Page.20 目を離したいのに・2
朝、目を覚ましてみると、
「……、あれ、昨日は、」
「あ、おはよう
まだはっきりしない頭に真彩の声が聞こえてきて、開けられたドアの向こうからはトーストの香ばしい匂いが漂って私の鼻をくすぐり始めて、それと一緒に昨夜のことも少しずつ思い出してきた。
『ねぇ、今日はどうしたの? いつもなら、何か用事をつけてこっちには来てくれないのに』
『ん……』
飲んで真彩の部屋に行くことになった道すがら、そんなことを訊かれて、私は言葉に詰まってしまった。どこまで話していいのだろう、というか、どういう風な言葉を使えば私の率直な気持ちをちゃんと伝えられるんだろう……そんな迷いがあった。
お酒に酔っただけではない、まとまらない気持ちを吐き出せないままでいる私に、真彩は軽く溜息をついてから、『そういうのは言いっこなしだよね』と少しだけ寂しそうに呟いた。
『……ごめん』
『綺音もそういうの、なしにしてよ』
そんな、軽くなりそうにない雰囲気での会話がしばらく続いて、ようやく着いた真彩の部屋。最後に1回だけ、『ほんとにいいの?』と訊かれた。
私がそれにどう返したかは覚えていないけど、きっとその答えの先に彼女の部屋で朝を迎えている今があるんだと思うと、なんだか自分がひどく汚く思えてきた。
それでも、気持ちは止められなかった。
鏡の前に立ったときに目に入った私は、いつもと何も変わらないそっけない私。
でも、それじゃ駄目だ。
私がここに来たのは、そういうことじゃないから。
「ねぇ、真彩」
「んー?」
「まだ時間あるから、もう1回だけ……、いい?」
「いいの?」
そう答える彼女は、どんな表情をしていただろう? そんなことを思いやる余裕すらも、もう私には残っていなかった。
真彩の温もりを、匂いを、それから彼女の痕跡を、付けておきたかった。たぶん、本当にひどい、真彩の好意を最悪の形で踏みにじるような理由。きっと、いくら真彩だとしても絶対に許してもらえない、言ってしまったら軽蔑されるに決まっているような、そんな理由。
そんなことをして、ようやく出社したけれど、いつも開いているはずのドアはまだ閉まっている。慌てたようにやって来た守衛の従業員から聞いた話だと、セキュリティ上の問題があって電気系統が動かなくなってしまったらしい。
「あと数分くらいで復旧しますので……」
「あ、はい」
私以外の従業員はまだ来ていないのか、それとも、もうこの事態について何かしらの説明を受けてどこかで時間を潰しているのか、その辺りはよくわからない。とにかく、ここには私しかいなかった。
でも、あと数分だからもうちょっとここにいよう。
そう思って立っていたら、彼女がやって来た。
「……あ」
「あ、」
昨日まで、どんな顔をして彼女を見ていただろう。気まずそうに一瞬だけ目を逸らした風香の顔を、私には追えなかった。こうなるならいっそ、何もかもなかったことになってしまえばよかったのに。
そうしたら、彼女はただの後輩になってくれるのに。
それでも、彼女はいつも通りに話しかけてくる。いつも通り、後輩としての顔を貼り付かせて、私をはじめとして周りをごまかす為に。
「あっ、先輩おはようございます~、まだドア開かないんですか?」
「……ぁ、えぇ。セキィリティ会社の人が遅れてるみたいで」
私は、そんな彼女の意地に甘える。
きっと風香は、自分から求めるということをまだちゃんと知らないから。無様でもいい、卑怯でもいい、滑稽だって、惨めだって、構わない。私は、傷付きたくない。傷付く自分を自覚するのが怖い。
だって、それは私がどんどん風香に依存していってしまっていることを意味しているから。そんなことはない。最初に私を呼んだのは、風香なんだから。
沈黙の中で、風香と私の息遣いだけがうるさい、朝の会社前。
一刻も早く離れたかったのに、ようやく問題が解決して自動ドアが開いたとき、ふと寂しくなった。
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