第30話 良いドミノ
契約書には既にロビイ会社の代表のサインがあり、ジェイムスがサインすることで発効することになる。
ところが、なぜかエミリーにも個別の契約書が用意されており、そちらにエミリーはサインすることになった。
「ミス・エミリーを中心においてキャンペーンを張るのも契約の一部ですから。専門家から見て異論はありませんか」
契約関係の法律にエミリーは素人である。
分厚い契約書に全てはジェイムスが専門家に依頼して精査したものなので、頷くしかない。
「特に言うところはありません。後ほど質問をさせていただきますが」
契約が済むと、早速チームが編成される運びとなり、ワシントンに滞在するエミリーにコナーズから連日複数人のスタッフが紹介される。
中でも強烈に印象に残ったのは「特に重要なスタッフです」と紹介された、イメージ・コンサルタントという、これまた胡散臭い肩書の、非常に背が高く素晴らしくほっそりとした手足を上品なスーツに包んだモデルのような黒人女性のジャスミンだった。
話を聞いてみると、ジャスミンは実際に数年前までNYでモデルの仕事をしていたという。
「オバマ大統領の選挙で政治に関心を持つようになったのよね。それで政治ニュースの番組を見るようになったのだけど、に出る人、出る人、全員の格好が野暮ったいことに我慢ならなくなったの!それで、これはビジネスになると思って」
という理由で政治業界に転職した変わり種だそうだ。
彼女ジャスミンが変わっているのは、キャリアだけではなかった。
「これから幾つか質問をします。不愉快な質問があるかもしれませんが、正直に答えてくださいね」
彼女の前置きに型通り頷いたエミリーだったが、続く質問にそれを後悔するのに時間はかからなかった。
「ミス・エミリー。身長はどのくらい?6フィートはあるように見えるけど」
「正確にはわかりませんが、6フィートぐらいは」
「素晴らしい!それだけ身長があれば大抵の男と並んでも見劣りしないわね。いえ、もちろん美貌も充分だけど。その素晴らしい直毛ストレート金髪ブロンドは地毛なの?」
「ええ、まあ。染めてはいません」
なんと失礼な人だろうか。相手が女性でなければ腕力にモノを言わせていたところだ。
「ますます素晴らしいわね!いえ、お気を悪くされないで。次は重要な質問よ。恋人はいる?」
「今はいませんが。あの、本当に大事な質問なんですか?」
「もちろんよ!。それとSNSのアカウントは持ってる?」
「高校ハイスクールの頃に友人に勧められて作りましたが、もっぱら見ているだけです」
「とてもいいわね!いえ、今はそのアカウントには手を付けないで。後ほど、専門の担当から訓練トレーニングの課程プログラムを用意させるから」
「訓練?自撮り(セルフィー)の角度でも練習しろっていうの?」
「ええ。それも訓練の一部よ」
いい加減頭に来ていたエミリーの語尾が粗くなってくるのを気づかぬふうに、質問はさらに厳しく繊細な領域まで抉るように続けられる。
「それで支持政党は?」
「民主党ですよ。決まってるじゃないですか」
「うーん・・・そうね。あたしも民主党なんだけど、そこは少し曖昧にしておきましょう。あなたが女性で良かった。ネクタイをする必要がないものね。今回は党派を超えて訴えかける必要があるから。宗教に熱心な家庭で育ったの?」
「さあ。子供の頃は教会に連れて行かれましたし、今でもバザーぐらいには参加してるみたいですが熱心とは言えないと思います」
「保守的ではあるが宗教的には中立!それもいいわね」
「・・・それはどうも」
プライバシーも何もない、通常の面接であれば法律違反もいいところの質問の連発に、いい加減に席を蹴ってやろうかとエミリーは爆発しそうになっていたが「最後に」と続けられた彼女の感想に、思わず脱力することになった。
「ミス・エミリーは実に良いドミノになる素質をお持ちですね」
「はあ・・・どうも」
「良いドミノ」と褒められて嬉しい人間などいるのだろうか。
悪気はないのだ。工学の世界にも人間関係のコミュニケーション能力に欠ける人間はいる。
ただ、それが商売ビジネスとして自分が渦中に巻き込まれると苛立つのも事実なのである。
ホテルのジムにサンドバッグはあったからしら、とエミリーはストレス解消の手段を充実させる必要性を日々感じながらワシントンDCでの日程をこなしていた。
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