Page18.苦くて吐き出したくなる・2

「あっ……」

 少しずつ宵闇に侵されていく夕焼け空の下で、私はひとり取り残された。慌ててかけようとした声も、曲がり角の向こうまでは届いてくれない。

「…………っ」

 何を言いたかったのか、私の喉は声を発するように1度開いたけれど。

 それでも、かける言葉も、それをかけたかった相手も、どこにもいなくて。


 ただ、それこそ道端に置き去りにされた子どものように、自問することしかできなかった。どうしてこんなことになっちゃったんだろう――って。


 * * * * * * *


 真彩まや風香ふうかに何かを言ったことは間違いないのだと思う。きっと、私たちのを――風香の知らない私を仄めかすような口振りで、囁いたに違いない。

 たぶん、映画を見ながら感じていた焦燥感に、もっと素直に動くべきだったんだ。そうしていれば、こんなことにはなっていなかった。


 風香に愛想を尽かされてしまうことも、こんな風に真彩からの誘いに惹かれてしまうことも、なかったのかも知れない。


「よかったの、風香さんは?」

 呼び出されたバーで既に何かしらのカクテルを飲んでいたらしい真彩の顔は、少しだけ紅を差したように艶やかな赤さを帯びていて。

「誰のせいでこうなったと思ってんの」

 そう答える私の顔が真綾にどう見えてたかなんて、を期待するような彼女の目の輝きを見たら、わからないわけでもなかったけれど。たぶん、真綾は自分からは私をどうこうしない優しい子だから。

 だから、私はその優しさに甘えて、真綾を一定以上には近付けない。

 何だろう、私はきっと、自分で思っていた以上に自分に甘くて、思っていた以上に自分への好意に敏感で、たぶん、子供じみた性格をしているに違いなかった。


 いつからこんなに、風香のことばかりになったんだろう。隣に昔の友達……、それよりもっと踏み込ませたこともある女性ひとがいるときにも考えてしまうくらいになっていたなんて。

 最初は、ただの仔犬みたいな後輩だと思っていた。

 好意を向けてくるのに構っていて、そのタイミングがたまたま私が人肌恋しい時期で。

 たぶん、お互いに純粋な好意なんかじゃないことはとっくにわかりきった上での付き合いでしかなくて。


 それなのに。

 過去の人まやの、未だに燻っている好意を利用してでも、繋ぎ止めておきたいと思ってしまうくらいにまで、私は彼女に惹かれてしまっていた。

 たぶん、その明るさの影に潜んでいた影に、掴み所なんてなくて、どうやっても独占できないところに。私と似た、その甘さに。よりかかって、甘えて、その結果お互いに距離が縮まった気になっていて。


 結果、距離を見誤ってこんなことになって。


「大体さ、ちょっと短気過ぎない? お互い、それなりにいい歳だよ!? ていうかこっちはあんたの何倍もやきもきさせられてるよ、って言いたくもなるけどさぁ……」

「おーおー。荒れてるね、綺音あやね

 それで、その原因でもあるはずの真彩に愚痴までこぼしてしまう始末。それで、慰められたらうっかりを破ってしまいそうな勢いで。そんな気配を察するのがうまいのが、昔からの真彩の特技だったことを思い出したのは、空になったグラスの中で溶けた氷が、無機質で高い音を立てたときで。


「あ~、なんかほんとに泣きそう。泣いていい?」

「じゃあさ、これからうちで飲み直す?」


 たぶんその誘いを断らなかったのは、単純な理由。

 もし、風香の気が変わったとして、私がどこにいるのか突き止めたとして、そこにいる真彩の姿を見たときに、どんな顔をするのかな――なんていう、淡くて性格の悪い期待のせい。


 ちょっとだけ、ドキドキした。


 会社で普段子ども、というか仔犬っぽくて、でもふたりきりになると急に人が変わったように大人っぽく振る舞うようになるのに、やっぱり子どもみたいな――自由で甘えててどこか自分勝手な――あの人が、どこにでもいるような私のことで感情をあらわにするところを想像したら、震えるほどに、興奮している。


 外で降り始める雨の音を聞きながら。

 そんな自分に嫌気が差しそうなのに、それでも止まらない想像に、私の口許は歪んだ。

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