Page4. 雨音が耳にこびりついて・2
急に降り出した雨を避けたくて訪れた、町外れ……という言葉も気を遣い過ぎなくらいの、寂れた――たぶんもう誰からも必要とされない場所にある古いバス停。
そこで泣いている先輩を見た。
きっと、触れてはいけない。
このまま、何も見なかったことにして立ち去った方が、先輩のためだ。
たぶんこんなの、先輩にとっては誰にも見られたくない姿だろうから。
そう思っているのに。
「先輩、どうしたんですか?」
思わず、わたしは声をかけていた。
だって、誰にも見られたくない先輩の姿は、誰も見たことのない先輩の姿だったから。
それを見ることができたのが、あまりに嬉しくて。
つい、それがわたしの視界に入っているものなのだという確信が欲しくて。つい、手を伸ばしたくなった。
だから、きっと望まれていないと思っても声をかけてしまった。
「
気持ちが入らないような声が返ってきた。疲れきって、何があったのかわからないけど、隙の多そうな濡れ顔は、本当に綺麗だった。危うさがあって、きっとちょっと揺さぶればこちらに傾いてくれそうにも見えるその姿に震えた。
「わたしは、雨降ってきちゃったから、弱くなるまでここにいようかなって」
「ふぅん……」
そう言って、先輩はゆっくりとわたしに近付いてきた。
「あ、どうしました? 何か要りま、――――っ!?」
返そうとした言葉は、先輩の唇で押さえ込まれた。
密着した体は、蒸し暑い空気の中なのに冷たかった。突き放そうか躊躇しているところに絡み付かれた指は冷たくて、少し震えていた。
周囲も、雨が降り続けているからか、少しずつ冷えてきていた。
その中で、わたしを包むような唇と押し入ってくる舌、そして頬に伝った雫だけが熱い。
1つに溶け合ったような感覚だった。
雨音が、わたしたちの吐息以外の全てを掻き消している。
まるで世界に、わたしと先輩しかいないみたいに。
それは、夢見た情景にも思えたのに。
どこか虚しくて、怖くて、悲しくて。
先輩の華奢で曖昧で、どこに実体があるのかわからないようなその体を、壊したくなった。
壊すつもりで、強く抱き締めようとした。
それでもできなかったのは、きっと唇を離した先輩の口から聞こえてきたのが嗚咽だったから。
声を漏らして泣いている先輩は、とても可愛かった。
いつも見ている凛々しい姿も、彼氏さんとやり取りしている時のけだるそうな様子もなく、その瞬間の感情を吐き出さずにはいられない姿に、わたしはひどく惹かれた。
もしかしたら触れられるかも、と思った。
何かにひどく傷ついて、その傷を伝播させようとした冷たいキス。
それはきっと、冷静になった先輩すらも傷付けたに違いない。ううん、相手はそんな姿にまで愛おしさを感じてしまう浅ましいわたしなのだから、傷付いたのは先輩だけ。
その結果が、「後輩」の前で無様な姿を曝したことをも恥じているのだろう「先輩」の姿。
何かに傷付いて、その傷を更に深くした「女の子」の姿。
その姿に、惹かれた。
完璧に見えていた――わたしよりもずっと先を生きていそうに見えていた彼女の背中が、捕まえられそうなほど近くにある。
それを、何よりも実感できたから。
「大丈夫」
世界の全てから隔絶された、古びたバス停の中で。
「今は、大丈夫だから」
濡れて、無防備で、今にも壊れてしまいそうな先輩――
「今なら泣いてもいいし、わたしは誰にも言わないから」
手を伸ばして。
「だから我慢しないでいいんだよ、綺音さん」
そっと、優しく、絡め取る。
「…………っ」
「うん、大丈夫だよ」
そうして、捕まえた。
雨は、しばらく降り続いていた。
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