常盤木はいづれと問へば夏の声への応援コメント
季節の擬人化…不思議な発想です。楽しい。
夏の声=蝉と思ってしまった私は頭が固いな…
作者からの返信
頭か固いとも言いきれないと思います。
夏を感じさせる音声が「夏の声」であって、セミの鳴き声をも含むものとして良いように思います。
編集済
春の雨湯のごとたぎちけぶりけりへの応援コメント
こんばんは、青丹さん。
俳句のことはわからないのですが、
季語や独特の言い回しが好きです。
【けむる】よりも【けぶる】が好きです。
濁点があると発音としては汚いかと思いきや、
春の雨は【けぶる】方が
何だか典雅で美しい気がします。
…変なことを言ってゴメンナサイ。
作者からの返信
おはようございます、瑞崎さん。
なかには、いったい誰が使うのだろうかという季語もありますね。
わたしが使う季語も、百はあっても千には遠く及ばないだろうと思います。
聞いた話しだと、江戸時代にはケムルと発音していたけれど「けぶる」と書いたとか。
わたしはあまり深く考えずに、その頃の慣習にのっとって濁音にしました。
蝙蝠に月紫の夜更哉への応援コメント
コウモリには不気味なイメージがありますね。
わが家にコウモリが侵入したことがありました。部屋の中を飛び回って、怖かったです。
懸命になって、釣りで使うネットでコウモリを捕らえました。
網の中のコウモリは小さくて、びっくりするぐらい可愛かったです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
何を思って入ってきたのでしょうね。
こうもりの何が恐ろしいって、ウイルスなんかを媒介することです。
狂犬病ウイルスを持っていたりもするらしいから、運悪く引っ掻かれた日にはどんな目に会うか知れたものではありません。
それはそれとして、こうもりはそんなに可愛いのですね。
いつか人気に火がついて、鳥かごなどで飼おうとする人が出てきてもおかしくないと思いました。
目を喰つて魂抜くや桜鯛への応援コメント
生き物の絵を描くとき、目は最重要の箇所だと思います。
目がなくなると、魂がなくなったみたいですね。
この句を読んで、そんなことを考えました。
魂とは関係ありませんが、鯛の眼球の周りのゼラチンはとても美味しいです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
目は脳の出先機関といわれるほど密接な関係にあると聞きます。
魂が脳に宿っているかは分かりませんが、視覚は精神につよく影響するかと推測します。
感情がもっとも顕著に表れるのはやはり目元でしょう。
現代でもそうか分かりませんが、瞳孔をもって人間の生死を判定していたようですから、目の描き方によってその絵の与える印象は少なからず変わる気がします。
わたしは鯛を喰らわば眼球まで喰らいますが、その周りにゼラチンがあることを知りませんでした。
身がとても美味しいからか、眼球の周りが美味しいなど意識にのぼりませんでした。
鮭の皮はけっこう好きです。
梅が散り桜が散るや山笑ふへの応援コメント
「山笑ふ」という表現があるのですね。
びっくりしました。
現代の小説の言語も、もっと自由であっていい、なんて思いました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
俳句は詩歌で小説はものがたりという違いはありますが、小説のほうが本来ルールが少ないはずですから、諸子百家のようにいろんな小説が興ると盛り上がりそうですね。
恋猫や醫の匙の投げ加減への応援コメント
『恋猫』は、いわゆるパワーワードでは?
無内容な句と自虐されていますが、大きなインパクトのある名句ではないか、と素人の私は感じました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
「恋猫」は国語辞典にもふつうに載っていることばです。
パワーワードかどうかは分かりませんが、四世紀以上もまえの俳人たちの創作意欲に火をつけてきただろうことを疑いません。
わたしもそうですから。
ナンセンスな句との考えはそこまで大きく変わりませんが、素人の方ではあっても(あるいは素人の方であればこそ)大きなインパクトがあると言っていただけるのはまことに光栄です。
青狸辛くも化けて社会人への応援コメント
狸が冬の季語だとはまったく知りませんでした。
句にユーモアを感じました。
春夏秋を越え、冬になり、新人もなんとか社会人らしくなってきたのでしょうか。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
「たぬき」が季語になったのはかなり最近のことなのだろうと思います。
参考句をみても、すべて別の季語が入っています。
俳句( ≒ 俳諧)は諧謔や滑稽を旨としますが、「諧謔」とはユーモアのことです。
その精神は芭蕉一派の興した俳風でも失われていないとわたしは思っています。
さて、この句に季語もユーモアもあるとしても、かなり川柳に接近しているなと改めて思いました。
無季はもちろん、季語が入っていても限りなく季節感が乏しい句はあるものです。
俳諧にユーモアを尊ぶ伝統があったからでしょうか。
俳句は季節をよむ文芸と認識されていそうですが、わたしはそれが全てではないと思っています。
とはいえ、みらいつりびとさんの読みも実感に即している感じがして、そうかもしれないなと思いました。
猫小鳥来よ倶にせん日向ぼこへの応援コメント
猫と小鳥と日向ぼっこができたら、とても楽しそうです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
ネコが小鳥を食べ物として認識しなければ、良い時間になりそうです。
もみづるや饂飩に七味唐辛子への応援コメント
素人の感想ですが、小林一茶の句のようなおかしみを感じました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
この句に一茶の句のようなところがあるとは、考えたこともありませんでした。
へうへうと世を渡りけり北の風への応援コメント
この字数に人生を込めた……!
