Page19. 目を離したいのに・1

 …………朝、目が覚めてまず思ったこと。

 あれ、わたし何でこんなとこにいるんだっけ?

 朝の曖昧な白い光が眩しくて、綺音あやねさんに言われてちょっと早めに設定するようになっていた目覚ましアラームが耳にうるさくて、それに何より前だったらちょっと早いな、って思ってた時間に起きるのがすっかり普通になっていて。

 携帯のロック画面を見たら、まだ5時半。

 出社時刻まではあと3時間くらいある。

 そんな時間に起きたから、いつも通りの朝だと思ってしまった。


 でも、目を覚ましてみれば全然違う。

 わたしが寝ていたのは随分前に会わなくなっていた人の部屋で、フローリングの床にはどんな飲み方をしたのか、空になった缶ビールとか発泡酒だとかが一瞬床に足を置くのを躊躇ってしまうくらいに散らばっている。

 隣を見ると、少し汗ばんだ肌を肌寒い早朝の空気に曝け出したまま、間の抜けた寝顔で大いびきをかいている彼が当たり前のようにそこにいて。

 ……昔やられたみたいに、寝てる首を絞めてみたらどういう反応するかな?

 そんなことを思いはしたけど、わたしたちだってお互いいい歳だ。たぶん冗談で始めたって、抱えていた色々が暴発して冗談じゃ終わらなくなってしまうかも知れない。

 だから特に何をするでもなく、適当に朝食でも作ることにした。といっても、会社へ出る前にちょっとしたものをお腹に入れとくようにという綺音さんのアドバイスをそのまま聞いていただけの習慣だから、簡単な――自分用だけのものしか作らないけど。

「……、よっ、と」

 何とか足の踏み場を探してベッドから飛び降りたとき。


「んぅ、うるさ」

「あ」

 想っていたより大きな音がして、ベッドの上で身じろぎする音と、迷惑極まりなさそうな声が聞こえた。


「じゃ、また気が向いたときに来るから」

「んー」

 わたしたちの間の挨拶なんて、これで十分だった。そもそも、綺音さんみたいにしょっちゅう、毎日のように一緒に帰って、それこそみたいに束縛したいと思ったりする相手の方が、イレギュラーだったんだ。これが、わたし。

 わたしにとっては、これがいつも通り。

 綺音さんが見たら何て言うかな、とかそんなことをきにする必要だってないんだよね、もう。


 ホッとする気持ちと、まだ未練がましい気持ちがない交ぜになる。

「あ、ふーか」

「なに」

 感傷に浸ってるときに呼び止められて、思わず感じの悪い口調になってしまう。でも、まぁ昔のわたしを知ってるひとならそれでもいいや。

 そんなことを思いながら振り返ったときに。


「何か、ふーか変わったよね。わりといい人と出会ってた系?」


 茶化すような口調で、わりとエグい角度で心をえぐるようなことを言ってきたから、彼にはもう会わないことを密かに決めて、部屋を出た。

 それで、仕事に向かった会社の前。

「……あ」

「あ、」

 目が合った綺音さんは、たった1日のことだけですっかり関係がリセットされたみたいに気まずそうで、よそよそしい。

 あ、訂正。

 リセットまではされてないね。

 だってリセットなんてされてたら綺音さんはただの先輩でしかないから、そもそも気まずさすら生まれない。

 

 でも。

「あっ、先輩おはようございます~、まだドア開かないんですか?」

 そうやって安心したことを素直に言えない。昨日のことには、わたしの方からは触れたくないから。綺音さんの方から、すがってきてほしい。

 たぶん、そんな子どもみたいな意地だったんだと思う。

「……ぁ、えぇ。セキュリティ会社の人が遅れてるみたいで」


 ………………………………。

 それから訪れた、沈黙の時間。でもね、そんな中でもわかることはあるんだよ?

 真彩まやちゃんがつけてた香水が、綺音さんのスーツについてることとか。ちょっと赤い首筋とか。そんなところばかりに目がいく自分が、少し嫌になる。


 ふたりきりの朝は、すごく長かった。

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