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2024年1月12日 11:15
現代的な句ですね。古い朧夜と新しい美術館をつないでいる「盗」が不穏で素敵です。
作者からの返信
コメントありがとうございます。わたしの尊崇する芭蕉は「不易流行」(古くて変わらないものと、新しく行われるようになったもの)なる概念を提唱しており、巧拙はあってもそれを形にできたのかなと嬉しく思います。また、「盗」の素敵さに着目していだだき、作者冥利につきます。盗む行為にある種の魅力がなければ、怪盗の活躍するコンテンツが世間にこれほど多い理由は説明できないと思います(むろん窃盗を推奨するわけではありません)。「画」がそのための道具にされているのは、見ようによっては昨今の絵画や美術のあり方に対する諷刺とも言えるのかなと自分では思います。美術館の本場ともいうべきフランスにも、春のおぼろの概念はあるのかなと思いました。
2018年5月5日 09:26
この一句に物語が凝縮されていると思います。胡乱な夜に霞む月、その下に眠る美術館の暗い一角、そこから持ち去られた絵には何が描かれていたのか。絵を持ち去った影はどんな顔をしていて、どこに消えたのか。額の取り去られた空間は何も語りませんが、その空白にこそ、想像力を無限に刺激する何かが潜んでいるように感じました。御作の中で今のところこの句が一番好きです。
安良巻祐介様コメントありがとうございます。どの程度評価しているかまで明確にしていただき詠み手冥利に尽きます。いったい誰が何の絵をどんな目的でどこに持ち去ったのか、すべては闇の中ならぬ朧の中です。
2018年3月9日 13:49
与謝蕪村の句は西洋の詩的抒情を感じますね。勉強になります。
帆場蔵人様コメントありがとうございます。私は西洋の詩を読むことがあまりなく、そんなものなのかなくらいに思います。参考になるところがあったようで幸いです。蕪村作品なくして俳句(俳諧)の趣は語れないと思っている人間なのでうれしく思います。
現代的な句ですね。
古い朧夜と新しい美術館をつないでいる「盗」が不穏で素敵です。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
わたしの尊崇する芭蕉は「不易流行」(古くて変わらないものと、新しく行われるようになったもの)なる概念を提唱しており、巧拙はあってもそれを形にできたのかなと嬉しく思います。
また、「盗」の素敵さに着目していだだき、作者冥利につきます。
盗む行為にある種の魅力がなければ、怪盗の活躍するコンテンツが世間にこれほど多い理由は説明できないと思います(むろん窃盗を推奨するわけではありません)。
「画」がそのための道具にされているのは、見ようによっては昨今の絵画や美術のあり方に対する諷刺とも言えるのかなと自分では思います。
美術館の本場ともいうべきフランスにも、春のおぼろの概念はあるのかなと思いました。