見事な句だと思いました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
人生を込めたとは過大な評価に感じます。
ですが、風のように生きられたら素敵なことですね。
人の世は長からずやは朧月への応援コメント
共感します。
少し話は逸れますが、親を介護しているとき、こんなに身体が弱るまで生きていたくないと感じることが多いです。
春にピンピンコロリと死にたいですが、そう都合よくはいかないのでしょうね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
生きていることは良いことだとの観念がありますが、手を尽くして生き永らえるよりは思いきってこの世からあの世に移住したいですね。
ピンピンコロリは都市伝説とは言わないまでも、ごく一握りの人しか実現できないのでしょう。
眠るようにあの世に行けたら、それは良い人生だったと言えるのではないかと思わないでもありません。
鵯や花を団子と為す心への応援コメント
詩人ほど言葉に敏感な人はいないでしょうね。
一句にどれほどの時間と神経を使っているのか……。
想像もできません。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
どちらかと言うなら、小説家よりも詩人のほうが言葉に敏感だろうとわたしも思います。
もしも詩人が長編小説を書こうと思ったら、細かな点がとかく気になって9割方エタるんじゃないかしら。
プロットの存在を前提として書き上げる小説とちがって、計画性がなくてもつくれるのが詩の美点だと思います。
わたしみたいに飽き性のひとには小説より詩作に適正がありそうですね。
素直さは古酒の辺に忘れけんへの応援コメント
〔大意〕を読んで、いまさらながら青丹よしお様の随筆家としての力量の高さを感じました。
もちろん、短歌と俳句もすごいです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
随筆家としての力量を褒められたのは記憶が確かなら初めてで、とても嬉しいです。
当該の文章をおそるおそる見返してみましたが、思ったほど見苦しくなくてほっとしました。
過去に書いた文章は黒歴史も同然なので。
山の上に神あり海に鯨ありへの応援コメント
一読して名作だと感じました。
解説にも納得です。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
当時は自信作のひとつだった記憶があります。
いまはいささか考えが変わりました。
シロナガスクジラは体長が最大で30m以上になるとか。
海洋性のワニやサメやダイオウイカなど目ではないことでしょうね。
秋の蚊の太つたを打つ躊躇ふやへの応援コメント
私も遠慮なく蚊を打ちます。
今年は平均気温が高いせいか、十二月まで蚊を見ました。
一月になり、ようやくその姿を見ることがなくなりました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
カに刺されても打たずにいられるような人をきっと聖人というのだろうと思います。
また、打ったら必ず合掌したり題目を唱えたりする人を人格者と呼ぶのかもしれないと思います。
夏のカと秋のカは別種だと、最近になって聞いた記憶があります。
ともあれ冬にもなってそれを見ると、わたしはその生命力に驚くやら呆れるやらしてしまいます。
朧夜や画を盗まるる美術館への応援コメント
現代的な句ですね。
古い朧夜と新しい美術館をつないでいる「盗」が不穏で素敵です。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
わたしの尊崇する芭蕉は「不易流行」(古くて変わらないものと、新しく行われるようになったもの)なる概念を提唱しており、巧拙はあってもそれを形にできたのかなと嬉しく思います。
また、「盗」の素敵さに着目していだだき、作者冥利につきます。
盗む行為にある種の魅力がなければ、怪盗の活躍するコンテンツが世間にこれほど多い理由は説明できないと思います(むろん窃盗を推奨するわけではありません)。
「画」がそのための道具にされているのは、見ようによっては昨今の絵画や美術のあり方に対する諷刺とも言えるのかなと自分では思います。
美術館の本場ともいうべきフランスにも、春のおぼろの概念はあるのかなと思いました。
さびしかろ雪降る池に舞ひおりてへの応援コメント
私は俳句のことはよくわからないのですが、「さびしかろ」で単独であること、「舞ひおりて」で鳥であることは想像できるので、成立していると思います。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
仰ることは分かるような気がします。
ですがこの句の先にわたしの目指す道はありません。
自分からすればこの句は、いささか独り善がりで一般受けしやすいもので、奥行きも何もありません。
わたしは表面的に「それ」に寄り添っているだけです。
何かの間違いでこの句が人口に膾炙するようになっても、わたしの嘆きは増えこそすれ減りはしないでしょう。
花茨苦しき道も敢へて行くへの応援コメント
花茨という言葉は良いですね。
茨という苦しみが入っていますが、花という楽しみもあります。
