Page3. 雨音が耳にこびりついて・1

「はぁ……、今日も失敗した~」

 曇り空の下の帰り道があまりに寂しくて、思わずそんな愚痴が零れてしまう。言ったところで、今日は聞いてくれる人もいないのに。


 朝の失敗が忘れられない。

 どうしても、プレゼンになると緊張してせっかくまとめた内容をうまく伝えられなくなる。

 まとめた……それに綺音あやね先輩も手伝ってくれたのに。

 結果得られたのは、周りからの生温かい視線と失笑と、先輩からの優しくて心の痛むフォロー。


『大丈夫、次にうまくできればいいと思うから』


 いつしか、先輩の指摘はフォローの言葉になっていて。

 それってもしかして、もう怒るほどの期待もされていないってことなんじゃないか、なんて考えてしまって……。

 同期の言葉も、普段の雑談でその裏表の激しさを知っちゃってるから信用できないし、だから先輩の、仕事に関してはそういう裏のない厳しいけど的確な指摘がほしかったのに。


 だから、それがないのが苦しい。

 その苦しさを解消したくても、同期たちの雑談の中でそういう真面目な話を出すと、後でどんな噂話を流されるかわかったものじゃない。


 変に真面目ぶってるだとか、上司受けを狙ってるだとか、そんな風に誰彼構わない毒の矛先になるのは……もう嫌だから。


 そんなときに、先輩の言葉がほしいのに。

 だけど、先輩は今日、昼休みが終わった頃から少し元気がなくなって、そして終業と同時に、定時で帰ってしまった。いつもならわたしとか、他にも仕事が残ってそうな人の手伝いをしてから帰るのに。

 そういう用事の日だって、ある。

 もちろんそれくらいはわかる。

 先輩だって、付き合ってる人とかいるんだし。だから、きっと仕事終わりにそういう人と会って、そういう時間を過ごして、そういうことをして……という日があるのはわかってる。

 でも、帰り際の先輩の様子はそんなウキウキした様子には見えなくて。

 それがずっと引っかかって、だから仕事も早々に切り上げて、とりあえず帰ることにした。

 会社に居続けると、つい考えてしまうから。


 帰って、友達と話でもしよう……。確か今日は休みだったはずだから。

 そんなことを思いながら会社を出て、そして歩くひとりきりの帰り道。


 空には星なんて見えず、見えるのはただの分厚い雲。

 先輩は今頃、どうしているのだろう。

 あんな顔して会社を出て行った彼女に、気にしているだけで何もできないのがもどかしくて、どうしようもなく自分が嫌いになる。


 昔に戻ったような気分になって、それを否定したくて慌てて首を振る。

 

 星も月も見えない夜空を背景に、街灯の光が周囲の空間に、曖昧な色合いで広がっていくのが見える。

 それはまるでわたしの心そのもののようで……見ていて気持ちが悪かった。

 しかも、傘も持ってなくて家からもまだ遠い、最悪のタイミングでポツポツと冷たい感触。

「うわっ、雨は降らないって言ってたのに!」

 ほんとに、天気予報なんて当てにならない!

 そうこぼす間もなく、雨粒はどんどん大きくなって、雨足も強くなっていく。

 何とか雨を凌がないと。

 周りを見回しても、見えるのは個人宅だったり今時まだあるのかと疑問に思ってしまう空き地と、あとは市の計画で作られた児童公園……どこも雨宿りには向かない場所だ。

 まったく……、あっ。


 1つだけ、思い出した。


 嫌な思い出があるからここ10年くらい近寄ってなかったけど、この先の十字路を左に曲がってちょっと行ったところに、古いバス停がある。


 周りにあるのは数十年前に中止になったという都市開発の残骸……今では地域の誰からも相手にされないただの巨大なゴミばかりの一画。

 自分たちの住居を奪うなと言い続けていた人たちのほぼ全員が中止決定の前に違う場所へ引っ越して、本当に必要のない場所になってしまった……とおじいちゃんが生前よく言っていたっけ。

 スクラップばかりが積み重なった区画に囲まれた、ただの行き止まり。

 ずっと前に廃線になったバス停も処分されないくらいに、どうでもよくなってしまった場所。


 捨てられた場所。


 そんな場所の存在を、唐突に思い出した。

 ……あそこなら、雨は凌げるかも知れない。


 大丈夫、もう隣には誰もいない。

 あのときみたいなことには、ならない。


 少しだけ息を吸って、とりあえず頭上の雨を凌ぐためにわたしは駆け出した。


 雨に濡れる細い道。

 街灯の光が映し出す景色――スクラップとゴミばかりの「都市」の死骸――に不安を煽られながら着いたそのバス停は、相変わらず古ぼけていて。


 でも、そこにはもうわたし以外の誰かがいた。

「先輩……?」

 よく見慣れた、大好きな人。

 その見たことのない泣き顔は、とても綺麗に見えて。


「先輩、どうしたんですか?」

 わたしに気付いて明らかに拒絶の表情を浮かべる彼女に向かって、踏み込んでいた。

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