Page2.  月を見上げて・2

『今週の日曜って空いてる?』

『仕事』

『じゃあ、いつ空いてる?』

『んー』

『空いてる日教えてくれたらそこに合わせるから』

 ……あぁ、めんどくさい。通話を打ち切って、辺りの景色を見る。


 夏が近付くこの季節になると、夜でも空気は生ぬるい。

 コンビニの店内照明が伸びた先の夜闇もこの間までよりも少し緩慢で、肌にまとわりつくような熱気が少し不快になってきた頃、コンビニの入店音が鳴って、彼女が出てきた。


「すみませーん、遅くなっちゃいました!」

 慌てて出てきた彼女に、さっきまでのやりとりで疲れた心を少し癒されるような気持ちになりながら、私は「別に大丈夫だけど」と答える。

「ほしいの買えた?」

「はい!」

 そう答えながら、魅力がいまいちわからないキャラクターのぬいぐるみを見せてくる彼女の満面の笑顔に、思わず頬が緩む。

 こういう風に、好きなものを好きだと全力で表せるのって、誰にでもできることじゃないよね……。羨ましいような気持ちもして、「そっか。じゃあ、行こ?」と思わず先に歩き出してしまう。


 見つめていたら、眩しくなり過ぎそうだったから。

 その眩しさに、思わず憧れてしまいそうだったから。


 それでも後から追いかけてきて隣を歩く彼女の名前は、伊藤いとう 風香ふうか。私が勤める会社に最近入ってきた、いわゆる後輩。年齢で言えば私よりいくつか年上なんだけど、会社での様子を見ていると、その辺りを少し疑いそうになる……。

 落ち着きはないし、焦って初歩的なミスを繰り返すし、おっちょこちょいだし、要領悪いし……。まぁ、それはこれから慣れてくれる、ってことなのかな。

 年上なのを疑いたくなる理由は、何も後ろ向きなことばかりではない。

 まず、さっきも感じたことだけど、好きなものを好きだとそのまま表現できるところ。それから、壁を作らず誰とでも仲良く接することができたりと、およそ年齢を重ねていると難しくなりそうなことを平然としてしまうところは、素直に羨ましい。

 そもそも、外見からして、綺麗というよりは「可愛い」の部類なのもあるかも知れない。

 背は高くて体つきもそこそこメリハリがあって、普通に「綺麗系」になりそうな外見なのに童顔で、それでコミュニケーション能力が高い……。そしてよく笑う。


 こういう言い方をすると、たぶん彼女は傷つくだろうけど。

 きっと男受けが凄くいい人なのだろうと思う。


 実際、入ったばかりでうちの男連中の数人を虜にしてしまえているのだから、この分析は間違ってないのだろうけど。


 それでも、彼女はいつも私と一緒に帰りたがる。

 私は私で、仔犬みたいに懐いてくれる彼女に悪い気はしていなくて。

 だから、今日も私たちは一緒に帰っている。


 その最中にも、またスマホから通知音。

 見ると、また彼氏からのメッセージだ。

『ねーねー、いつ空いてるの?』

 ……はぁ。溜息混じりに返信する。

『ちょっと待ってて』

『ちょっと待ったよ』

『もうちょっと』

 ……何か、大学を卒業して会える時間が減ってから、一気にこういうメッセージが増えてきた。もしかして、距離が離れるとかそんな不安を持っているのだろうか。

 ご名答。

 その鬱陶しいメッセージのせいでね。


「先輩、月綺麗。見ないんですか?」

「んー、今はね」

 綺麗な月なんて、さっき随分見てたから。今はそれよりも、画面の中にいる面倒事の始末だ。

 ……せっかくの帰り道なのに。

 そんなことを思ってしまう自分がどこかおかしかった。


 そうこうしているうちに、もう分かれ道。

 私はこの丁字路を右に、彼女は左に曲がっていく。

「あ、もうここまで来てたんだ。じゃあ風香、また明日ね」

「はい。おやすみなさい、先輩」

「おやすみ」

 少し名残惜しさを感じていたから。

「先輩」

 だから私は、その声に足を止めていて。

「ん?」

 振り返ったのは、その声が少し真剣な色を帯びていたからで。

「どうしたの?」

 そう尋ねたのは、きっと何かを期待していたから。


「月、綺麗ですね」

 その言葉に、私は彼女の本心が詰まっているような気がした。

 いつも仔犬のように懐いてくれる彼女の、そんな態度に隠された本当の気持ち。純粋だからこそ、刃物のように突き刺さる好意。


「あー、そだね」

 本当に、そういう「好き」をストレートに伝えてくるところが眩しすぎるよ、あなたは。

 そんな気持ちにまっすぐ答えられそうにない私は、目を逸らした。


 見上げた夜空では確かに、月が綺麗で。

 少しだけ胸が締め付けられた。

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