創作の道には、両方があると思います。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
創作には漏れなく苦しみが付いてくるようです。
しかし「艱難汝を玉にす」と言うので、いっそのこと苦しみ抜けばかえって満たされるのではないかとすら思います。
死ぬる日は開いてあれな桃の花への応援コメント
芭蕉の辞世の句は知っていましたが、西行の歌は初めて知りました。
願わくばピンピンコロリと死にたいものですが、医学が進んだ現在、そううまく死ねるかどうかわからないですね。よいのか悪いのか微妙です。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
また、昨日は拙作にすばらしいレビューコメントを寄せてくださり、ありがとうございました。
この場を借りて御礼申しあげます。
理想はピンピンコロリですが、実現するのはなかなか難しそうですね。
備えあれば憂いなしと言いますが……。
編集済
春の雨湯のごとたぎちけぶりけりへの応援コメント
「小説を書くなら俳句を勉強した方がいい」と友から助言いただいたものの、とっかかりがわからず、まごまごしていました。
こちらではふりがなもふってくれているし、言葉の解説もあるし、同じ時代に生きている人の作品なので、私にもわかるかもしれないと思いました。
覚えるのが遅いので、のんびり読んでいきます。
作者からの返信
楽しんでいただけるかすこし心もとないですが、気が向いたらいつでもお越しください。
月下逍遥置処無き露の身はへの応援コメント
名句、と感じました。
つい昔の詩人の作、と思ってしまいました。
硬い言い回しですが、結句の露の身が全てをすくって有り余るというところ。
作者からの返信
過大な評価にあずかり、むずがゆい思いがします。
ここに来て人恋しさや三十三才への応援コメント
こんなところからこんにちは。
ご無沙汰しておりました。
先ほどまで「和歌のようなもの」で楽しませてもらってから、ここにまた来ました。
野原を風がびょうびょうと吹く、ような感覚、ちょっと笑いながら、そんな心持にさせられました。(意味わかりませんね)実はここしばらく鬱陶しいことに巻き込まれ困っているところ、青丹さんのたたずまいに接して少し息ができる感じになりました。
そうそう、ミソサザイの歌を作ったのでお見せしようと思ったのでした。
ミソサザイ藪に忙しく動くとき 宇宙戦艦しらとり渡る
これ実景です。どうも失礼いたしました。
作者からの返信
こんにちは。
おひさしぶりです。
わたしの作品を読んでくださって有難うございます。
いくらかでも息が楽になったようで幸いです。
実景とすれば、実際にミソサザイご覧になったのでしょう。
わたしにはうやらましい話です。
雲低れて息微かなり山眠るへの応援コメント
コメント連投すみません! 横光利一の句が! 私の好きな作家ですが、小説しか読んだことなかったので嬉しかったです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
わたしも利一が句を咏んでいたことをこの頃まで知りませんでした。短編集を読んだことがありますが、どんなだったかすっかり忘れてしまいました。
編集済
紫苑咲いて風むらさきに見ゆるかなへの応援コメント
いつも癒しをありがとうございます。句に詠まれている花とか動物とか風景とか、時々ネットで写真を探して、句を楽しみつつ眺めたりしています。紫苑、控えめな雰囲気の可憐な花ですね。どこかで見かけたような気持ちになっています。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
紫苑は「秋思」(秋に感じるものさびしい思い)なる言葉が似合う植物なのかなと個人的に思います。
飛行機の落つる日ありや蝉時雨への応援コメント
面白いですねー
戦中の何かの漫画の場面をふと連想してしまいました。
二物衝突、だったかそんな手法が俳句にありますよね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
二物衝突なる語ははじめて聞きました。
さびしかろ雪降る池に舞ひおりてへの応援コメント
ハクチョウとはわかりませんけど、鳥だろうとはわかりますから、白鷺とかカササギとか想像は十分できて、それで完成するいい趣向だと思います。初句、いいですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
価値観の問題に逢着するのかもしれませんが、千年二千年の後も語り継がれるようなタイプの作品ではないと自分では考えています。
行人を一日の友の花見かなへの応援コメント
佳句、ですね、いろいろなことが思われます。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
いまのわたしからするとできばえに不満が残るようです。
情景がうまく像を結びません。
蝙蝠におされてしづむ入り日かなへの応援コメント
ご無沙汰しています。
蝙蝠におされてしづむ、という情景が非常に鮮やかで、まるで暮れどきのなかにいるように感じられました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
お久しぶりです。
夜は制空権を蝙蝠たちに渡すお天道様なのでした。
