「あのさ、あんた浮気してるでしょ」
『は?』
開口一番そう切り出したのだ、相手の反応がこうなるのは当然のことだったろう。そして、たぶん普段の私だったらそこで追及をやめていた。
だけど、そのときの私は本当に苛立っていた。
眠れなくなったのも彼が浮気しているらしいことに気付いてしまったからだし、それがいつもしつこいくらいに私に執着してきていた人だったから尚更、訳がわからなかったのである。
曇り空に見下ろされた会社の屋上で、私は思わず声を荒らげていた。
「いっつもいっつも、あんなにしつこく電話してきたりメールを送ったりしてくるあんたがまさか浮気なんかするなんてさぁ……」
似たようなことを言い続けた。
理屈が合わない返答をされたら、強めの否定とともにそれを論破した。
ちゃんと話し合いたかった。私の勘違いだったらそれでいいし、仮に本当に浮気していたとしても(というかそちらの方が可能性高い状態だったけど)何か理由があるなら聞いておきたいとか、そんなことを思っていた。
そんなの聞いたってどうにもならないことくらい、ちょっと考えればわかることなのに。
案の定返ってきたのは、どう足掻いても私に散々連絡を取ろうとしてきた彼がする行動とは思えない答えばかりで。
だから問い詰めていったら、うんざりしたような溜息とともに、答えが返ってきた。
『もうさ、そういうのめんどくさいんだけど』
うわ、そっちから言われるとは思ってなかった。
『そもそも、今まで一緒にいたのだって俺が好きだからってより、
で、連絡すれば返してくれるから、あぁ、やっぱこいつ暇なんだなとかやっぱ相手してやんなきゃなとか、そういうので付き合ってただけだから。別にこっちは綺音じゃなくても構わないっつーか、ほんt』
それ以上聞いていられなくて、通話を切った。
きっと、それなりに長い間溜まっていたものが噴き出したのだろう、そう思わずにはいられない言い方だった。
まさか、そんな風に思われてたなんてなぁ。
あー、どうしようもない。
ざまあない。
この時の私をどう言い表せばいいのか、大学では文学関係を履修していたからそれなりに言葉は覚えたはずなのに、どうとも思い浮かばなかった。それに、そんなことをしようとしている自分も意味がわからなくて、私は何かから逃げるように屋上を後にした。
それからは、どうにか仕事は済ませていたと思う。
というか、仕事以外に何も考えていなかった。
そうしないとたぶん、何かが
それで、仕事も終わっていたから定時に上がって。それでも何故か家に帰るのは嫌で、会社近くの喫茶店だったりダーツバーだったりで少し過ごしては飽きて出て、を繰り返しながらの帰路は、気晴らしに歩いていた知らない道にあった知らないバス停に至る。
「このまま出られなくなっちゃったりして……」
まぁ、それでもいいや。
だって、別に誰にも迷惑かけないでしょ。あ、まぁ仕事が滞るかも知れないか。でも、それだって代わりはいるわけだし。
…………。
あれ、おかしいな。
急に胸が痛くなってきて。
その痛みが目から溢れ出して、止まらない。
「先輩……?」
不意に聞こえた、聴き慣れた声。
振り返らなくても
やめて。
来ないで。
きっと、彼女はいつもみたいな目で……単なる先輩と後輩以上を求める感情を隠した目で私を見てる。
そんな目で見られるには、今の私は余裕がないから。
だから、どこかへ行って。
私のことを見ているくせにそういう気持ちを察することはできないのか、風香は「大丈夫ですか?」と尋ねてきた。
大丈夫ですか?
へぇ、あなたには私が大丈夫なように見えるんだ?
いつも傍にいるのにそんなのもわからないんだ?
そんな、いい加減な気持ちだったのかな?
それともわざとなのかな。
ああもう、どっちでもいい。
感情が渦巻いていく。
その後もいくつか言葉を滑らせながら、私は自分の中に怒りに似た感情が渦巻いていくのがわかった。
だから。
きっと、その感情をぶつけられる相手なら、誰でもよかった。
たまたま目の前にいたのが風香だったから。
私に好意的な感情を向けている彼女だったから。
傷付けてあげる。間悪く私の前に現れて、きっと来てほしくないと思っているのにも気付いているだろうに中途半端な気持ちで私に踏み込もうとしたことを後悔するくらいに、傷付けたい。
不意に芽生えたそんな衝動に背中を押されるように、私は風香と唇を重ねていた。
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