このエピソードを読む
2019年4月20日 10:57
「朧夜や画を盗まるる美術館」以来の御作で、一番好きな句です(またも偉そうな好き・嫌いの物言いで恐縮なのですが)。紫陽花と道祖神という組み合わせだけでもすでに星を幾つも投じたくなる「絵」なのに、せめても憩へ…とそこへ素朴な優しさの目が描き加えられて、何とも言えない詩情を生み出していると思います。
作者からの返信
コメント有難うございます。これほど評価していただけるとは思わず、詠み手冥利に尽きるの一言です。句がンで終わるのは縁起がよいと思っており、その傍証になりそうです。句をつくったときに辻堂か辻社かに供えられていたのがたまたま紫陽花でした。いつも新鮮な花が供えられているのを見ると感心し、その労力に敬服します。命令形はここぞというときのために温めておく、奥の手のひとつのように思っています。基本が大切だとつくづく思います。ところで、個人的には好きや嫌いと言うことを偉そうだとは思いません。自分の心に背くことを言いたくない人間なので。
「朧夜や画を盗まるる美術館」以来の御作で、一番好きな句です(またも偉そうな好き・嫌いの物言いで恐縮なのですが)。紫陽花と道祖神という組み合わせだけでもすでに星を幾つも投じたくなる「絵」なのに、せめても憩へ…とそこへ素朴な優しさの目が描き加えられて、何とも言えない詩情を生み出していると思います。
作者からの返信
コメント有難うございます。
これほど評価していただけるとは思わず、詠み手冥利に尽きるの一言です。
句がンで終わるのは縁起がよいと思っており、その傍証になりそうです。
句をつくったときに辻堂か辻社かに供えられていたのがたまたま紫陽花でした。
いつも新鮮な花が供えられているのを見ると感心し、その労力に敬服します。
命令形はここぞというときのために温めておく、奥の手のひとつのように思っています。基本が大切だとつくづく思います。
ところで、個人的には好きや嫌いと言うことを偉そうだとは思いません。
自分の心に背くことを言いたくない人間なので。