さみだれのこまやかに降る大河かなへの応援コメント
どうどうと流れる河の水面へと、細い雨がただ落ちて呑まれ続ける情景の風雅に心洗われるようです。
こういう刹那刹那にして永遠のイメエジを鮮烈に表せるのは本当に句の世界の素晴しさだなと素人ながら思われます。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
これは微細なものと雄大なものを組み合わせて視点の切り替えを促す古典的な手法ですね。水にはひとの心を浄化する作用がありそうです。
俳句の真髄についてはいまだ勉強中の身ですが、その短さゆえに瞬間を切り取ることにかけてはもっとも利のある文芸なのかもしれません。
花の香のすこしうるさき夜道かなへの応援コメント
花の薫りと夜闇の組み合わせがシンプルに好みです。
風と言わずに風を感じさせる、まさしく句作の基本と聞いたことがありますが、全ての文章表現に通ずる境地だと思います。自分もそういう文章が書きたいものです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
花の薫りを覚えるのは日中よりも夕べか夜が多い気がします。視覚の情報量が減るために嗅覚が敏感になるのでしょうか。
風と言わずに風を感じさせるのは理念であって、この句にしても成功しているとは言い難かろうと思います。願わくは共にその境地を目指さんことを。
一寸の虫にもかくて繭の玉への応援コメント
青丹よしおさま
私は俳句も短歌も嗜んだことが無く
読ませて頂いて少し勉強になりました。
蚕と言う言葉が出て来て見たことがないと
言う事なのですこしだけ、昔父の実家のお隣が養蚕をしていました。四角い板の上に沢山の幼虫がいました。幼虫が繭に成る迄、子供のながらに桑の葉を運んだのを思い出しました。桑の木になる実が美味しかったです。
蚕が成虫になり蛾になるのだけは怖かったです。長文になりすみません。
あと★を付けて頂きありがとうございました。嬉しかったと共に違う分野に出逢わせて頂きありがとうございます。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
わたしが受けた俳句と短歌の教育は学校教育だけで、わたしには師がありません。わたしはそのことを誇りにすら思っているのですが、ともあれそうした人間の言うことだと思って聞いていただきたく思います。
桑の実はいちじくのような味覚なのかなと想像しています。やはり美味しいのですね。
かなだけで文を書くのは語彙を頼んでそれらしく書くよりもよほど真価を問われそうで、それだけに潔い印象を受けます。
かる鴨のいろいろ連るるこどもかなへの応援コメント
附記にある画讃の幻想を、大変に面白く感じました。
頭の中の筆を執るとき、その句が置かれる場所や枠組みをも幻視しながら筆先を動かすという行為が、この奥行きや雅味を生んでいるのかと思います。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
わたしは文芸をほとんど聴覚芸術と思うようになったのですが、漢字や仮名の造形への関心もあって画讃のようなことを考えました。
踏みつぶす靴のかかとや冬の虹への応援コメント
履き続けられた靴の、少しくたびれた安らかな様子と、寒々しい空にかかる虹の、少し薄いけれどはっとするような七色の調和とが心に響きました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
そうしたものに調和を見出だしうるところに人間存在の秘密が隠れていそうだと思いました。
風向きを語るせなかや青あらしへの応援コメント
人の歩く姿から、季節の移り変わりを感じ取っている様が描かれていて、なるほどと感心しました。
俳句の良さが伝わってくる一句だと思います。
日傘さす口もと見ればほくろかなへの応援コメント
顔が見えなくて口元とほくろが見える女性の情景が思い浮かんで、色っぽい雰囲気ですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
秘すれば花なり、秘せざれば花なるべからずとは言ったものです。
なにゆえにひとはほくろ等に魅力を感じるのかしらと思います。
月影にくぢらの歌や通ふらんへの応援コメント
クジラが季語とは思いませんでした。
幻想的な情景が浮かんできて、感じ入るものがありますね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
くじらはもともと季語ではなかったろうと想像します。
くじらという生き物には神秘的なところがあると思います。
人の世は長からずやは朧月への応援コメント
すみません。
星は最後まで読んでからと決めていたんですが、遂に堪えきれず星三つ。
「死する風あらば生まるる風あらん」や
「山の上に神あり海に鯨あり」など、これまでも何度か耐えてはきたんです。
ですが、これはもうアカンでしょう。
自分は青臭い人間です。
こういう句、大好きです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
星は最後まで読んでからという姿勢は至極もっともと考えますが、読み進めて幻滅することがあれば星を減らしていただければと思います。
青臭さならわたしも負けないと思います。
忠犬を寒からしめて青嵐への応援コメント
