Page17.苦くて吐き出したくなる・1

 映画館からの帰り道は、沈みそうな夕陽に辺りが照らされているせいなのか、影の濃いわたしたちの正面が少しだけ暗く、寂しいものに見えた。


 たぶん、お昼時に比べると人通りは少ない。それに、空も街も、お昼時よりはもちろん暗い。それもある。だけど、たぶんそういうこととかじゃなくて。

 この暗さは、わたしの中から生まれてきている。

 映画館で感じ取ってしまった、真彩まやちゃんの綺音あやねさんへの想い、そして、2人の間に流れる、ただの友達とは少し違う感じのする空気に怯えてしまった。


 まだ、知らないことがあるの?

 ここまで近付けたはずのわたしたちの間に、まだ?

 そんな、思春期の子どもみたいな感情が、わたしの心に爪を立てる。

 辛うじて作っている笑顔を引っ掻いて、キリキリと痛い胸が悲鳴を上げる。


 わかってるよ? そんなことを言うような間柄じゃないってことくらい。それぞれ積み重ねてきた年月も違う、その間にあった出来事を全部知ろうなんて、できるはずもないってことくらい。

 だけど、そういうことじゃない。

 ただただ、頭では理解できないような――たとえば地面を虫がさわさわ動き回ってるのを見たときに感じるような生理的な不快感が込み上げてくる。不安がお腹の底からどんどんせり上がってくる。

 叫び出したい、駆け出してしまいたい、こんな邪推ばかりしてしまう自分のことが憎くてたまらない。


 それでも……っ!


「あの、風香ふうか?」

「え?」


 隣から、少しだけ沈んだような綺音さんの声が聞こえてくる。振り向いた先にいた綺音さんは少したじろいだような顔をして、何を言おうか迷ったような顔をした後、「え、えっと」と、珍しく慌てたように目を泳がせながら、言った。


「あのね、真彩って前からちょっと変わったところがあって、変な言い方したりすることがあるんだけど、えっと……、」

「けど?」

 あぁ、あのね。

「――――っ、えっと、別に真彩は悪い子とかじゃないから、ね? だから、あんまりそんな顔されてると……私もつらいよ」

「………………」

 そっか、その間のとり方はそういうことか。

 結局、昔のお友達を庇っちゃうんだね、綺音さんは。

 優しいからなぁ、ほんとに。

 そんなんだからわたしみたいのに付け込まれるし、こんな風に人の心を揺らしてしまうし、そんな顔をすることになっちゃうんじゃないのかな? そんなに困ったような顔しちゃってさ、あーあ。それじゃ、仕事してるときのの顔が台無しだよ? 気弱で、自分に甘くて、でも必要ないところで厳し過ぎるところが丸見えだよ?

 あぁ、やっぱり難しいよね。

「――わかりました」

「…………、」

「今日は楽しかったよ、綺音さん。お友達との映画に誘ってくれて、ありがとう」

 精一杯の笑顔は、きっとうまく作れてると思う。

 昔から、作り笑顔には自信があるから。人に好かれる笑顔にも、それなりに自信があるから。

 愛想笑いには、自信があるから。


「――――、風香! ま、」

「何か、わたしも久しぶりに友達に会いたくなっちゃったから、お先に失礼しますね」


 夕陽が雲に翳り始める空の下、少し冷たい風が吹く道には、しばらく綺音さんの影がわたしを追いかけるように付いてきていたけれど。

 途中で角を曲がった後は、もう何も追いかけてはこなかった。


 * * * * * * *


「なんか、久しぶりじゃない、こうやって呼ばれるの?」

「そう?」

「何かあった?」

 ――、そういうデリカシーのない質問には答えないことにしている。

 こういうところは、ほんとに綺音さん完璧だなぁ、普段なら。


「あのさ、月綺麗だよね」

「は?」

「まぁ、あんたには関係ないけどね」

「は??」

 わかんないなら、別にいいよ。

 ほんとに関係ないし。

「でもさ、こんなに綺麗なのに、どうやっても手届かないよね」

「う、うーん、そうかね……。まぁ、今こうしてる間は、俺の手は届くけど?」

 薄っぺらい声と同時に、情緒の欠片もないようなゴツゴツした指が、また伸びてくる。あぁ、イライラする。でも、そんな気持ちさえも、綺音さんに何かしらの傷をつけられているのなら、どこか満たされるような心地がして。


 改めて意識させられた月までの距離を想いながら、わたしは性懲りもなく見上げ続ける。

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