Page9.夕暮れアンニュイ・1

「せーんぱい♪」

「ん、どうしたの風香ふうか? すっごいにやけてるけど」

 そろそろ日中でも外歩きが寒くなってくる冬。夕暮れ時なんて寒くて仕方ないし、子どもの頃から冷え性のわたしには死活問題に近いけど、それでも今日は気分がいい。何故なら……。


「今日は先輩が来てくれる日ですからね~」

「……あんまりそういうの大声で言わないでよ。周りに聞こえちゃったら」

 ひそひそ声でわたしの耳元で囁いてくる吐息がくすぐったいのをこらえて、彼女の声を聞く。

 先輩はけっこう用心深いというか、周りの目をすごく気にする人だ。

 自分たちが周りからどう見えるかを気にしていて、外だとを避けたがる傾向がある。そんな先輩の姿は、見ていて少し微笑ましい。

 だけど、ちょっと胸に何かが刺さるような気もして。


「おばかさんですね、綺音あやねさんは」

 思わず、風に紛れるほど小さな声で呟きながら、もっと彼女の肩に「えへへ~」とよりかかる。

「ちょっ、風香!?」

「えへへ」

 それでも、大丈夫なのだ。

 わかってるから。


「ここならたぶんわたしたちのこと知ってる人いないから大丈夫だよ、綺音さん」


 わたしもさっきのお返しに耳元で囁くと、「――――っ!!?」と高い声を上げて耳元を押さえながら距離をとられた。びっくりしたように見開かれて、ちょっとだけ潤んだ目は、会社で見るキリッとしたの顔とはちょっと違って、やっぱり可愛らしい。

「ね?」

 離された距離だけまた詰めて、ゆっくり笑いかける。

 先輩――綺音さんの目には、わたしの顔が映し出されている。

 

 酷い顔。

 自分が執着しきってるくせに、相手にも執着してもらおうとしてる。彼女の瞳に映っているそんな女のことが、心底嫌いになりそうだったけど。


「…………」

 無言で頷いてくれる綺音さんの体が、少しだけわたしに寄ってくる。シックなグレーのコートは仕事場でのらしくてとても素敵だ。そんな彼女の、綺音さんとしての顔を知っているのは、わたし以外に何人いるんだろう?


 わたし以外の全員が、突然記憶喪失とかになればいいのに。

 そんなことを想ってるって知られたら、さすがに嫌われちゃうかな?


「あっ、今日の夜どうします? どこかレストランとか?」

「ううん、今日は何か疲れちゃった……。このまま行ってもいい?」

 あぁ……と思わず頷いてしまう。

 今日は綺音さんは相当疲れてしまっているはずだ。上司の虫の居所が悪かったみたいで、だいぶネチネチ叩かれてたから。冷静な対応で逆に上司を叩きのめしてた感はあったけど、後で泣いた顔文字のメッセージが連投されてたっけ。

「じゃあ、何か適当に軽めのを買って帰りましょうか」

「うん……」

 さっきまでとは逆に、いつの間にかわたしの肩に頭を乗せている綺音さんが軽く頷いたのを確認してから、わたしたちは夕暮れの道をまた歩き始めた。


 星が空に輝き始めて、町並みには明かりが灯り始めていた。

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