昔、実家の庭で飼っていた犬も、寒い時は犬小屋の中でじっとしていました。
帰ってくると、顔を出して出迎えてくれるのですが。
愛嬌あふれる犬の姿が思い出される句でした。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
犬を飼っていらしたのですね。うちでも飼ってました。
犬というのは実に憐憫の情を惹起する生き物だと思います。
古き日の夢見心や雑煮腹への応援コメント
雑煮腹という単語はちょっとユーモラスで面白いですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
雑煮は餅が入っているのですぐに腹がふくれます。体の部位が入った慣用表現だと、○○(食べ物)の口になるというのがおもしろいと思います。
春深し仔犬隠るゝ草の陰への応援コメント
絵的に可愛い情景が浮かんできます。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
子犬や子猫はかわいいものですが、明良様の作品に登場するヒロインらも負けず劣らずかわいいと思います。
街は昏れて足下寒き暗渠哉への応援コメント
寒々しさを感じる音というのは、言われてみて「なるほど」と感じ入るものがありました。
あの水路のことを暗渠というのですね。確かに夜一人歩いている時に寂しげな水音を聞くと、切ない気持ちに襲われそうです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
暗渠の渠の字はこの語以外の用例をほぼまったく知りません。
振向いて見返る猫や月の下への応援コメント
情景がはっきり目に思い浮かんで、ユーモラスな雰囲気の一句ですね。
「猫」の存在がそれだけ人にとって身近ということなのかもしれませんが。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
この句にはフェルメールだったかの某の絵画のイメージがつきまとっています。
有り体に言ってその画家が好きではないにも関わらず。
名月や黄金に優る銀もへの応援コメント
詩的でとても良い句だと思いました。
「金より良い」と書いて「銀」、「金と同じ」と書いて「銅」なんて洒落もありましたっけ。
太陽が金で月が銀ならば太陽の方がまぶしく光っているわけですが、個人的には月の光の方が優しくて風流な光だと思うのです。
勿論太陽がなければ生物は生きられないわけですが、月も人間にとっては存在感がありますし、空に月があったから人はあの場所に行きたくて宇宙を目指すようになったんじゃないかな、なんて思います。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
太陽は熱や光をもたらしますが、月はより強く精神に働きかけると見えます。他者への恋慕の情を暗示させるくらいには。一番より二番がよいとの価値観はかなり普遍的な気がします。
月は宇宙への玄関口なのかなと思いました。それにしても、月に行こうなどと大それたことをよく思い立ったものです。
短夜や踊明かして星一つへの応援コメント
はじめまして。雪世明良と申します。
句だけ読んだときには「星一つ」というのが、夏の夜空に浮かぶ小さな星に想いを馳せているのが目に浮かぶ、風流で美しい言葉だなあと個人的に感じ入りました。
解説を聞いて評価のことだったかと知ると、これはこれでお気持ちがよく解ります。
俳句をたしなむ趣味はありませんが短い定型詩なだけに、言葉選びが大事なんだなというのがよく解りました。
作者からの返信
はじめまして、青丹よしおと申します。
コメントありがとうございます。
このサイトである程度長く活動しているとホシヒトツの5文字を聞く機会があると思います。それが場合によって美しく感じられるのはおもしろいなと思いました。人によって評価の基準がまちまちのようなので、私の場合、星一つが星三つにも勝って価値あるように見えることもあります。
俳句は韻文のひとつなので、小説などに比べるとさすがに言葉選びの重要性は増すのかなと私も思います。
をりがみを折る顔くらし五月闇への応援コメント
単に陰鬱というだけでなく、どこか得体の知れぬ、黒い影が表情の中心を覆って見えなくしているような気配、そういうものを幻視しました。
それがこの句に当てはまるかは置いておいて、書いた方の意図せぬ物語を二重写しに視るのも一興かと思ったりします。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
自作が想定したように読まれないのは自分の力不足の故であって内心忸怩たるものもあります。とまれ、句が詠み手の意向を離れて歩き出すのは、自分の書いた小説のキャラクターが勝手に動き出すことにも似て、客観的に見るならそれも一興やもしれません。
先生と呼ぶ声消えて青嵐への応援コメント
鮮烈な一瞬、その後の寂しい静寂を幻視させられる句でした。「こころ」での彼らの顛末を思い出すとよけい切なくなります。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
嬉しいことを仰ってくださいます。寄らば大樹の陰ではありませんが、名高たる作品に依拠すると支持されやすいのでしょうね。
春雨やワインボトルのまろぶ音への応援コメント
すごく、いいです! ワイン大好きですが、身体によくないだろうと、長く我慢しています。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
わたしは値のはるものよりは安もののワインのほうが好きでした。
舌が肥えていらっしゃいますね。
さびしかろ雪降る池に舞ひおりてへの応援コメント
解説で、注釈がなければ成立しないと仰っていますが、逆に読者に想像させる魅力があります。舞ひおりて、で鳥であることが分かりますし、冬の鳥と言えば白鳥かな?と教えてくれる。好きな一句です。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
思うにそのあたりは好みの問題なのでしよう。わたしはこの句を画賛(絵に添える詩文)にするのに適したタイプの作品と考えています。
すずしさのかたまりて咲く四葩かなへの応援コメント
そぼ降る雨にいっそう鮮やかな青に感じる涼しさですね。
作者からの返信
コメント有難うございます。
なぜ青いものに涼しさを感じるのかと考えると不思議でもあります。
逝春をしづかにわらふ人は誰への応援コメント
はじめまして。
俳句も味わいながら、時のオカリナの独特の雰囲気や世界観と音楽が、頭の中に流れて楽しみました。
目に見えない精霊がいるような世界ですね。
作者からの返信
はじめまして。
コメント有難うございます。
今はどうか知りませんが、昔の家庭用ゲーム機のソフトやアーケードゲームの開発には才能ある音楽家やシナリオライターらが携わっていたのだろうなと想像します。
わたしも生きているうちにあのような作品を生み出したいものだと思います。
蝿は蚊は羽音がましき暑さかなへの応援コメント
そういう表現が、あるのですね。じっさい、蚊さんやはえさんに付きまとわれるのは、嫌なものです。言うこときかないし。
作者からの返信
コメント有難うございます。
そういう表現があるというのか、わたしがそのような表現をしただけです。
月光ややや濃紺のそらを裂くへの応援コメント
秋の夜の澄んだ空気と月光は好きです
作者からの返信
コメント有難うございます。
むかしのひとが秋の訪れを心待ちにしたというのも頷けます。
月は冬もきれいですが、鑑賞に適したのはやはり秋でしょうね。
花筏うかぶや月の舟もなしへの応援コメント
匂い立つような春の夜の情景を思い浮かべました。
美しいですね。
作者からの返信
コメント有難うございます。
清少納言は「春は曙」と言いましたが、夜は夜で妖艶なおもむきがあると思います。
かみなりにほろほろ落つるさくらかなへの応援コメント
うす暗い雲のもとで、かみなりとさくらのあかるさ、しろさが新鮮に浮かびました。
個人的にとても好きな句です。
作者からの返信
コメント有難うございます。
そうした色彩の対比にはいささかのこだわりがあるので、評価いただけてうれしいです。
ほととぎす小暗き森の獄舎かなへの応援コメント
唱歌『夏は来ぬ』に、ほととぎすが登場していたのが、懐かしいですが、ちょっと、シュールな感じがしてよい感じ。
作者からの返信
コメント有難うございます。
その唱歌の存在ははじめて知りました。『かっこう』なら知っていますが。
すずかぜや腕にながき髪触るるへの応援コメント
【例歌】【例句】も楽しんでいます。今回は「洞穴や涼風暗く水の音 正岡子規」が印象に残りました。
作者からの返信
コメント有難うございます。
その句は松尾芭蕉の古池の句に通底するものがありそうですね。
この句の「洞穴」は一説にドウケツと読むということです。わたしはホラアナと読みたいですが。
なお、ふりがなは推測によるものがあること(ここでは「疋田山」のそれが怪しい)と句のふりがなは旧仮名に、作者名のそれは新仮名によることを、念のためにここに申し上げておきます。
蝙蝠におされてしづむ入り日かなへの応援コメント
「飛ぶこうもりの勢いにおされるような入り日」という見立てを、初めて読みました。大野城みずきは、そのような発想をしたことがありませんが、何度も読み返しているうちに、そんな気もしてくるようになりました。
作者からの返信
コメント有難うございます。
そう言っていただけてほっとしました。何度も読み返してくださり有難うございます。
夏空やたばこのけぶり真一条への応援コメント
【附記】、参考になりました。
作者からの返信
コメント有難うございます。
誤字がありました(類句を例句としていた)。失礼いたしました。
たいしたひねりもありませんが、参考になることがあったのであれば幸いです。
夜這星夜鷹のなみだ光りけりへの応援コメント
「星」の俳句は新鮮でした。『万葉集』『古今和歌集』『新古今和歌集』において、記憶に残っている星の歌が一首もないので(というか、そもそも星を詠んだ歌はあったかな?)。大野城みずきも、いずれは、星の短歌を詠みたいと思います。しかし、星を詠む難易度は高そうですね。
作者からの返信
「天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ」はそれに該当しないのでしょうか。わたし個人としては、『万葉集』が好きなので万葉調の短歌を拝読したいところです。
煙草のむ美人に夏の雲かかるへの応援コメント
【附記】の推敲のくだりは、参考になりました。
作者からの返信
コメント有難うございます。
推敲の過程を示すことで実作に供するものにしたいとの思いがあります。わたしは切れ字にうるさいのです。
きょう、多分今年最初の入道雲を見ました。
日傘さす口もと見ればほくろかなへの応援コメント
【例句】の「君が代の日傘に成りしさくらかな 辰下」が、妙に印象に残りました。
作者からの返信
コメント有難うございます。
この辰下なる人物について、近代以前の人らしいということ以外情報を持っていません。いったい何者なのでしょうか。
風向きを語るせなかや青あらしへの応援コメント
【大意】を読んで、なるほど、うまい、と思いました。【例句】の俳句もすべて、上手です(名前を見れば、それも当然か)。
作者からの返信
コメント有難うございます。
漱石一門は漱石、寅彦、芥川等手練れの俳句作者が多いように感じます。
編集済
常磐木の木の葉ちるなりこの夕べへの応援コメント
2019年6月7日、追記
断定の意で取ると「詩」みたいになると思います。例えば、断定の場合、散っている常緑樹を目の前にしないと断定できないでしょうから、樹の目の前に立ち、
常緑樹の葉が散っているのだ この夕べに
けど僕は この寂しさに負けたりなんかしない
たとい……なことがあろうとも 決して 決して
とかなんとか、このような感じでしょうか。
ですから、大野城みずきも、「伝聞推定」または『ベネッセ全訳古語辞典』に掲載の「聴覚による推定」「音・声が聞こえてくる」を取ります。
----- 「作者からの返信」と対応させるため、アーカイブ -----
2019年6月5日 0:14
大野城みずきの、古文を読んだ印象として、「なり」が断定の意になるときは、文末の「体言+なり。」、また、「連体修飾の文節(例えば、『なる+体言』『なりし+体言』)」また、「歌のことば書き」ぐらいです(評論において「なり」が断定の意になりやすいのは言うまでもありません)。
さらに、昔も今も日本人は、心中表現において、文末の断定を避ける傾向が強いです。例えば、古文の文末の「なるなり。」「なるめり。」の「なる」は断定ですが、この断定は、後ろの推定「なり」「めり」を導くための飾り・前置きに過ぎません(詠嘆「なりけり」も同様)。そもそも、日本の短歌や俳句において、断定の意が前面に押し出されることは、まれだと思います。(一方、詩は、ヨーロッパの影響が強く、断定がたくさん出てくると思います。)
ですから、大野城みずきも、「聴覚による推定」「音・声が聞こえてくる」を取ります。
作者からの返信
コメント有難うございます。
なるほど、日本人が断定的に物事を言いきるのを避ける傾向が強いという発想がそこにはありませんでした。ご意見に感謝いたします。応援機能を使わせてしまったようで恐れ入ります。
日傘さす口もと見ればほくろかなへの応援コメント
艶ぼくろに泣きぼくろ、ほくろに魅力を感じるというのは、人間ならではの感覚ですね。
作者からの返信
コメント有難うございます。
おっしゃるとおりだと思います。まことに神秘的なことです。
編集済
夜這星夜鷹のなみだ光りけりへの応援コメント
宮沢賢治さまの『よだかの星』は、ずいぶんと悲しいお話しですが、どことなく昨今の『いじめ』とか、思い浮かべたりします。そこを言わない星空を背景に、きらっとよみあげた感じが素晴らしいと思いました。
作者からの返信
コメント有難うございます。
いじめを苦にして死に追いやられるひともひとりやふたりではなかろうに、ろくろく対策が取られないらしいのは不審なものです。
日のあつさねこも団扇を欲しげなりへの応援コメント
ねこがぱたりとしっぽを打ちながら、風を欲しがっているような、かわいい光景が思い浮かびました。
作者からの返信
コメント有難うございます。
あごならぬしっぽで人を使うですね。
ねこは自分をかわいく見せる手段を熟知しているのでしょう。
日のあつさねこも団扇を欲しげなりへの応援コメント
ねこもしゃくしもあつい〰️〰️、というかんじですね。
作者からの返信
コメント有難うございます。
思うに乾燥地出身のねこには、むしむしした日本の夏の暑さはこたえそうです。
案外、人のいないところでこっそり毛皮を脱いでいたりして。
花の香のすこしうるさき夜道かなへの応援コメント
香りがうるさいというのは面白い表現ですね。
身動きできない植物が、意中の殿方に香りでモーションをかけている様子が思い浮かびます。
うるさがらずに香りの漂ってくる方を辿っていけば、美女にめぐり逢えるかもしれませんね。
はるさめやおもきまぶたのとぢごころへの応援コメント
思わずまぶたを閉じてみたくなる句ですね。
“はるさめ”のもたらす心地よさが、かな文字のまるみを通して感じられるようです。
作者からの返信
コメント有難うございます。
かなにするか漢字にするかでとかく悩みます。
それは日本人に生まれた宿命であり特権でもあるのだろうと思います。
テイーシヤツは我に似合はじころもがへへの応援コメント
Tシャツに印刷されている文言に、なんだかぞっと、する事がまれにあります。まあ、個人の自由ですけども。夏の風物詩であることは確かですね。
作者からの返信
コメント有難うございます。
そんなこともあるのかもしれません。わたしは特に注意をはらってきませんでした。
あぢさゐにせめてもいこへ道祖神への応援コメント
「朧夜や画を盗まるる美術館」以来の御作で、一番好きな句です(またも偉そうな好き・嫌いの物言いで恐縮なのですが)。紫陽花と道祖神という組み合わせだけでもすでに星を幾つも投じたくなる「絵」なのに、せめても憩へ…とそこへ素朴な優しさの目が描き加えられて、何とも言えない詩情を生み出していると思います。
作者からの返信
コメント有難うございます。
これほど評価していただけるとは思わず、詠み手冥利に尽きるの一言です。
句がンで終わるのは縁起がよいと思っており、その傍証になりそうです。
句をつくったときに辻堂か辻社かに供えられていたのがたまたま紫陽花でした。
いつも新鮮な花が供えられているのを見ると感心し、その労力に敬服します。
命令形はここぞというときのために温めておく、奥の手のひとつのように思っています。基本が大切だとつくづく思います。
ところで、個人的には好きや嫌いと言うことを偉そうだとは思いません。
自分の心に背くことを言いたくない人間なので。
さみだれや盥をこぼす大男への応援コメント
涼やかなさみだれの字、盥抱えた大男の幻が洗われる、野暮なようで雅味のある雰囲気。参考句の三つがまた、大変個人的に好みでした。いつも新たな句との出会いのきっかけを頂いております。
作者からの返信
コメント有難うございます。
そういっていただけると紹介する甲斐があります。
さみだれはよい語だと思いますし、よい語がよい句をつくるといってもあながち過言ではないと思います。
夏めくや海の香を吐く蜆汁への応援コメント
汁物の中の蜆が、蜃気楼を吐く蛤めいて幻想的に、それでいてその景色が夏らしく爽やかに感ぜられる、見事な句であると感じました。
作者からの返信
コメント有難うございます。
大蛤(中国ではみずち)が蜃気楼を吐き出すというイメージはとても豊かなものに感じます。
わたしは、氏のこのコメントの文が上手だと思いました。
月や知るAB型の裏のなさへの応援コメント
月は同じ側面しか我々に向けてくれないみたいですね、なんでも地球と自転の速度が同じとかで。
それを踏まえると、この句がすごく皮肉っぽく僕には響きます。
字義通り受けとれば、秋の月光に救いを見出すきれいな句なんですが、裏を返せば、、、みたいな。その落差がぞくっとして、恐らく超訳的な解釈なんでしょうが、図らずともそれが魅力的だな、と思いました。
作者からの返信
コメント有難うございます。
月が同じ面しか見せないことはまったく頭にありませんでした。
俳句をつくるときは表面的な句意のうちに隠された意味を盛り込むようにしろという人もあったように記憶しますが、わたしにはなかなかできる気がしません。
それにつけても、月の裏面はどうなっていることでしょう。
杖とめて鶯宿梅をながめばやへの応援コメント
やましんは、おうどんよりおそばが好きで、サクラより梅が安心出来ますが、理由はわかりません。
作者からの返信
コメント有難うございます。
わたしは梅よりも桜がすきで、うどんとそばは気分しだいといったところです。
生きてまたかのつちふまん花のころへの応援コメント
字面と内容がマッチしていて、私は好きです。
私の中では、いままでの中で、5番目くらいに入ります。
上位4つはどれだと聞かれても、すぐには出てきませんが(笑)。
月の夜や洗濯物の乾く音、とか。
いつもありがとうございます。
作者からの返信
コメント有難うございます。そしてまた、いつも作品に目を通してくださり有難うございます。
かなの割合を多めにするのが最近の私のトレンドです。かなだけで書くようになる日は果たして来るのか。
生きてまたかのつちふまん花のころへの応援コメント
いやあ、京都の桜はすごかったなあ、と思い出しました。また行きたいけど、人間もすっごく多かったです。『花見とは、人見の事かと寝返りをうつ』失礼いたしました。
作者からの返信
コメント有難うございます。
花の都の名は伊達ではないようですね。さように人が多いと、酒を飲まずとも人に酔いそうなものです。
目を喰つて魂抜くや桜鯛への応援コメント
龍の絵の点睛の構図を目出度い桜の鯛に重ねて、美しい季節の魂を呑んでしまおうとするような試みがとても風雅で素晴らしく感じました。
作者からの返信
コメント有難うございます。
魚は鯛の、その鯛の句が評価されて嬉しいです。
春雨や床屋へ向かふ道すがらへの応援コメント
さっぱりしたいと思い床屋へ向かう途中、心なしか温い春雨はかえって気持ちよく、傘はささずにぬれて行きたくなるかもしれませんね。
作者からの返信
コメント有難うございます。
たまに雨にぬれてくるのも気分がよいものだろうと思います。パステルカラーのあたたかい雨が降る日は。
ふところに懐炉しのばす花見かなへの応援コメント
子規さんは、なにをしかられたのでしょうか?ふと、気になりました。
作者からの返信
コメント有難うございます。
前提として子規本人が実際に叱られたと見る必要はないだろうと考えます。その上で話を進めると、句の成立した経緯がわからないためたしかなことは言えません。浮かれて羽目を外した末の、酒の席での失敗談なのでしょうね。
短夜や踊明かして星一つへの応援コメント
言葉としては
星三つよりも、
星一つの方が綺麗な気がしますね。
何だか特別感があって。
ふふふ。と、星を置いてきます。
素敵な言葉がいっぱいでした。
今日はここまで。
また寄らせてもらおうと思いますー
作者からの返信
星三つよりも一つのほうが言葉としてきれいというのは、そんな気もします。
星を下さってありがとうございます。
気の向くままにいつでもお立ち寄りください。
カンコドリの声を聞きに。